キョロ充を直すための「自然体のありかた」を教えます
「マンガ老荘の思想」紹介
なぜキョロ充はこの本を読むべきなのか?
等身大の自分を出せていないからです。見栄を張っているから周りの人が離れていくのです。自然に身を任すこと、脱力することに力に恐がっているからです。
要約
「価値観」は所詮人が作ったもので本質ではない。役立つものが本質ではない。自然であること、「無」こそが本質である。
老荘思想とは?
老荘思想(ろうそうしそう)は、中国で生まれた思想。 道家の大家である老子と荘子を合わせてこう呼ぶ。 道家の中心思想としてとりわけ魏晋南北朝時代に取りあげられた。 老荘思想が最上の物とするのは「道」である。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/老荘思想)
老荘思想が目指した「道」とは、ざっくりいえば「自然体であること」です。
「富や権力といったものは自分をダメにするだけて、厳しいルールも作るだけ無駄ですよ」と当時の社会に指摘をしていました。
「自然体」であることとは本当に難しいです。
評価を気にしない。貪欲であってはならない。虚勢を張ってはいけない。奢らない。自慢しない。罵らない。全ては自然の摂理に身をまかせる。
彼らの目指した思想は、一つの修行ともいえます。
しかし、自然に反した行動はいずれボロがでてきます。
威張れば周りの人はいなくなります。強欲であれば仕打ちをくらいます。
ここまでのレベルで無くても、自然体に反した態度でいると気疲れします。
「道」を知れば、日常生活において「良い脱力」ができるのではないでしょうか?
無用の用
役に立たないものが実は役に立った、という意味です。
無用の用の元々「無こそ本質である」という考えからきています。
老荘の思想の中では、木でできた車輪にはハブの真ん中の部分に空洞があるから丈夫な車輪ができるのです。家は家の中が空間だから成り立つのです。水車は中が空洞だからしっかり回るのです。
この世の中は目に見えるものが全てと思われますが違います。
「無」こそが本質なのです。
「価値」に優劣はない
大きいものは強い。弱いものは弱い。
賢い人が偉い。バカは偉くない。
あれが良くて、あれは悪い。
しかし実際は、大きな木はすぐに切り倒されますが、小さい木は切り倒されることはありません。
偉い人ほど暗殺や謀反で早く死ぬのに対して、愚かな人は何の危害もなく長くいき続けることができます。
「価値観」とは所詮人が作ったもので本質ではないのです。
自然であれ
老荘思想では、自然にまかせることを教えています。
政治も自然にまかせ中であるべきと言っています。
厳しいをルールを作れば、国民は苦しみ、ルールの抜け穴を見つける悪党が増えるだけです。
空間の流れに従い、自然の一部として生きることが大切なのです。