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【連載版】Change the World 第10話〜空想に色を塗る【無料】

部屋の窓から表の通りを見ていると、そこに人が歩いていました。さて、それは事実でしょうか、現実でしょうか。もちろん事実であり現実です。ではなぜその事実があったのでしょう。

「そこに人が歩いていたから」。確かにそうなのですが、事実が事実として認定されるには一つの要素があります。当たり前のことですが、あなたがそれを事実と認識することです。もしあなたが事実と認識しなければ人が歩いていたことにはなりません。

あなたが別のものを注視していた、或いは何か考え事をしながらぼんやりと通りを眺めていたとしましょう。確かに人は歩いていたのですが、目に入っていないし印象に残ってもいません。「人が歩いていたような気がする」とか「人?歩いてたっけ?」という状態です。こうなると人が歩いていた事実や現実といったものはかき消されます。実際に人が歩いていたにも関わらず、その事実や現実は途端に不確かなものとなるのです。

そう考えると現実というのはなんといい加減なものなのでしょう。あなたが認識するかどうかでハッキリとした現実となったり、不確かなことになったりするのです。事実や現実は、単にあなたの認識にかかっているといえます。

人が歩いていたのは事実なのでしょうか。違います。あなたが「人が歩いている事実」を認識したから、その人はそこを歩いていたのです。現実は全てあなたの認識によって成立しています。逆に言えば、あなたがそれを事実と認識すればそれが何であれ事実となります。たとえ突拍子のないことに思えても、あなたがそう認識したなら誰がなんと言おうと事実なのです。

例えば、あなたがお金に困っているとしましょう。あなたは貧乏なのでしょうか。そう、あなたは貧乏なのでしょう。正確には貧乏と認識しているから、それが現実となっているのです。では、全く逆の認識をしたらどうなるでしょうか。

勝手に浮かんでくる思考のうち、どの思考を掴むか。その瞬間に掴んだ思考が、その瞬間の現実です。前話からそうした主旨で語ってきました。これ以上、細分化しても言葉遊びになってしまい本質を捉えられなくなるので、この話をシンプルにしていきましょう。

人が歩いているというのは思考でもあり認識でもあります。歩いている人を見た瞬間にその存在を認めることが認識です。続いて「人が歩いている」という思考が発生します。その存在を認めることが認識、認識したその存在がどのような意味を持つかを語っているのが思考ということになります。

認識の時点では人は人ではありません。何かを視界に捉えただけです。それが「人」であり「歩いている」というのは思考の仕事ということになります。そうして細分化してしまうとまた話が複雑になってしまいますので、認識と思考はひとまとめにして構いません。「人が歩いていることを認識した」としておきましょう。

思考は勝手に浮かんでくると話しましたが、厳密に言えば先に認識が浮かんでいます。認識すれば現実なのですから、正確には現実が浮かんでいるのです。それがどんな現実かは、その後に出てくる思考に左右されます。

頭の中で絶え間なく思考がおしゃべりをしているでしょう。壊れたラジオのように延々と語り続け、おまけに脈絡もなく話が飛びます。どれを選んでも正解であることは、これまでに語った通りですが、思考が浮かんでいるというよりも絶え間なく現実が浮かんでいるという方が正確です。無数の現実が絶え間なくランダムに現れては消えていきます。

頭に浮かんだ時点でそれは既に現実なのです。とても信じられないような現実もあるでしょう。頭の中でそう思っているだけ。そう感じる現実もあるでしょう。けれど、信じようと信じまいと頭に浮かんだことは全てが現実なのです。

どの現実を選ぶかです。現実であることの証拠を見付けようとせず、全て現実であると気付くことです。それが事実はどうかは、その後に発生する思考によって勝手に分別されています。これをもう一段掘り下げてみましょう。全てが現実であるということは全てが幻想だということでもあります。なぜなら、頭に浮かぶものは全て同じ性質を持っているものだからです。

頭の中では「これは現実」「これは頭の中にあるだけ」と自動的に区別されているでしょう。しかし、最初は全て「認識」という同じものから発生しています。現実と認識するか、幻想と認識するか。元を辿れば現実も幻想も同じものなのですが、ハッキリとそれを区別している者。それが「自分」です。

幻想と現実が同じ「認識」というものによって出来上がっているのですから「全て幻想だ」も「全て現実だ」も同じことです。どちらで解釈しても構いません。幻想と現実は本来区別などされていないことに気付くことの方が大事です。あなたは考えているようで考えていないのです。ここにあるのは認識と記憶です。どれを現実とするかを選んで、それを現実として記憶しているだけなのです。

