キョロ充を治したければ「論語」を読もう!
なぜキョロ充は論語を知るべきなの?
『論語』とは、孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物である(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/論語)
孔子は徳と教育を通して世の中を治めることを目指していました。その目標に基づいた孔子の教えが「論語」という形で残されています。
なぜキョロ充こそ論語を読むべきなのでしょうか?
理由は一つです。
キョロ充を治す手がかりが書かれているから
です。
本がベストセラーになることはとても珍しいことです。今日買った本は30年後も売れ続けることなど滅多にありません。
古典作品は1000年以上売れ続けているのです。その分いつの時代でも刺さる内容が書かれているのです。
そこで、論語とは「人はどうあるべきか」について書かれています。
例えば、論語の中には「口だけ達者なものは大した人間ではなく、実行にうつしたものが大した人間である」という教えがあります。
当たり前のことですよね。当たり前のことなのに何故か出来ていなかった。当たり前のことなのに蔑ろにしていた。
当たり前のことを改めて「とても大事」と再認識させてくれるのが「論語」なのです。
キョロ充は、目の前に見えることだけに踊らされることが多々あります。
論語はそんなあなたに、いい道しるべを教えてくれます。
もちろん時代が違うので、理解できない内容もあります。それはそれでいいのです。違うものは違うと考える力が養えることができれば、いいのです。
本書は漫画なので非常にわかりやすいです。
孔子の思想を簡単にみてみましょう〜
衆これを憎むも、必ず察し、
衆これを好むも、必ず察す。
周りの人がその人を憎んでも、自分は必ずその人を観察して、周りの人がその人を好んでも、自分は必ずその人を観察する。
キョロ充にとってはこの考えに従うのは難しいと思います。これができるようになると、自分の軸をしっかり持った人になります。つまり信頼できる人(=モテる人)になります。
「周りの人が憎んでいたけど、本当にこの人は憎むに値するのだろうか?」
「周りの人が好んでいたけど、本当にこの人は好むのに値するのだろうか?」
いつでもどんな時でも、「客観的」に考えるこの姿勢を学びたいですよね。
過ちで改めざる
これを過ちという。
過ちを犯して、反省しない。
これを「過ち」という。
間違いを犯すことはそもそも過ちではありません。
頑張って人とコミュニケーションを取ってみたけど、嫌われてしまったというケース。
このケースそのものは間違いではありません。
しかし、ここから「もう俺はコミュ障なんだ」といって自分を否定して、反省することを忘れると、それは「過ち」になります。
「反省する勇気」があるか、ないかであなたの人生は失敗するのか成功するのかがきまります。
短い言葉で、深い教訓を教えてくれる論語を是非お勧めします。
実は「論語と日本の文化は切っても切れないのである」という記事も書いています。もしよければご覧になってください。
日本のアイデンティティを知ることは、キョロ充治すことにつながります。
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