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観劇記録:新約令嬢ジュリー

令嬢ジュリー 12/1-12/4 カーサタナ(自由が丘)
脚本:ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ
翻訳・演出:下平慶祐
出演: 平体まひろ 萩原亮介 堀口紗奈
(敬称略)

堀口紗奈さんが出演されるということで観に行きました。
(初日、3日目、千秋楽)

会場に入るとケルト音楽が流れ
花が飾られたテーブルにソファ、無造作に置かれたワインボトル。
当時の生活感が漂っていました。
会場の窓はブラインドで塞がれているのですが隙間から差し込む光すら演出になっていたのでマチネ、ソワレでも雰囲気が違って良き…
ギャラリーの良さがフルに活かされており、こだわりを感じます。

あらすじ

物語は、異教の時代から続く夏至祭、聖ヨハネの夜に始まる。
スウェーデンの伯爵令嬢であるジュリーは自由奔放な性格の持ち主。
彼女は二週間前に婚約が破談になってしまい、様子がおかしいようだ。
彼女に仕えるは外面は従順だが内面は計算高い下男のジャン。
彼は令嬢ジュリーの召使い、クリスティンと婚約しているが叶えたい夢もあった。
実話に基づく「自然主義悲劇」

令嬢ジュリー公式サイトより

1889年に書かれた脚本を一から翻訳し作られたという今回の舞台。
お恥ずかしい話、最近演劇に興味をもったため元作品を存じ上げていませんでした。

初日は正直言うとストーリーを取りこぼさないように観ることに必死。
これは元の内容に手を加えるような翻訳をしていないため。
分かりやすさとかそういうものはさておき、
歴史ある名作を現代に生きる人間はどう解釈するのか。
実話を扱った物語、作者への敬意が表れています。

2回目は頭を整理してから観れたので世界をより一層楽しめたし演者の細かい所作や演技に対しての記憶もはっきり残ってます。

千秋楽は私の海馬と感情が暴れて90分が30分くらいに感じるほど。
2公演×4日間だったのですがもっと行くべきだった…。
初日で感じた難しさは何回も見れば消えましたし
何回も見て理解をしたいと思わせてくれる作品。
人の時間は有限なので何回も見に行くのは確かに難しいですが、
私はこの物語について思考を巡らせる時間こそ幸せでした。

伯爵令嬢のジュリーを演じるは平体さん。
お人形さんのような顔立ちが凄くぴったりでした。
フランス語らしきやり取りが出てくる場面があるのですが発音が綺麗でときめいた…
会話劇なのでセリフ量とスピードが難易度鬼です…
だけど彼女が躓いた場面は一回も見ていません。圧巻。
ジュリーは思考が極端な女性という印象。
コミカルでありつつ、戸惑いや怒り、感情を爆発させるジュリー嬢の芝居は表情から指先まで素敵でした…。
お嬢様に乾杯!!!!!!!

ジュリーに仕えるジャンは荻原さん。
平体さんと同じくらいセリフは多いのですが一番疾走感がありました。
冒頭で「ジュリー嬢はいかれてる」というセリフがあるんですが。
ジャンよ、多分あんたが一番いかれてるよ…
胸の内に秘めた野望を矢継ぎ早にジュリーに話してるシーンで彼女が引いてるのが個人的にツボです。
狂ってると思ってる相手を引かせるクレイジー加減。
気迫。混沌。
ジャンはビールと仲良くないらしいので代わりに私が飲もうと思います。

そして観劇のきっかけとなった堀口さんは料理番のクリスティン。
外舞台で演技されてるのを観るのが初めてだったんですが最初がこの舞台で良かったです。
可哀想なくらい二人に振り回されっぱなし。
冷静であろうとするけどちょっとボロが出てしまう人間味が好きです。
ジュリーとジャンが話しているのを微笑みながら聞いてる場面はいかなる時でも女は強いな…と感じました。漠然と。
寝落ちしてしまう場面は堀口さんのままだったでしたが、
全然邪魔ではなかったし話が難しくなる前に肩の力が抜ける良いアクセントになってて好きです。
私にもキドニーパイ作ってください…

印象に残ってるシーンの話。
これでもかというくらいに身分の違いを突き付けられる場面がたくさん出てきます。生まれ持った家柄はもう運命。俗っぽく言えば親ガチャです。
ジュリーは伯爵令嬢として生まれて大切にされている。
はずが。
母に名誉男性的に育てられた女の子。
男の子と同じように育てられています。
思い描くお金持ちのお嬢様の暮らしとは程遠い。
だけど伯爵令嬢だから皆に大切にはしてもらえていたし、
皆が彼女を敬った。