脳裏に浮かぶものは全て幻想です。頭の中にしかないのですから幻想という他ありません。この意味がわかるでしょうか。現実と思っているものさえも含めて丸ごと幻想であるという意味です。幻想であるが現実でもあり、現実であるが幻想でもあるのです。認識が幻想と現実を自動的に分けているだけなのです。

あなたが目にしている映像は幻想という下絵です。これは、ちょうど色を塗る前の塗り絵のようなもので、目に映っている時点では何の色も塗られていません。その下絵にあなたが認識という色鉛筆で色を塗ります。

あなたは自分の認識に沿って色を塗っていきます。姿形や色、それがどのような性質で、どのような役割か。そして、自分とどのように関わっているか。そうして、幻想という下絵に認識という色を塗るのです。あなたによって色が塗られた世界は鮮やかに現実味を帯びるでしょう。

色を塗る前の状態、幻想の段階では固有の色は着いていません。あくまでも無色の下絵にあなたが色を塗っているのです。鉄を目にすると硬い、冷たいといった色を塗るし、子犬を目にするとふわふわ、かわいいといった色を塗ります。認識が色を塗り、その性質を決めています。

他人で考えると分かりやすいでしょう。姿形、性質、役割、あなたとの関わり方など、それぞれ固有の色をあなたは塗っています。それは家族なのか、恋人なのか、友人なのか、好きな人なのか、嫌いな人なのか。幻想として目に見えているだけの状態では、その人のキャラクターはまだ定まっていません。あなたがキャラクターを決めて色を塗り、生命を吹き込んだのです。

頭の中では絶えず認識が行われます。自分が考えていると実感しているものは、実際にはどう認識するか、どのような色を塗るかを抽選していると言った方が近いのです。信じられないかもしれませんが、その人は最初からそのようなキャラクターだったわけではありません。あなたがその人に固有のキャラクターを色付けしたのです。

幻想が認識によって現実となります。これがあなたが過ごしている世界の仕組みです。この仕組みに例外はありません。あなたに出来ることはどう認識するか、いわばどんな色を塗るかを選択することです。言うまでもなく、どんな色を塗っても構いません。それにも関わらず、自分が仕上げた塗り絵を見て「美しくない」「イマイチだ」と評価しているのは他ならぬあなたです。

幻想という下絵はあなたに変更できません。木を石に変えられないのと同じです。けれど、幻想にどんな認識をしても構いません。その通りの現実が出来上がるだけです。塗ってはいけない色などないし、あなたがその色だと言えば誰にも反論はできないのです。

どんな色を塗るかは絶えずあなたの頭の中にあります。どの色を選んでも正解です。「あの人は私のことが好き」としようが「あの人は私のことが嫌い」としようが、その通りの色が塗られます。

どんな色を塗るか選択するときに、あなたの意思とは関係なく自動的に決まることがあります。「現実的にはこの色だ 」という根拠不明な決めつけです。あまりにも自然すぎて、選択の余地があることすら疑いもしません。本当は何色を塗ってもいいにも関わらずです。

どんなことにも、常に選択の余地があることを知ってください。そう認識しなければならない理由などどこにもないのです。思考はそれらしい理由を語るかもしれません。けれど「現実的にはこうだ」は信用しなくていいのです。

認識によって現実を確定させているのですから、現実的な考えということ自体がおかしなことなのです。認識した瞬間に現実が出来上がるのであって、先に現実がありそれを認識しているわけではないのです。

あなたが現実としているものは、元を辿れば幻想なのです。そこにあなたが認識を加えて現実としたのです。言ってみれば、この世界はあなたの認識が完璧に現実化された世界といえるでしょう。

したがって「私の現実はどうしてこうなんだろう」という嘆きの疑問については「それはそうでしょう。だってそう認識しているんですから」というのが答えとなります。いかに今までの認識を捨てて、新しい色を塗れるかです。

毎度同じような色を選択し続けた結果が今の現実なのです。それが気に入らないのなら即刻塗り替えてみましょう。人生をリフォームするのです。あなたに必要なものは、アーティストになりきって感性の赴くままに今までとは違う色を塗ると決めることだけです。

「その色はもう塗らない」そして「この色を塗ることにする」です。ボロになってしまった家の外壁を塗り替えると気分も一新するでしょう。そこまで大掛かりでなくても、部屋のカーテンを替えたり、少し模様替えするだけでも気分が変わるでしょう。それと同じことです。

あなたがもし、人生に疲れてボロボロになっているのなら、リフォームすればいいのです。ボロ家に不満を溜め込みながら、それを変えられずに甘んじているから苦しいのです。そこで我慢する必要はありません。あなたが思った通りの好きな色を塗ればいいのです。

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