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家事全般に言えるかもだけど

 多摩美術大学のyoutube動画(すてるデザイン勉強会 vol.01 「すてる」の反対語は「すてない」だけか?)を見ていたら、「中食が感じさせる罪悪感」についての話が出て来た。中食とは、家で食べる(内食)でも、レストランなどで食べる(外食)でもなく、外で作られた食事を自宅で食べる、テイクアウトやお惣菜などのことらしい。難儀な家事の1つである料理をアウトソーシング出来て合理的じゃん!というノリもある一方、罪悪感が生じる場合もあるようだ。どのような罪悪感かというと、プラスチック容器を大量に消費することや、すべき家事をしていないと感じてしまうことらしい。

 ところで私も自炊をしないと罪悪感を覚えるタイプなのだが、上記のような理由とは少し違う。私は、消費者向けに作られた食べ物は基本的に味付けが濃かったり添加物が多めで不健康だと考えている。また、体内においては腸内細菌など、体外においては家族や友人などとの関わりが私を成り立たせていると考えている。そのため、私自身の健康に負荷を掛けるということが私と関わるものに対して悪影響を与えるものと考えるのである。そういう意味で私は中食(や外食)をする際に罪悪感を覚えるのである。

 腸内細菌などとの関わりから私自身を生態系として考えることは思考実験としても面白いし、健康的でもあるので、生活に余裕がある方には試してほしい。腸が草原のイメージで、千と千尋の神隠しやとなりのトトロに出てくるまっくろくろすけ似の腸内細菌がワーワー言って遊んでる感じ。「元気に育ってねー」と思いながら、私は白菜をよく噛んで呑み込むのである。時々お腹の調子が悪い時は、悪天候でまっくろくろすけ達は納屋に避難していたりする。

 今回の動画とは別の場所で料理のアウトソーシングについての話になった。その中で、「中食もあるんだから料理の能力自体が不要」という意見があった。私は料理自体も好きだし、生活の教養として家事全般の知識は持っているべきだと考えている。「教養として」以上の理由を特に思いつかないため、カップ麺でも良いじゃん派の人たちを説得できないし、説得しようとも思わない。ジェンダーロールの押し付け的に「女性は料理が出来るべき」という意見には反対だが、それは男性も料理は出来るべきという反対であって、皆が料理が出来なくても構わないという反対ではない。

 分業による合理性で文明が発達しているのは事実だろう。しかし個人でも最低限の生活力を確保するべきではないだろうか。説得はしないけど。

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