備忘録 4.20

中学校の卒業式の日、夕食はすき焼きだった。
受験中は魔法少女まどかマギカが唯一の楽しみで、毎週録画しては父親と一緒に観ていた。よく覚えている。卒業式の前日に10話の放送があって、そう、ほむほむの兼ねてからの取り組みが明かされるあの10話です。衝撃でぶっ飛ばされた。やばいものを見たと震えた。父親も同じだったし、二人してニヤニヤしながら「すごいことになったね〜!」と地上波にチャンネルを戻した。
街が消えていた。3月11日のことである。

「あ、あのときまだ中学生だったの?」「はい」「そっかー、そう思うと随分年違うんだねえ」「えっと、Yさんはあのとき」「俺はちょうど大学卒業した頃だね」「あー」「なんか、ほんとに、あれを機に全部変わった。俺が在学中なんかはもっと、なんての、むやみな希望みたいなのがあったんだよ。当たり前に」「…」「でもねー…」「うーん」「もう不可能なことが増えちゃったのよ、たぶん」「うーん」

牛肉を抱えた母が帰ってきて、それからはあんまり覚えていない。とにかくみんな、黙々とテレビを見ながらすき焼きを食べた。ビルに旅客機が突っ込んだときの映像をなんとなく思い出した。当時私は6歳で鮮明には覚えていないけど、その日の朝食もこんな感じだった気がする。

あれから随分と月日が経って、その間も私はのうのうと過ごしてきた。地震に関してもテロに関してもまるで当事者ではなかったし、事が起こったときも、いきりたったり絶望するではなく、節操のないパニックに陥らない日本人の美徳(その頃はとかくテレビでそう言われていた気がする)をありがたがる母親の背中を見ていた。好んで聴いていたラジオ、ツイッターからも、絶望よりも希望を見出そうとする言葉に多く触れたと思う。だからなのか何ボケなのかは分からないが、私は迫るような危機感を感じていなかった。
子供だったということなんだろうか。
阪神淡路大震災の中心地に、その年に生まれ、散々震災教育(と言っていいのか?)を受けてきたにもかかわらず、むしろ逆に、「また大変なことが起こったのか、ポカーン」としか思わなかったのかもしれない。


2度目の引っ越しをしたのは大学を卒業する冬だ。市内での引っ越しだったし授業もないので、3月にバタバタするよりも早めに終わらせてしまおうと思ったのである。
何が言いたいかと言うと、その間1週間ほど、私は全くテレビを見ていなかった。ちょうどある船を取り巻いて騒動が起こっていた頃だ。新居がある程度片付き、やっとテレビを繋いだら、世界の空気が変わっていた。マスクをする人が増え、女優がインスタグラムで嫌がらせを受け、じりじり嫌な感じになっていた。
あれよあれよと卒業旅行をキャンセルし、卒展は短縮され、卒業式も慎ましく行い(行えただけでよかったものだ)、マスクが店頭から姿を消し、気がついたら近所の店が潰れていた。知り合いの仕事がバカスカなくなっていた。いや、人命が第一なのだが、とりあえず自分のまわりで真っ先に起こったのはそういうことだった。幸い職もなくさず身体の大事にも至っていない私はまたして、「大変なことになった、ポカーン」になったわけだ。

Yさんの言っていた感覚がなんとなく分かる。と思う。年齢的に私の自我がはっきりしてきたのは震災後だったし「あれで一変したんだよ」と言われても「そうなんですかー」としか言えなかったけど、今回のそれは、自分にとって紛れもないそれだ。それって何だ、不可能感?閉塞感?災害という暴力的な理不尽を突きつけられた上に、人々の怒りや苦しみを毎日見続けている。その多くが知らない人のものだ。ネット上での負の盛り上がりは以前からあちこちであったけど、比喩でなく、目を逸らせないほどになってしまった。「誰かが誰かを毎日責めててつらい」の声が明るみに出るほどだ。

呑気かもしれないが、「エヴァってこの時代じゃ作れんかったんやろな」と思った。あれは今じゃ、多分フィクションにならない。
生や死や、この星という規模での生命について考えることが、この先メタファーとして機能するだろうか?


先日、本当に身近な人の解雇、失業という出来事に出くわした。一人や二人ではなかった。他人事ながら呆然としたし、正直かける言葉もなかった。が、詳しくは書けないが、彼らはこの先生きていくために万策尽くしているところだった。もちろん経済的にだ。彼らは私の幼稚な心配から遥か離れたところにいたのである。
「なったことはしょうがなくて、ほんとにどうするか考えてやってくしかないよねえ」と友達が言ったときにいや〜そうなんやけどと思考を止めた己が恥ずかしかった。できた子供は産まれるのだ。食っていかなければならないのだ。それはすごくすごく難しいことだとしても、だからといって緞帳は勝手に下りてはくれないのだった。

私の勤め先も休業になり、もろもろの補償があたるか答えを待っているところである。学生の友達はどうすればいいんだろう、地元で働き続けてる母親は、保菌の疑いがあるらしい友達は、てか軽い熱を出した私は、看護師の先輩は、病気になってしまった人は、混み混みの業務スーパーで働く人は、国のお仕事の人は、もうありとあらゆる立場の人がいすぎてどんな気持ちでいればいいのかも分からなくなるが、とにかく山は悠然とあり、川は流れ続けているのだ。私たちはまたあの灯りに迎えられるだろうか。おそらくそこに帰るために多くの人が無我夢中で過ごしている。自分のことをなんとかしたり、してもらうように声を上げたりする。水面下でしたたかに待ったりもする。心配であることに変わりはないが、どうか信じていたいと思った。

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