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【読切版】Change the World 第3章~現実は自己評価の投影である。

あなたは目に見えない無数の選択肢の中から、瞬間ごとに「○○な私」を選択しています。あなたは瞬間ごとに「モテない俺」になっているし、「貧乏な私」になっているし、「人間関係に悩む俺」になっているし、「不幸せな私」になっています。

それを認めたくない気持ちは痛いほどわかります。「自分はこんなものではないはずだ」と心の片隅で思いながら、「現状の私とは違う私」の証拠を探してしまう気持ちもよくわかります。

けれど、まずは「今はその私になっている」ことを認めない限り、いつまで経っても「今の私とは違う私」の世界は広がっていきません。

「あの人はこういう人だね」と第三者を評価するのと同じぐらい淡々と、「今の私はこういう人だな」と認めてください。

今のあなたは「なりたい自分」とは違うでしょう。理想の自分とは180度違うことすらあるでしょう。それについて「今現在、私の設定はそうなっている」ということを認めます。

そして、「そんな私でもいいよ」と赦しを与えます。「こんな私でいいわけがない!このままじゃ嫌だ!」と反発が起こることと思いますが、現状の「こんな私」を赦すことが「どんな私でも構わない」に繋がっていきます。

この「どんな私でも構わない」は誤解を生みやすい部分です。これを「現状の不安で、不満で、不幸な私でも構わない」と捉えると、「冗談じゃない!こんな私で構わないなんて認められるか!」と反発してしまうでしょう。
そのことをよく考えてみてください。あなたはそれほどまでに自分のことを嫌っているのです。

「どんな私でも構わない」には、今のあなたの設定である「こんな私」も含まれますが、一方で「自分の想像を遥かに超えた私」も含まれるのです。それは今の自分には到底想像もできないような豊かで幸せなあなたです。

「どんな私でも」なのですから当然そうでしょう?
「どんな私でも」には全ての設定のあなたが含まれるのです。「どんな私でも」は「どんな設定の私でも」です。

あなたは現状の設定である「こんな私」を赦せなかったのです。「こんな私」が赦せないから、もっと違う「あんな私」になることを追い求めていたのです。

あなたには赦せない「こんな私」がありました。
赦せない「こんな私」があるということは「どんな私でも構わない」ではないということです。
「どんな私でも構わない」ではないということは、「私の設定」に制限があるということです。
良い方にも悪い方にもです。

たとえ今は「貧乏な私」であってもそれを赦します。それは単に現時点の設定に過ぎないのです。「不安な私」であっても赦します。それも単に現時点の設定に過ぎないのです。「不幸な私」であっても赦します。それもまた単に現時点の設定に過ぎないのです。

そうして「自分のその点を赦せない私」をどんどん減らしていきます。自分に対して赦せない部分が減っていくと何が起こるでしょう?
あなたは自分を愛すようになるのです。あんなにも嫌っていた自分をです。

赦すと愛すは同じことなのです。この理屈は単純で、赦せない部分がなくなったということは、不満な部分や嫌な部分がないということ。つまりは愛しているということになるからです。

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