【読切版】Change the World 第5章~願望を諦めることの意味。
願望実現において「願望を諦める」とか「願望を手放す」といった表現を聞いたことがありませんか?素直に受け取れる人はいいのですが、反発してしまいたくなる人の方が多いのではないでしょうか。
願望を諦める、あるいは願望を手放すとはどういうことを意味しているのでしょう。そして、この諦めるという言葉を聞いたときに多くの人に生じるであろう「願望を諦めるということは、好きなものを選択して実現することはできないのか」とか「やはり人生は思い通りにならないものなのか」といった一抹の寂しさを払拭する答えはあるのでしょうか。
願望とは「理想と現実のギャップを埋めたいという欲求」です。これは前章で説明した部分なのですが、この世界はできると認識していることは「現実」、できないと認識していることは「願望」として現れています。
「理想的な状況だ」あるいは「理想と現実のギャップは埋められるだろう」と思うことは、あなたの世界に既に現れているか、間もなく現れることを確信できているでしょう。
一方で、理想と現実のギャップがあまりにも大きく感じているときは、そのギャップを埋めたいという願望として現れることになります。
あなたが自分の現状を見て、こんな風に感じたとしましょう。
「そうであってほしくない」「そんな風に考えたくない」「そんな目で見たくない」「そうは思いたくない」「こんな思いはもうしたくない」「こうでありたくない」。
こういった現状の不満にスポットを当てたささやかな希望の中に、重要なヒントが隠されています。先の例に挙げた現状の感じ方は全て「そうであるとは認めたくないけど、残念ながら現実はこうである」ということを暗に肯定しているのです。
これを願望実現に置き換えれば「こうでありたくない」という不満を基にした願望と「でも現実はこうだ」という現状の認識がせめぎ合っている状態ということになります。
このとき、「こうでありたくない」の方をなんとかしようとするのが一般的な願望実現の捉え方ですよね。「非モテでありたくない」「貧乏でありたくない」「不幸でありたくない」。だからこれらを「モテる」「お金持ち」「幸せ」に変えようとするアプローチです。
もちろんそうした「こうでありたくない」をひっくり返すこともできますが、もう一方の「でも現実はこうだ」の方をひっくり返すことはできないものでしょうか。どちらをひっくり返しても、理想と現実のギャップが埋まることに違いはないのです。
願望を持っているということは、理想と現実にギャップがあることは容易に理解できると思いますが、ではそのギャップを生んでいる原因はなんなのでしょうか。
これは愛でもお金でも同じなのですが、このギャップは不足感から生まれています。けれども、漠然と不足だけ感じているのかというとそうではありません。比較対象がなければ不足を感じることはできませんから、必ずなにかとの比較が根底にあるはずです。
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