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【連載版】Change the World 第5話〜その考えは益か害か【無料】

あなたが他人に対して持っているイメージは推測に過ぎません。後になって「こんな人だとは思わなかった」とか「意外な一面を見た」というようにイメージが覆されることがありますが、それこそ推測が的外れであることの証拠です。他人に対する推測は当てにはならないことの方が多いのです。

推測しているのは思考なわけですが、推測が当てにならないということは、思考は当てにならないということです。しかし、僕らは普段自分の思考を精査することはほとんどありません。大半の場合は、疑うことなく思考は採用されていきます。

ほとんどの人が自分が思考していると信じています。もっと言えば、自分というのはこの「考えている私」のことであり、自分と思考はイコールで結ばれているのです。それ故「自分が言うのだから間違いない」とばかりに、思考は無条件に採用され続けるのですが、実は思考というのはあなたが考えているわけではありません。

思考はランダムに現れては消えていく風のようなものです。ときに心地よいそよ風であり、ときに荒れ狂う暴風となります。どんな思考が浮かぶかをあなたは選ぶことができません。あなたが目を覚ましている間、脈絡なく数えきれない思考が浮かんでは消えていきます。

人は、あたかも自分が考えているように錯覚していますが、思考そのものはあなたがしているわけではなく、単に浮かんでくるだけです。朝の目覚めのまどろみの中で、その日最初の思考が浮かびますが、あなたは「まずこのことから考えよう」と思考をスタートさせているわけではないでしょう。朝いちばんの思考はあなたの意思とは関係なく勝手に浮かんでいるのです。

不思議なことに聞こえるかもしれませんが、あなたの頭に浮かぶ思考は選択の余地がないのです。朝いちばんの思考が勝手に浮かぶのと同じように、放っておいても思考は勝手に浮かんでいるのです。あなたは思考しているというより、思考をキャッチしているのです。

「私の思考」「自分が考えている」というのは、あくまでもあなたの印象です。自分が自発的に考えているわけではなく、浮かんでくるものを受動的に見ているという方が真実に近いのです。よって、あなたは考える者ではなく見ている者です。思考しているのではなく、思考を見ているのです。

どんな思考が浮かぶのかは予測できません。いつどんなどんな強さの風が、どんな方向から吹いてくるのか予測できないのと同じです。そして、あなたは風を起こすことができません。思考は風なのであって、あなたが起こしているのではないのです。あなたは風を見て、それがどんな風かを判断しているに過ぎません。

風をコントロールすることができないように、思考もコントロールすることはできません。風を止めることができないように、思考を止めることはできません。思考の発生に対して僕らができることは何もないのです。

では、人間は思考の奴隷でいるしかないのかというとそうではありません。思考の発生に対して無力なのは確かなのですが、発生した思考に対して取捨選択はできます。どんな思考が浮かぶかは選べなくても、浮かんできた思考を採用するか否かは選ぶことができるのです。

一日を通して実に様々な思考が浮かぶでしょう。そのうちどの思考を選択しても構いません。なぜなら、どのみち思考は憶測でしかないからです。この思考の選択を難しく考えなくても大丈夫です。単に、嫌な気分になる思考は採用しないと決め、気分のいい思考を採用すると決めるだけです。

実はこの思考の選択は、あなたもこれまで生きてきて何度も行ってきた身近なものです。例えば、誰かがあなたの気分を害するような振る舞いをしたとしましょう。嫌な考えがグルグルと渦巻きますが、そんなとき「そう考えることをやめて、こう考えるようにした」という経験はないでしょうか。それが思考の選択です。

「そんな夢みたいなこと言ってないで」「もっと現実的に考えなさい」。もしかすると、あなたも親や他人にそんな言葉を投げ掛けられたことがあるかもしれません。ところが、その肝心な現実は憶測と妄想の塊なのです。つまり、現実といわれているものも、妄想と片付けられることも、どちらも思考の仲間という点では変わりないのです。

現実と妄想の境目など存在しません。丸ごと全てが妄想であるといっていいでしょう。よって、どんな思考を選んだところで妄想であることには変わりありません。全てが妄想であるならば、気分のいい妄想を選べばいいのです。妄想は「そう思っているだけ」、現実は「確固として存在している」。そのように錯覚している人は非常に多いのですが、現実と妄想の境目は実に曖昧です。

では、なぜ妄想と現実がくっきり線引きされているように見えるのでしょう。全ては妄想なのですが、意識的無意識的を問わず、あなたが採用したものが現実となっているのです。現実は確固として存在し動かし難いものではありません。単に、あなたが数ある妄想の中から「これが現実」と定めたのです。丸ごと妄想なのですから、どれを選んでも所詮は妄想です。あなたが「これが現実だ」と定めたものが現実として扱われるというだけのことです。

