人生の後悔は抱きしめて生きていきたい方かもしれない。
父の余命が判明する直前、わたしはインドに短期留学に行っていた。
父へのお土産はスタバのインド限定マグカップにした。
重いし、インドで買うにはちょっと高かったけれど、スタバはわたしと父がよく会って話をする場所でもあり、それに決めた。
帰国時、父が空港まで迎えに来てくれた。階段を降りる時、わたしの代わりにスーツケースを持ち上げてくれた。帰りの電車の中で、カオスofカオスのインド生活を父に話した。リキシャのおじさんにぼったくられた話や、ひどい胃腸炎になって韓国人におかゆをもらった話、さらにそのおかゆが激辛で体調が悪化した話を、父は笑いながら聞いていた。
マグカップを渡したら喜んでくれた。
「かっこいいな〜!」といいながら、几帳面に包装を戻して大事そうに鞄にしまっていた。
そういえば、わたしがプレゼントの包装紙をびりびりに破くと、父にいつも軽く怒られていたような気がする。(懲りずに今でもびりびりに破く派だが)
それからたしか、2週間もしないうちに、父がガンで、余命幾ばくも無いことを知る。
父は、私を迎えに空港に来たときにはすでに、自分の病気を知っていたのだろうか。
もしも、もっと早く父の余命を知ることができたら、こんなに重いマグカップを選ばなかったのに、と思う。
それから2ヶ月経ったら、父はマグカップすら持てなくなってしまうことをもし知っていたら、と思う。
渡したはずのマグカップは、ちゃっかりわたしの手元に戻ってきて、今机の上に置いてある。
父が亡くなる1年前の夏休み、シンガポールに2人で旅行に行った。まだまだ子供だった私は、暑いのにタクシーに乗せてもらえないことに腹を立てた。
「そんなに怒るなよ~」と父が連れていってくれたカフェで、「シンガポールでは合法だし、ビールにするか?笑」とふざけられたことにもさらに腹を立てて、ジンジャーエールを選んで、不機嫌に一気に飲み干した。
わたしはそれをずっと後悔している。
だってその一年後には、もう父には会えなくなってしまうんだから。
もしそれを分かっていたら、不機嫌になる気持ちを抑えて楽しく話をしたと思うし、「連れてきてくれてありがとう!」の一言くらいは言えたんじゃないかと思う。
それにジンジャーエールをもっと大事に飲んだと思うし、もしかしたらシンガポールではじめてビールを飲んだかもしれない。
結局、私が二十歳になるのより、父の病状が悪化するのがほんの少し早くて、一緒にお酒を飲める日は来なかった。
あのときこうしていれば、を挙げたら切りが無いし、事実、思い出は自然に美化される。だから後悔を思い出さないように生きることは案外容易いと思っている。時たま黒歴史を思い出して死にたくなるのは抜きにして。
でも最近は思う。
不機嫌に飲んだジンジャーエールも、一緒に飲めなかったビールも、渡せなかった手紙や届かなかったメールも、父に渡したはずが、すぐに私の手元に戻ってきてしまったインドのマグカップも、
思い出すたび、ぎゅっとこころが縮まるような気持ちになるけど、後悔なんてない!と押し込めるのはやっぱり味気ないんじゃないかなぁと思う。
美化されるばっかりの思い出の中で、ちょっぴり心が痛たた、となる瞬間を、あまのじゃくだけど忘れたくはない。
私はどちらかといえば、後悔を抱き締めて生きていきたい方なのかもなぁなんて思ったりもする。
とはいえ、できれば後悔はないほうがいいから、言えるときに、せめて生んでくれた親には、誕生日くらい感謝の気持ちを伝えようと、母に「今年の誕生日は何が欲しい?」と聞きながら思った。
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