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すべてを投げ出した先の美しい日々 「PERFECT DAYS」

とてつもなくネガティブな感情となり、「死にたい」と思うことが生きているとときどきある。あるいは大したことでもないのに「死にたい」と軽はずみに言ってしまうことがある。
惜しい人を亡くしたとき、大切な人を亡くしたとき、あれだけ自分の命に感謝することの重要性に気づいたり、残された命を全うすることを誓ったはずなのに、簡単にそんなことを忘れてしまう。

では、その「死にたい」の正体とは何なんだろう。
おそらく、それはただ単に今の自分が面倒くさい状況に置かれていて、「逃げられない」状況で、過去の経験から、ネガティブな状況が起こることが予想されていて、明日を迎えたくないようなとき、今の人生で背負っているものを全てを投げ出したい、すなわち、この人生を全て捨てることを意味して「死にたい」と思うのかもしれない。
「逃げられない」のは果たして本当か。全てを投げ出して生きていくことはできないのか。

「PERFECT DAYS」の主人公「平山」は朝起きて、毎日トイレ掃除の仕事に従事し、仕事が終われば行きつけの店へ行き、本を読んで寝る。
そこにはスーツを着て電車に乗り、ビルの中でパソコンを睨み、ドキドキハラハラするようなプレゼンや繁忙期もない。そして、スマートフォンもなければ一軒屋もマンションの一室も家族もいない。
多くの人が描く「豊かさ」のイメージはそこにはない。
だが、映画を見ていると、朝起きて、綺麗に髭を整え、毎朝同じコーヒーを飲み、古き良きカセットテープの音楽を聴く彼に豊かさの片鱗を感じずにはいられなくなる。
人格面としては、平山は社会生活不適合者なのかというと、個人的にはそうではないような気がした。仕事は見ていないところでも手を抜かないし、むしろ後輩には返ってこないであろうとわかっていながら金を貸す。彼はそんな真面目さや優しさから人に騙されたり、嫌な目にあって、いつからか働くことがばかばかしくなってしまい、それこそあるときに全てを投げ出して、今の生き方を自ら選び、己の価値観の中での最も美しい日々を生きているのではないかと勝手に推測をした。

今の生き方を選び、自らの日々を構築する平山を見ていると、自分が思ってきた、世間の暗黙の了解として描かれる成功や豊かさや、それに追うために背負わなければいけないと思っていた「逃げられない」「投げ出せない」と思っていた日々は、誰もが目指さなければいけないものではなかったのだと感じさせられる。
今の日々を捨てることが人生の終わりを意味するといった極論の「生か死」の二択ではなく「今の日々ではない豊かさの選択肢」を構築する道のあり方を示してくれたように感じる。

本当に「PERFECT DAYS」を「する」となると度胸がいるけれど、辛いときに、まあ、「PERFECT  DAYS」という選択肢もあるし。と思うと永遠に続くものなどないと感じられる。


全体的な大きなメッセージだけでなく、この映画の随所に出てくる音楽は本当におしゃれで哀愁が漂い、行きつけの店のママとして出てくる石川さゆりも渋くて凛々しい。
最後に、人生を味わい尽くしているかのような平山の表情とともに流れるNIna SimonのFeeling  Goodは信じられないくらい美しく、冬場にまだ陽が昇る前に起きたときはFeeling Goodを聴いてこの映画のシーンを頭に浮かべていたし、今も朝目覚めて聴く音楽の定番になった。

全てに疲れたら自分もいつか「PERFECT DAYS」を始めたいと思うけれど、生活の中に中途半端にプチ「PERFECT  DAYS」を入れている自分は全てを捨てる踏ん切りなんて余程のことがないとつかないのだろうと思うし、こういう日々は強制的にはじまるのかもしれない。

Hayato

https://www.perfectdays-movie.jp/en/

PERFECT DAYS
2023(日本)
監督:ヴィム・ヴェンダース

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