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幼少期、民泊ビジネスをはじめたキッカケ,etc。

テリーです。
キルギス生活も5か月目に突入しました。
で、ここ数日体調不良で寝込んでまして、やっと良くなってきました。
明日からまたロシア語の勉強も復活します。

そういえば、このNOTEはさんと隔週リレー形式で更新することになってます。日本-中国を舞台にビジネスをされており、ふみさんのNOTEはメチャクチャ面白いので要チェックです。

今回は以下についてシェアします。

幼少期

私は福岡県に生まれ、両親は養鶏場を営んでおりました。
もうその時点で、普通のサラリーマンの家の子とは少し生活が違っていました。養鶏場での幼少期はと言うと、小学生の高学年になると毎日手伝いと言うことで、一時間以上かけて卵を取るという職務を与えられ、大学に進学するまで365日休まずずっと働いていました。

特に辛かったのが、まさに3K(きつい、汚い、臭い)で、真冬の雪が降る時も冷たい卵を毎日せっせとかき集めていました。

そして、特に家も裕福と言うわけではなくて、僕の記憶にある限り一回も旅行には行ったことがありませんでしたし、外食をすると言うのも、誕生日の日に1人1500円位の食べ放題に行く位でした。

また、両親も関係が悪くていつも喧嘩ばかりしていたので、できるだけ家にいたくなかったと言う思いと、人間関係も最低な家から早く出ていきたいと言う思いが強かったです。

ですので、基本的に頭の悪かった僕は本当に数学や物理などの科目が苦手で、本来ならば大学を行けるような地頭でもなかったのですが、本当に実家が嫌いだったので、テスト前でももないのにひたすら志望校の過去問を解くのに徹夜をしてみたり、学校行かずに朝から晩まで家の近くの学習塾に閉じこもって、そこで生活しているような状態でした。

ですが、今自分が家庭を持っている身としてよくよく考えてみると、子供3人を全員国立大学を卒業させて、社会人にさせてもらった親は本当に尊敬しますし、今ではすごく感謝しています。

幼少期の学校生活

学校生活についてですが、基本的に周りからは変わり者とは思われていたものの、一応中・高校では、バスケットボール部というコミュニティに所属していたため、そんなに人間関係では問題はありませんでした。

ですが、あまりにも運動神経が悪くて、レギュラーにもなれなかったですし、やたら練習はきつかったので、大人になった今でもたまに悪夢として思い出すことがあります笑

ですが、このバスケットボールの練習がなかったら、高校受験大学受験のラストスパートの体力は持っていなかったかなと思います。

ただし、今はこういう風に感謝できたりとか言うふうに捉えることができていますが当時は、かなり辛かったと思うし早く大学生や社会人になって自由になりたいと言う思いが強かったです。

2年でスッパリサラリーマン卒業

そんな学生生活を経て、社会人となりました。
東京近辺の新卒サラリーマンとして2年間働き、そこで工場などのメンテナンスをするエンジニアとして働きました。

ただし、もともとから漠然と海外の人と仕事をしたいと言う思いがあったので、2年間働いて三百万ほど貯めて、すっぱりと会社をやめた後にロンドンへ語学留学に行きました。

民泊・ルームシェア事業をはじめたキッカケ

日本で民泊やルームシェアのオーナー、運営代行、ホステルのコンサルティングを4年間運営し、売却したのですが、事業をはじめたキッカケについて考えてみました。

一番は、大学の時に東南アジアにバックパッカーをしたことが大きいです。

特に、初めてホステルに泊まったときに、夜にチェックインして二段ベッドで寝たのですが、朝起きたら同じ部屋にアメリカ人、イタリア人、フランス人、韓国人など多種多様な人たちが楽しそうに会話してて、グッドモーニング!とかフレンドリーに話しかけられてギョっとしとしつつツタナイ会話をしたのがインパクトが大きかったです。

