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【本編】Change the World 第27章~願望の対象が近付いたり離れたりするワケ

愛すことに見返りを求めると苦しみの原因となります。何かを好きになるとほとんどの場合は欲が出てきます。それは所有欲や独占欲といったものです。日本語で「欲」と「欲しい」は同じ字を書きますが、何かを好きになると好きなだけでは満足できずに欲しくなるのが人間です。

これは好きな人がいる場面で例えると非常にわかりやすいでしょう。あなたが誰かを好きになったとします。あなたはそれで満足でしょうか。「あの人が好き」の後に「だからこうなりたい」という願望が出てくるのではないでしょうか。具体的には、交際したいとか、結婚したいといったことです。

好きだからああしたいこうしたい、逆にああしてほしくないこうしてほしくない。そういった「好き」の後に連なる「だからああしたい、ああなりたい」といったオマケの部分は全て欲です。物であれ人であれお金であれ、好きになったものは所有したくなるのが人情というものでしょう。好き、だから欲しい。これが願望の基本的な形です。そしてこれが、願望が叶わない原因でもあります。

所有欲や独占欲は「欲」という字が付いていることからもわかる通り、「好きだから欲しい」は願望ではなく欲望なのです。この両者は似て非なるものです。ただの欲望を願望と思い込んでいると言った方がいいかもしれません。

願望を叶える方法として「願望を手放す」「願望を諦める」といった表現を聞いたことがある人もいるかもしれません。これの核は「欲しがらなければ実現する」という点にあります。従って正確には「願望を手放す」ではなく「欲望を手放す」なのです。

「好きだから欲しい」のに「手に入れたければ欲しがるな」。ここに大きな矛盾を感じる人が大半でしょう。けれどこれは矛盾していません。そもそも「好き」と「欲しい」は全く関係のないことなのです。

「好き」だけで済ませればいいのです。「だから欲しい」と付け加えるのは、「だけど自分のものではない」を付け加えるのと同じです。単純な話なのですが、好きかどうかと、自分のものかどうかは関係があるでしょうか。好きと欲しいは全く関係がないというのはそういうことです。

自分のものではないけれど好きなものというのは世の中にいくらでもあるでしょう。それは憧れのスーパースターかもしれないし、心惹かれる美しい絵画や美しい音楽かもしれません。音楽はあなたの所有物でしょうか。違うでしょう。けれど、たとえそれが自分の所有物でなくても、あなたはその音楽が好きなはずです。好意と所有は全く別の概念なのです。

欲しくて仕方なくなって入手したものの末路をあなたも知っているはずです。雑貨屋さんで見付けたマグカップ、一目惚れした腕時計、気になって仕方なかったワンピース、他の人が持っているのを見て羨ましくなったバッグ。

それらの大半は、いずれ押し入れの中でホコリを被ることになります。あれだけ恋い焦がれて手に入れたにも関わらず、手に入ってしまえばいずれは持っていることさえ忘れられていくのです。稀に愛着が湧いて長く所有の喜びが持続することもありますが、基本的に所有の喜びというのは長く続くものではありません。

幸せは所有する喜びの中にはなく、好きである喜びの中にあります。好きになること自体が幸せなのであって、それを所有するかどうかは問題ではないのです。好きになったことは覚えているけれど、所有していることは忘れてしまうのが人間です。

「自分のもの」という喜びは徐々に薄れていき、それが当たり前になり日常に溶け込んでいきます。恋い焦がれた人との結婚も、当初は「自分と一緒になった」という所有の喜びを感じるかもしれませんが、その人が毎日家にいる状態が当たり前になると、それが日常になっていくのです。あなたにとっての幸せは、その人を所有していることではなく、その人のことが好きであることです。

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