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【本編】Change the World第24章~偽物の願望は「理由」が叶う

特定のことが頭に浮かんだときに嫌な気分になることがあるでしょう。それを思い出すと嫌な気分になることを一般的には悩みと呼びます。その対象は特定の人であったり、お金であったり、仕事であったり、自身の健康についてだったりします。その人のことが思い浮かぶと嫌な気分になる、お金のことが思い浮かぶと嫌な気分になる。その状態を「○○について悩んでいる」と認識します。

そのことを考える度に憂鬱な気持ちになってしまうので、当然のことながら悩みを持っている状態は苦しいものです。その憂鬱をなくしたい。そのことについて思い浮かべても嫌な気分にならないようになりたい。そうして発生するのが願望です。そういった意味では、人生のなんともいえないモヤモヤをなくそうとすることが願望といえます。

例えば、お金のことで悩んでいるとしましょう。「お金がない」その思いが浮かぶ度に憂鬱になります。「お金がない」ということがあなたの悩みであるというわけです。その悩みをなくすにはどうすればいいでしょう。「お金がない」という考え自体が浮かばなければ、憂鬱になることもないという答えはすぐに思い付きます。そこで「お金がない」ではなく「お金がある」にしようという願望が生まれます。

このように、「お金持ちになりたい」という願望は「お金がない」という考えから発生しました。その状態では、お金から連想するイメージはいいものではなくなっているでしょう。「お金持ちになりたい」という願望の目的は、お金に対する嫌なイメージの払拭であるといえます。

思考はこう言うでしょう。「お金がないという不快さから抜け出すためには、お金持ちになるしかない」と。しかし本当に「お金持ちになるしかない」のでしょうか。それが、不快さから抜け出す唯一の道なのでしょうか。「お金がない」というのは、あくまでも考えでありイメージです。それの排除のためには願望の実現が必須だというのがエゴの主張です。

逆に言うと、願望が叶うまでの間は不快さが持続することになります。「お金持ちになりたい」という願望が実現するまでは「お金がない」という考えが浮かぶ度に起こる嫌な気分から抜け出せません。ここで一つの事実に気付きます。実は苦しみの原因は「願望を持つこと」そのものだということにです。

願望は「良くない状況」から抜け出そうとする動きですが、願望が実現して初めて「良くない状況」から抜け出せるのなら、願望が実現するまでの間は常に「良くない状況」が持続することになります。「良くない状況だ」と認識しながら生きるのは、お世辞にも楽しいとは言えないでしょう。

単に楽しみたいための願望は無害ですが、苦しみから解放されるための願望は有害です。一括りに「願望」といっても、思い描くとワクワクする「夢」の属性を持った願望もあれば、思い描いたときに「叶わなかったら困る」という焦りや、「実現しなかったらどうなってしまうんだろう」という不安を生み出すような「苦悩」の属性を持った願望もあります。

願望は実現するし、願いは叶います。もしあなたの願望が実現していないのなら、それは願望という皮を被った苦悩なのかもしれません。願望とは「面白そうだからやってみたい」「かっこいいからそうなりたい」「したいからする」といった目をキラキラさせるような属性のものをいいます。

一方、「そうならないと困る」「叶わなければ終わりだ」「早く実現してほしい」というような緊張感や焦燥感が伴う願望は、実は願望ではなく単なる苦悩なのです。本当の願望が「したいからする」というポジティブな理由から発生しているのに対し、苦悩から生まれた願望は「現状から抜け出したい」という悲壮感から発生します。

それらは願望とは似て非なるものというより、願望とは全く別物です。願望ではないのですから願望とは呼ばない方がいいし、願望ではないのですからいくら願っても叶わないわけです。これら苦悩から生まれた願望を、ここでは「擬似願望」と称して話を進めましょう。

願望と疑似願望は、発生の原因や願望を持っているときの気分が全く違うのですぐに見分けることができます。願望は「これができたら楽しそうだ」とか「面白そうだからやってみたい」といったように充足感を満たすことが目的であるのに対し、疑似願望は「この現状から脱したい」とか「これが叶わなかったら終わりだ」といったように不足感を解消することが目的です。出だしから全く違う感覚なのがわかるでしょう。

願望は考えただけで楽しそうですが、疑似願望は考えただけで憂鬱になりそうです。それは実現を待っている間も同じです。叶うのが待ち遠しく感じるのは同じでも、願望が期待に満ちているのに対して、疑似願望は早く叶ってくれないかという焦燥感に囚われます。

その願望が「いいね」から生まれたのか、「いやだ」から生まれたのかです。「それがいい」から叶えたいのか、「それがいやだ」から叶えたいのか。同じ「お金が欲しい」という願望でも楽しいことに使いたいから欲しいというのと、お金がないのが苦しいから欲しいというのとでは全く別物なのです。

「したいからする」なのか「せざるを得ないからする」なのか。充足に端を発しているのか、不足に端を発しているのか。その願望にあるのは期待感か悲壮感か。叶ったら嬉しいのか、叶わないと困るのか。願望と疑似願望はそうして見分けることができます。

「したい」には理由はありません。強いて言えば「したいから」というのが理由であるのに対して、「しなければならない」には何らかの明確な理由があるでしょう。なぜ「しなければならない」のか、そこが大事なのです。願望には「したいから」以外の理由はありませんが、疑似願望には様々な理由があるのです。

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