映画「マイエレメント」に見る幸せの形

マイエレメントは子供向けのキャラクター映画ではない


 映画「マイエレメント」を見ました。それも2回見ました。1回目は吹き替えで、2回目は字幕で見ました。私の人生初の「映画館で同じ映画を2回見る」経験となりました。これまで、同じ映画を何度も見る人の気持ちがわからなかったのですが、これはひとえに私がそうしてまで見たい映画に出会えていなかっただけのことでした。
 正直、この映画はさほどヒットしたという話も聞きませんし、子供向けのかわいいキャラクターの映画と思われている方が多いのかなと思いますが、移民と現地社会の軋轢、移民第一世代と第二世代の意識の差、異なる文化的バックグラウンドを持つ人たちとの交流や恋愛といった主題をストレートに扱った非常に魅力的な映画でした。移民を迎える国(アメリカなど)や移民を送り出す国(韓国など)では「自分たちの物語」として受け止められたかもしれませんが、日本では少しなじみのない主題ではあったのかなと思っています。私は韓国人の妻を持ち、彼女の家族とも深い交流を持っています。そのため、異なる文化的バックグラウンドを持つ人たちとの交流・恋愛という主題はストレートに心に響き、この映画は人生で見た中で最も好きな映画となりました。

エンバーは「韓国人の女の子」にそっくり


 この映画では、異なるバックグラウンドを持つ人たちをそれぞれ元素になぞらえており、「火」「水」「風」「草」などの属性を持つキャラクターが登場します。どの属性がどの人種、というようなはっきりした対応関係はなく、あくまでバックグラウンドの差を元素の形で象徴しているのですが、主人公であり「火」の女の子のエンバーには、明確な文化的モデルがいるものと思います。
 この映画の監督ピーター・ソーン氏の両親は韓国系移民であり、ご自身の実体験をもとにこの映画を製作したということです。映画の中でエンバーの祖母から発せられる「結婚相手は「火」から選びなさい」という言葉は「韓国人と結婚しなさい」という監督の祖母の実際の言葉をモチーフにしているというインタビューからもわかる通り、「火」は韓国的文化をモチーフにされていることがわかります。この情報がなくても、韓国人とのかかわりの多い方であれば、「家族を大切にする」「両親の期待に応えたいまじめさを持つ」「感情が豊かで、時には怒りの感情を持つことが多い」といったエンバーの素敵な性格は、多くの韓国人とよく似ていることに気が付くはずです。(私の妻ともそっくりでした。)
 映画の中では、エンバーの両親は「火の国から移民してきて、現地社会との軋轢を感じながら、娘のために身を犠牲にして暮らしてきた移民第一世代」として描かれており、それゆえ自身のアイデンティティをとりわけ大切にしたり、娘に多くの期待をかけるような描写が多いです。移民第二世代のエンバーはそうした第一世代と違って、生まれたときから現地の言語・文化のもとで育っていることから、両親とまた違った価値観を持っています。こうしたあり方は、何も移民家族でだけ起こることではありません。両親と価値観が違うということは、生まれ育った時代が違うので当然すべての家族において起こることですし、特に「両親の世代が経済的に苦労して、娘・息子のために尽くし、それゆえ多大な期待をかける」という部分においては、現代の韓国社会において広くみられる現象かと思います。親の苦労を知っているからこそ、期待にこたえなければいけない、というプレッシャーは、私の知る韓国人の中においては多く見られる感情でした。(韓国は1987年の民主化の前まで軍事政権が続いていましたし、1990年代にはIMF危機が起こるなど、社会・経済的に苦しい時代がありました。今の韓国の若者の両親の世代は、まさにそうした時代を育っています。)
 そうしたことから、私にとってエンバーは妻のようであり、エンバーの交際相手となる「水」のウェイドは自分のようでもありました。映画で描かれる「水」の要素が自分に似ているというより、「火」という異なる元素のエンバーと愛を育てていくウェイドに大いに感情移入ができました。「水」と「火」の交流は、人種を問わず、異なる文化的バックグラウンドを持つ人たちとの交流として見ることができ、その苦しさや楽しさを共感できる場面が多くみられました。

エンバーとウェイドのデートシーンに号泣

 この映画の感想を書こうとしたとき、書きたいシーンや、思ったことが非常にたくさんあり、私の文章力ではすべてを書ききれないと思いましたので、最も印象に残った場面(そして最も涙した場面)について書きたいと思います。
 それはエンバーとウェイドのデートのシーンでした。
 ウェイドは、エンバーに魅力を感じ、デートに誘います。デートに誘う直前の出来事として、エンバーは、両親の店を守るために苦労をいとわない姿勢(鉄砲水を防ぐための砂袋を浜辺で自作する)を見せ、その行動力と発想力(砂からガラスを作り上げて防水壁を作る)で状況を打開する、ということがありました。この振る舞いにウェイドは魅力を感じ、デートに誘ったのではないかなと思います。自分にはない性格を持ち、がむしゃらで感情豊かなエンバーがかわいく見えたのでしょう。異なるエレメント間なのに恋愛感情が起こるのではなく、異なるエレメント間だからこそ起こった恋愛感情なのかなという風に思います。
 デートの内容は、映画を見て、商業施設の屋上から景色を眺め、テラス席で飲み物を飲み、広場でふざけあう、という平凡なデートなのですが、この時の2人の掛け合いがとても美しいものでした。楽しそうで幸せそうな表情というのはもちろんなのですが、「エレメント違い」であるからこそ起こる小さなハプニングに対する2人の反応がとてもかわいく美しいのです。
 色付きの飲み物をウェイドが飲むと、口から吸収された液体がそのまま透明ななウェイドの口、のどを通り、体全体が色づきます。これを見てエンバーは笑います。次にエンバーがその飲み物を飲もうとすると、飲み物は口に触れる前に蒸発してしまい、傾けたグラスからは一滴の液体もエンバーの口には至らず、空に向かって蒸気として消えていってしまいました。そして、これを見た二人はまた笑うのです。
 エンバーは、「体の色の変化を楽しむ飲み物」を、飲むことができませんでした。その味さえ体験することはできませんでした。「火」の属性であるためです。これ自体は、悲しい出来事とも取れます。エンバーの飲み物が蒸発してなくなってしまったとき、2人でため息をついてうつむくこともありえたはずです。しかし、2人は笑いました。私はこのシーンが最も素敵なシーンだと思いました。
 飲み物が飲めなかったこと、2人で同じ楽しみを同じように体験することはできないということ、しかし、2人の経験を共有してそれを楽しむことはできるのです。エンバーとウェイドは属性の違いから、それぞれできること・できないことがありますし、性格も似ているわけではありません。だからこそ、その違いを前提として、2人で楽しむことができる姿を見せてくれたのは大きな希望であると同時に、違いがあるからこそあそこまで楽しそうなんだなと思わせてくれるシーンでした。
 韓国人の妻と、はじめは衝突も多く、傷つけあうこともありました。だけれど、文化的なバックグラウンドが違うからこそ、笑いあえた幸せな瞬間が本当にたくさんありました。私が彼女の実家で辛い物を食べて病院送りになったこと(人生初めて点滴を打ちました)、彼女は日本語ペラペラなのに、漢字が全然かけず手書きの文字はひらがなだらけだったこと。ここに書けるのはくだらない一例だけですが、2人の間にあるすべての経験を楽しめるようになったとき、2人が一緒に生きていくことへの確信が持てました。マイエレメントのデートシーンは、そんな2人の幸せを象徴してくれるようなシーンでしたし、そうしたカップルたちを賛美するシーンだったように思います。
 

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