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【読切版】Change the World 第7章~あなたの中の光と影。

あなたには生きることが苦しかったり、世界が憎かったりしたことがありませんか?現在進行形でその状態に陥っている方も少なからずいるのではないでしょうか。

その苦しさや憎しみが、その対象に対する思考とそれに伴う感情であることはなんとなくわかっていても、僕らはどうしても「その人が憎い」し「この現実が苦しい」と解釈してしまいます。思考と一体になってしまうのです。

果たしてあなたは本当に「その人が憎い」のでしょうか、それとも「その人によって憎いという思考が湧いただけ」なのでしょうか。もし後者だとすると、あなたが憎しみを向けているその人自身に罪はないことになります。

前章で触れた部分ですが「それらが存在していることに特に意味はない」のです。これは他人というものの共通項を見出だして、極力シンプルに捉えていけばわかります。

他人というものの共通項、そして極力シンプルに捉えるというのはどういうことかというと、例えばこのようなことです。その人の言動や行動は「歩いている」「話している」「手を動かしている」と言い表すことができます。

これをもっとシンプルにしていきます。「歩いている」も「話している」も「手を動かしている」も、結局は「動いている」という一言で片付けることができます。「足が動いている」だし「声帯が動いている」だからです。

その人は自分と同じように心臓が動いていて、呼吸をしていて、動いています。ただしそれには「恐らく」という注釈がつきます。

なぜなら、あなたはその他人の感覚で生きたことがないからです。自分と同じように心臓が動いていて、呼吸をしていて、動いている。そんな当たり前と思っていることすら他人の感覚にならない限り確かめようがないので、絶対にそうだとは言い切れないのです。

もしかすると、自分以外の人は全てロボットかもしれません。まさかと思うかもしれませんが、あなたが「私」以外の感覚を体験できない以上、可能性はゼロではないのです。

ロボットの話は極論ですが、他人というものの解釈を「生命体」という根本的なレベルまで削ぎ落とすと、その「生命体」でしかないものに、自分がいかに多くのレッテルを貼っているかがわかります。

「好きな人」「嫌いな人」「尊敬できる人」「苦手な人」「愛しい人」「憎い人」。全てはあなたがその「生命体」に貼り付けたレッテルです。

「それらが存在していることに特に意味はない」というのは「それらが"どのように"存在しているかに特に意味はない」ということなのです。

「人物」という言葉があるように、この世界は「物質」の世界ですから、あらゆるものが「物体」として認識されます。では「生命体」から「物体」という属性がなくなったらどうなるでしょう?

「生命体」と「物体」で共通している文字は「体」ですね。では「生命体」から「体」という文字を抜いてみましょう。すると「生命」が残りますよね。

そうです。僕らが認識している「自分」や「他人」という感覚を極力シンプルにしていくと、単なる「生命」というものにたどり着くのです。

あなたにとって愛しい人も憎い人も、その昔は子どもだったし、そのまた昔は赤ちゃんだったのです。その赤ちゃんは憎いという属性を持って生まれてきたのでしょうか?

時が過ぎて、大人になり、姿形が変わって出来ることが増えても、僕らに最初に与えられた「生命」という属性以外は全て後付けされたレッテルなのです。

「愛しい人」「憎い人」というのは感覚としてどういうものかわかりますが、では「人」を「生命」あるいはもっとシンプルに「命」と呼び変えてみてください。

「愛しい命」というのは感覚としてわかりますが、「憎い命」というと何か少し違和感を感じませんか?このちょっとした違和感が真実をおしえてくれます。

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