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【連載版】Change the World 第9話〜優先すべきは思考か感情か【無料】

ある嫌な考えを支持し続けて良い方向に向かった試しなどこれまでにあったでしょうか。嫌な考えを持ち続けている間は、気が滅入ったり怒りが沸いてきたりするだけではないでしょうか。

そんな「考えるだけ無駄」なことというのは、日々の思考の中でいくらでも湧いてきます。そのことについて考えると嫌な気分になるのなら、それは全て考えるだけ無駄なことばかりです。不快な考えをつい掴んでしまったときには「考えるだけ無駄だから、そのことについては考えない」とキッパリ言い切るといいのです。

嘆きや怒りはその場にあなたを留まらせるだけで、新しい場所へは連れていってくれません。不平不満には、あなたの世界を嫌な場所にする以外には何の力もないのです。自分に問うてみてください。「この考えは自分にとってどんな得があるんだろう」と。掴んだその思考が、利なのか害なのかを問い質してみるのです。

虫を益虫、害虫と区別することがあるでしょう。動物を益獣、害獣と区別することもあります。無論、虫も動物も人に益を与えようとか、害を与えてやろうと考えて生きているわけではありません。

これらは人間側の解釈であって、虫も動物も存在自体が益なわけでも害なわけでもないのはわかるでしょう。ゴミを荒らすからカラスは害だと言われても、当のカラスは生きるために当たり前のことをしているまでです。人間とはなんともご都合主義なものです。

その考えはあなたにとって益か害か。思考に対する判断はそれだけでいいのです。思考もまた虫や動物と同様、本来それ自体は益でも害でもなくただ存在しているだけです。あなたが益だと認識すれば益だし、害だと認識すれば害となります。

その思考が益か害かの区別は容易につけることができます。思い浮かんだ思考によってあなたの気分が良くなれば益だし、逆に気分が悪ければ害です。良い出来事、悪い出来事というのがあるでしょう。究極的に言えば、良いか悪いかの判断はただの考えでしかありません。益虫、害虫がいるように、益思考と害思考があるようなものです。

思考は虫と同じです。どこからともなく湧いてきて、その存在自体は益でも害でもなく、ただ存在しているのです。益のレッテルを貼るか、害のレッテルを貼るかによって良い出来事と悪い出来事が完成していきます。

害の思考を相手にしないことです。思考そのものはただそこにあるだけで良くも悪くもありません。つまり、全ての物事は良くも悪くもないのです。あなたは自身が見たり聞いたりした出来事に対して、最初から良し悪しが決まっているように感じているかもしれません。

けれど出来事の良し悪しというのは、それに対してどう感じたかによって決まるのです。悪い出来事が起こったのではなく、ある出来事を思考によって悪い出来事と認めたということなのです。

益の思考か害の思考かは、あなたがどう感じたかで判断できることは既に述べた通りです。気分が良ければ益、気分が悪ければ害です。害の思考は何も生みません。正確には悪い出来事が出来上がるだけです。

それ以上、あなたに何かを与えてくれるわけでもないし、アドバイスをくれるわけでも改善してくれるわけでもありません。害の思考を掴まえ続けて起こることは、ただただ悪い出来事の再生産なのです。

かといって、益の思考を充満させなさいと言っているわけでもありません。確かに益の思考が充満していれば、あなたにとっては良い出来事ばかりとなるかもしれません。ポジティブな人の中には自然とそうした生き方をしている人もいるでしょう。

しかし、注目すべきは害の思考の方なのです。なぜなら、害の思考が悪い出来事そのものであるからです。益の思考を追い求めるより、害の思考を捨てる方が手っ取り早いのです。

気分が悪くなる思考はどんなものであれ持っていてもあなたのためになりません。忘れられない怒りや悔しさもあるかもしれません。けれど、あなたが嫌な気分になってしまう以上、それらはあなたのためにならないのです。

一口に悪い思考と言っても様々あることでしょう。簡単には手放せないものもあるかもしれません。積年の恨みなどは特にそうなります。考えたら嫌な気分になるとわかっていてもやめられないというのもまた苦しいものです。

悪い思考を掴まないポイントは、判断基準を簡略化することです。先ほどから述べている通り、出来事の良し悪しは思考の良し悪しであり、思考の良し悪しは気分の良し悪しです。シンプルにその基準を守れば良いのです。つまり、思考の内容に注目しないことです。

内容に注目するから、これは手放せる、これは掴んだままというブレが生じてしまうのです。判断基準をひたすら自分の気分に置き、思考の内容については度外視です。気分が悪くなる思考なら、どんな内容であれ「これは自分のためにならない考えだ」と認める。それを続けてみると良いでしょう。