思考は頭の中でラジオのように絶え間なくおしゃべりを続けているでしょう。そのうちのどんな話題に耳を傾けるかなのです。何に対して「おっ?」と興味を示すかなのです。わざわざ聞きたくもない話題に周波数を合わせなくてもいいではありませんか。その放送局はきっと、あなたの揚げ足を取ったり、批判したりするような番組ばかり垂れ流しているのではないでしょうか。

妄想というラジオ放送で流れている内容は全てフェイクですが、あなたが採用したものはその瞬間に現実として扱われます。けれどそれは元々自分の意思とは関係なく浮かんできたものです。思考は必ずしも事実を語っていないということに気付かなければなりません。

何かの折に触れて思考がポッと浮かびます。何か意味があって浮かんできたわけではなく、単に浮かんだだけです。その時点では、思考は何の効力も持っていません。その思考に何か意味を与えているのは自分なのです。自分の思考に絶対の真実があるわけではなく、事実とするか虚偽とするかは、その後のあなたの選択次第です。あなたが「それが事実だ」とすれば事実となるし、「それは空想だ」とすれば事実とはなりません。

浮かぶ思考を闇雲に全面採用することをやめることです。無条件に何もかも信じてしまっては、思考の信者となってしまうでしょう。毎日、無数の思考が浮かんでは消えていきます。どれを掴み、どれを掴まないのか、どれを採用し、どれを無視するのか、思考ごとに取捨選択してみてください。それは意図的でもわざとらしくても構いません。

「いい考え」「悪い考え」といったものは存在しません。どんな考えが浮かんだとしても、それは文字通り浮かんだのであって、あなたが考え出したわけではないのですから、全ての思考はあなたに責任はないのです。それがどんな思考であっても自分を責める必要はありません。

自然発生したものに良いとか悪いとか判断しても仕方がないのです。繰り返しになりますが悪い考え、例えば意地悪な考えだったり、人としてどうかと思うような考えが浮かんだとしても、それは単にあなたがキャッチしただけであって、あなたが考え出したものではありません。「私はなんて性格が悪いんだろう」などと自己嫌悪に陥る必要はないのです。あなたは性格が悪いわけでも、人間性に欠陥があるわけでもありません。

あなたの思考に何が浮かんでも構わないのです。それがたとえ卑猥だろうと残酷だろうと、その考え自体に罪はありません。良い悪いの判断は思考が浮かんだ後、あなたが行っているのです。あなたは良い考え、悪い考えという判断をやめるといいのです。思考そのものは「どちらでもない」からです。良いか悪いかという判別を止めるかわりに、自分にとって益か害かで判断すると良いでしょう。

益な考えと害な考えというのはピンとこないかもしれませんが、何も難しい話ではありません。あなたにとって気分が良いか悪いかで判断すればいいのです。気分が悪くなる考えは、あなたにとって害です。ロクな結果にならないでしょう。

人を憎むとき、あなたの気分はどうでしょう。腹の底で怒りの炎が燃え上がるのを感じるかもしれません。憎しみの考えが気分がいいということはあまりありません。益か害かで判断すると、あなたの気分を害すばかりで、ほとんどが害な考えでしょう。

そうなるとあなたは人を恨んではいけないことになってしまいます。それはそれで苦しいでしょう。なぜなら、憎んでいる相手を許さなければならないと感じるからです。悔しい気持ちはよくわかります。しかし、僕からのアドバイスはあなたの気分が悪くなる考えは全て放り捨てろ、それを掴むな、それ選ぶなです。なぜなら、あなたの役に立たないからです。

相手が憎くて、そのことによってあなたが苦しむならその考えは捨てた方がいいのです。納得いかない、許せない、どうして捨てなければならないんだと考えてしまうでしょう。その考えが不快ならばその考えもまた捨てます。不快な気持ちを発生させる害な考えを徹底して捨てていくのです。

感情が出るより先に考えがあります。考えがなければ感情は出ないのです。あなたが笑った、あるいはあなたが怒った。そこには何か原因があったでしょう。原因とは、何かを見て浮かんだ考えによるきっかけのことです。その考えをあなたが掴んだから感情が発生したのです。

憎い、腹が立つ。では、その考えを捨てます。相手のことなどどうでもいいのです。相手のために考えを捨てるのではなく、ただただ自分のために捨てるのです。その考えが自分にとって気分が良いのか悪いのかだけを判断基準にしてください。不快なら捨てる。不快だから捨てる。実にシンプルなことです。

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