正しい愛情を受けれずに育った彼女には他人との境界線も見えない。
何も信じられない彼女が唯一信じるものがカナリアなのも孤独さを感じます。
言語を交わすことも感情のやり取りもない。
籠に閉じ込めてさえあれば自分の元から離れることもない。
彼女はカナリアそのものだったのでしょう。

独白するシーン。
ジャンがジュリーに「父のことを愛したことはないのか」と問い、
彼女は「愛していた。だけど同じくらい憎んでた」と返すのですが。
このやり取りが一番きつかった。
物語が進めば進むほど、ジュリー嬢と私の共通点を多く見つけてしまうんです。
生い立ちについても。
重たくなるのでまた今度話しますがこのセリフのカロリーがなかなかでした。
自分の「父」だから無条件に愛しているのか、生まれてからずっと横に居たから自然に愛情をもつのか。
苦しいですね。

「一度やってしまった罪は繰り返す、浅い傷があるからって」
というセリフにギクッとしたし指先が痺れる緊張感。
見てる人間の心疚しさに無理矢理ライトを向け晒されるような気分。
転落していくジュリーが神にすがろうとします。
神を信じてはないし信仰心を鼻で笑っていたのに。
その姿は哀れ。
彼女がよく見るという
高い柱のてっぺんにいるものの、降りられず落ちるのを待つ夢
が正夢になってしまう。

クリスティンは熱心な教徒で欠かさず礼拝に行くし教えを守って生きてきました。
説教が彼女を守っていたし彼女を強くしたのでしょう。
「神は一番下に居るものを一番に救う」
そうジュリーに話します。
だとすれば救われて欲しいなと思ってしまった。
というかジュリーと私はほぼ同じなので助けてくれという気持ち。

クリスティンは結構金言を言うんですよね。
登場が少ないからこその説得力なのか…。
ある場面で「いつだって私は自分を大切にしてきた」という言葉を
逃げ出そうとしていた二人に放ちます。
召使いという身分である以上は豊かではないかもしれない。
でも信じるものがあるから自分を強くさせる。
彼女が一番誇り高い人間だと私は思います。
身分に胡坐をかかない、身分を呪って欲に溺れたりしない。
私は自分のことがあまり好きではありません。
大切にも出来ていない時期もありました。

彼女のように生きられたら良いのに。

するとジュリーと共鳴したのか彼女の口から私が思っている気持ちが飛び出したのです。
ああ、やっぱり彼女と私は似ているんだなあ。

全編通して信仰心、身分、性差、当時の生々しさが詰まってました。
ここを大げさにしたり、逆に抑えてしまったら何も響かないんだろうと思います。
何故なら今を生きる私達にそこまでのしがらみは無いのだから。
18世紀を生きた人間が書く実話。

現代もまだ解決していない格差は当然あるけど物語ほどではない。
他人事。個人の権利は守られて当然。
残酷だと思えるのは今の自分が少なくとも恵まれているから。
なんもない、空っぽだ、不幸だと思っていた自分が実は恵まれている。
下を見てそれを実感するのは大変浅ましいのですがそれが人間なんだと思います。

90分の舞台を見て自分の生き方と向き合うことになるとは思っていなかったです。
見れば見るほど思考は加速する。
素敵な4日間でした。

乱暴ですが芝居は「役として決められた言葉を言う」のが基本情報だとすると、私から見るお三方は芝居ではなくその人物として生きていました。
ト書きなんてない。本人として出てくる言葉。
それくらい自然な演技で素晴らしかったし感銘を受けました。
先に話した空間づくりも文句の付け所が無いんです。
演者との距離が近くて息を止めてしまう身を潜めるくらい。
ドア、窓から隠れて見ているような気分。
透明人間。
そう思わせてくれるようなセットだなと感じていました。
朝日が射す場面、ブラインドがオレンジに染まった時の色が
実家で見た窓から差し込んだ色と同じで懐かしく胸が締め付けられました。
太陽の色は変わりやしないのに「あの時と同じだ」と思ったんです。

感想文書くのは久しぶりだったんですが気持ちのまま書いたので、
とても稚拙な仕上がりになってしまったかと思うのですが…。
この熱が消えてしまう前にどうしても文章にしたかったのです。

最後までお読み頂きありがとうございます。
私もワインとキドニーパイで洒落こみたいところですが
ビールと唐揚げで我慢します。

提供時温度:熱い状態で食べる


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