ムカデが出ても、クモが出ても「嫌な虫が出た。これは掴みたくない」という一括りの認識でいいのです。単に「虫が出た。掴みたくない」です。「この虫はムカデだ。てんとう虫なら許せるがムカデは許せない。なんとか仕返ししてやろう」。その後半部分が不要なのです。

その内容を問わず、嫌な気分になる考えは片っ端から「嫌な考えだ。これは掴まない」。それを徹底してみてください。実際のところ、自分の気分が悪くなる考えほど、自分にとっての重大時であると思い込んでいるだけで、内容など大した問題ではないのです。

人によって不快になるポイントが違うことは、あなたも経験上わかるでしょう。どのような思考によって不快になるか、そしてそれがどれくらいの強さかは人によって異なります。怒っている他人を見て「そんなことぐらいで」と感じたことがあなたにもあるでしょう。あなたにとってはさして不快ではない思考も、その人にとっては強烈に不快であることもあるのです。

実は思考の内容はどうでもいいのです。あなたが望まなくても、どうせ勝手に湧いてくる頭の中の虫です。どんな虫が湧いたのかではなく、嫌な虫が湧いたことに敏感になることです。内容などあってないようなものなのです。

思考の内容よりも、あなたがその思考によってどんな気分になるかが重要なのです。あなたの気分を害しているのは、その思考そのものです。思考の内容に触れる必要はありません。シンプルに「嫌な思考がある」と認識すれば良いでしょう。

内容に触れると、そこからまた更に気分を害す思考へと発展していきます。つい「あいつがあんな態度を取ったから」とか「どうしてこんな仕打ちを受けなければならないんだ」などと、内容の方に意識が向いてしまいますが、意識を向けるのは内容ではなく気持ちの方です。細々とした思考のディテールなどどうでもいいので、ひとまとめに「気分を害す思考だ」としてしまいます。

あなたにとって役に立たない考え、要するに気分を害す思考は内容を問わず全て排除すればいいのです。嫌な気分になったら、内容を吟味せず焼却炉に放り込んで構いません。自分を不快にさせている思考にしがみついてはならないのです。「この悔しさを忘れずに」なんてどうでもいいことです。捨てる勇気を持つこともまた大事なことです。

不快な思考をどうにかしようとしなくていいのです。夢や願望というのは結局、不快な思考をしないように不快の種となっているものを取り除こうとすることです。この場合、それが叶えば不快の種は取り除かれますが、叶わなかった場合には不快の種がいつまでも残ることになります。

不快な思考の内容に囚われるとそうなってしまうのです。だから、不快な思考は内容を吟味せず、その思考が浮かんだときの気持ちにだけ着目するのです。

そもそも僕らは現実を認識しているのではなく、認識が現実そのものなのです。現実を見て思考しているのでもなければ、思考が現実を創っているのでもありません。思考と現実はイコールのものです。

何かの思考を掴んだ瞬間、それは現実を認識した瞬間でもあります。現実となるのではなく、その瞬間が現実そのものなのです。何の思考を掴んだにしても、それがそのまま現実です。

生まれて初めての真新しい瞬間に、真新しい自分として存在する。何ら不思議なことではありません。現実は全て、真新しい瞬間にその都度、その瞬間に出来上がります。瞬間ごとの現実の生成です。

人生とは結局それの繰り返しなのです。連綿と続く瞬間ごとの現実の生成、そして生成された現実の記憶。それが人生の正体です。あなたが今体験するこの瞬間は、これまで一度も体験したことのない瞬間です。

常に新しい瞬間を体験しているのですから、常に新しい自分であっても何ら不思議はありません。常に新しい瞬間に新しい自分として在ればいいのです。これまでに前例がないとか、体験したことがないということなど何の関係があるというのでしょう。

どんな自分であるかはあなたが決めればいいのです。あなたがその自分であることを誰も否定できません。真新しい瞬間に真新しい自分がいることに何の疑問があるというのでしょう。考えれば考えるほど当たり前のことを言っているに過ぎないのです。

過去の記憶に引き摺られて、あなたが思う「今の自分」に甘んじている必要はないのです。ランダムに浮かぶ思考のうちのどれかを掴むまで、現実は確定していません。なにも起こっていないのです。何かの思考を掴むと同時にその現実が確定するということです。

あなたはいつまで同じような自分を掴んで握り締めるのでしょう。そこに何のメリットがあるのでしょう。自分を変えるとか、新しい自分を見付けるなどということは、そんなに気負わなくとも普段から常に行われていることなのです。

逆に、なぜ自分は変化していないと思い込んでいるのでしょう。新しい瞬間には新しい自分がいることをなぜ認めようとしないのでしょうか。いつまでも自分は変わっていないという方がナンセンスなのです。

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