日本はモノカルチャーで、福岡の田舎の学校でも、学校の外でもほとんど外国人と言う人に関わったことがありませんでした。ですが、ホステルでは欧米人からアジア人といった人たちが同じ部屋で過ごし、友達を作ったり、ハウアーユー?という会話からはじまって仲良くなったり、一緒に外にご飯を食べに行ったりするという、つながりを持つことができたのが本当に楽しかったです。

それまで、学校や部活など与えられたコミュニティーの中でどうやってうまく馴染めるか?に焦点が置いていたのですが、全く知らない人と1日、2日といった短時間の出会いのなかで、流れるように人と出会っては別れると言うのを繰り返すのが本当に新鮮でした。

そのため、東南アジアの旅行から帰ってきてから、日本でも旅行する際はゲストハウスを使うようになっていました。そこでは、もちろん外国人の方もいて、へたくそな英語でコミニケーションを取ろうとしたり、友達を作ろうとしたりすることもすごく楽しかったですし、何といってもそこに集まる風変わりな日本人とも仲良くなることができたのが楽しくて、これが仕事にできたら本当に幸せな人生だろうなぁと漠然とその時は考えていました。

それから、大学生~社会人~留学を経てゲストハウスの師匠を見つけたことがきっかけで、自分で民泊、シェアハウス、ホステルのコンサルティング等の事業を運営するようになりました。

最近思ったこと:弱さ、辛さとかさらしてみるのってどうなの?

最後に、この2週間で感じた事をシェアします。
それは、

人間は弱さを隠す必要はないんじゃないか

と言うことです。
Twitterの中で見つけて少し気にかかっていたのが、

自分が苦しい時に、そんなもの人に見せるもんじゃない!

と言うその人の哲学的な言葉をつけましたことです。
確かにそうかもしれないなぁ、とかその時は真に受けて思っていたのですが、本当にそうなのかと疑問に思い始めたのです。

確かにその人は優秀で、弱さを見せずに会社のリーダーとして成功している方です。部下はリーダーが不安で、弱いところなどを見たくないと言うのはもちろんわかります。理想のリーダー像かもしれません。

ですが、よくよく考えてみたら、人間ていうのは他の動物に比べてもみるからに、圧倒的に弱い生き物じゃないですか?

神様に食べるなと言われたりんご食べちゃったり、周りの環境に流されやすかったりと基本的には弱い。だから、わざわざ強がったり、見栄を張る必要なんかないし、辛いことや苦しいことを自分の中だけで留める必要ないのではないかと思ったのです。

また、自分の弱さや辛いこと、不得意なことをおおっぴらに言うことによって、誰かが助けてくれるかもしれないし、自分も助けてと言えるのです。

私の師匠の言葉で、

本当に強い人は、人に助けてと言える人

と言うことが本当に強く私に残っています。強い人は助けてと言える人。助けてと勇気を持って人に言うことで、実際に助けてくれるかもしれないし、もしそうでなかったら、助けてくれそうな人を紹介してくれたりすることがほとんどです。

逆に、助けてと言ったのに誰から石を投げられたり、罰を食らわせるようなことはほぼありません。なので、弱さを誇ってみるのもいいのではないでしょうか?そこで人とのつながりや環境を構築することができれば、自分だけではなく、自分に関わる人も幸せになるのではと考えたのです。

自分の弱み、不安

ということで、最後に私の弱みや不安を告白してみたいと思います。

キルギスに来て4,5ヶ月。日本で行っていたビジネスを売却をして多少の資金はありますが、家族持ちですし、キルギスでサラリーマンをしようと言う気は特にありません。また、1月から妻とオンラインサロンのビジネスを始めましたが、まだ始まったばっかりなのでどうなるかはわからないという不安が襲ってきたりします。事業をやるって、利益でなかったら無職とほぼ変わらないし、結果出さないとキャリアにもならないですからね、

自分の弱みですが、かなり表面的な付き合いしかできない人間で、人と深い関係を築くのはちょっと苦手です。なので、今後の課題としては、一度つながった人と継続的にSNSでメールのやりとりをするなどの努力を継続していきたいです。

ということで、今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
キルギスの生活や、事業、その他もろもろについて次回はご紹介したいと思います。それではまた!

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