母という呪縛 娘という牢獄


これを読んで、私はラッキーだったんだと思った。

簡単に言えば、うちも似たような母娘でした。書かれている母親のつかう言葉などが、ほとんどそのままそっくりで、こういう人は他にもいるんだな、と私もなにかをすくわれている。こういう人が、私のほかにもまだいるんだろうなということ。
殺すにも死ぬにも至らず、少なくとも誰も犯罪者にはならずに済んだ、もしくは、済んでいるだけ、の人が。

人を殺せるってなかなか凄いことだと思うのです。実際、やってもよいと言われたり、犯罪にならなかったり、そうしなければならない場合に、殺せるか?って。多分私はできないと思う。その点、この作品のあかりさんは、医学の知識があったりしたことが、実際に殺害に踏み切る一点でもあったのかなと想像しています。

私も、かつて殺意までは抱いたし、夜中に母が寝静まったあと、包丁を持って部屋まで行ったことまではある。ただ、実際に当時高校生の私に出来たかというと(当然実際にはしていないのだけど)、勿論犯罪だし、捕まりたくないし、自分は未成年で何も出来ることはなく、私の場合は下に兄弟たちもいて、彼らも、そして自分が今後生きていくためにも、損得勘定でみても働いている母が死ぬべきではなくて、実際殺せるまでやりきれたか、ってのも含めて、実行するには至らなかった。当然、今はそれで良かったでしかない。

当時、母は私の憎しみの対象でしかなかったが、落ち着いてみて、そしてこの本を読んでみても、母親側の、「娘がわたしを裏切っている」という言い分もなかなかに面白かった。揶揄っているわけではなく、母は母として、確かに、間違ったことを言っているというだけでもないのが、理解できたのが面白かった。
私は、母を裏切っていたらしい。なるほどな。
どうしても加害者の娘側に同情してしまう(したい)ので、あまり母側を擁護したくも理解したくもないのだけど、母は、私が私自身の夢や目標を叶えるために、(勝手な)尽力をしてくれていたのであって、なんなら一緒に夢を追いかけてくれていて、受験であるからにはプレイヤーはどうしても私であり、私が、一緒に夢を叶える人である母親を、私の力不足のせいで挫折させていたのだ、ということか。
しかし、これはそもそも前提として、いつのまにか私の夢ではなく、母親の求める夢、になり変わっているところが1番の問題なのだけれど。
しかし母親の中では、こうなっていたのかと、大人になって距離ができて、うまく付き合える適当な距離感を見つけている私になったから、理解できたことだった。
人の夢を勝手に自分のものにしないで下さい。でしかないけれど。

この本を、面白い、と形容するのは正しい気がしないのだけど、本当に読めてよかった、そういう意味では、出版してくれて本当に良かったし感謝しています。

この本に助けられる、いま生きている友達たちと、語ってみたいよね。



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