【連載版】Change the World 第24話〜思考の基準を変える【無料】
現実か虚実か。可能か不可能か。人は普段そうした基準による判断に慣れ親しんでいますが、その基準はあなたの役には立たちません。判断基準を変更して新しいルールで思考を認識してみましょう。
新しい基準は、あなたの役に立つか立たないか。意味があるかないか。気分がいいか悪いかです。従来の、現実か虚実か、或いは可能か不可能かは問いません。例えば「裕福だ」と「困窮している」という二つの思考が浮かんだとします。このときに気分がいいのはどちらでしょう。
恐らく「困窮している」という思考が心地いいという人はあまりいません。よって、どちらが気分がいいかと問われたら「裕福だ」を選びます。しかしここで、慣れ親しんだ「真実か虚実か基準」での分類によって横槍が入ります。
「実際に困窮しているのに心の中だけで裕福だと言っても意味がない」というわけです。だからこそ真実か虚実かの基準で判断することをやめましょうというのが今回のお話です。その基準で判断することをやめ、単純に気分のいい方を選ぶようにしてみます。そうであるかないか、そうなれるかなれないかといったことは度外視で構いません。
あまり深く考えずに答えてほしいのですが、あなたの人生に「困窮している」という思考は必要でしょうか。この思考に対して、辛く苦しい気分になるのなら、あなたにとって「困窮している」という思考は役に立たなそうです。
「困窮している」と考えることに何かメリットはあるでしょうか。メリットはなさそうだと答えるのも正解だし、それがモチベーションになると答えるのも正解です。間違いというものは存在しません。ただし、困窮という状態は、もがけばもがくほど深く沈み込んでいく底無し沼であることも確かです。「困窮している」という思考を採用し続ける限り、あなたは困窮から抜け出せなくなってしまいます。
「実際に困っているのにどうやって裕福だと思い込めばいいんだろう?そうしたところでただの妄想じゃないのか」。正にこれが、あなたが真実か虚実か、可能か不可能かで思考を判断していることの証拠です。言ったはずです。真実か虚実か、可能か不可能かという基準を捨ててくださいと。そして、それらを度外視して単に必要か不必要か、気分がいいか悪いか、メリットがあるかないか、それを基準にしてくださいと。
「困窮している」という思考は考えただけで気が滅入る、だからこれからは裕福だと思い込もう。これもまた大きな罠です。僕は「困窮している」という思考は気分がよくないから、その思考は持っている必要がないと言っているだけです。裕福と思い込みなさいとは言っていません。
前話の終盤で述べた通り、人生も世界も現実も、存在する全てのものには境界線がありません。グラデーションであり、国境のようにくっきりと裕福と困窮が定まってはいないのです。困窮しているという思考を採用しないならば、裕福と思い込まなければならないというのは、白黒をハッキリつけようとする基準から生まれています。
つまりは真実か虚実かの基準から抜け出せていないのです。今まさに困窮している人は、困窮が真実で裕福が虚実だと判断しているということになります。困窮という真実を採用しないならば、裕福という虚実を採用しなければならないと思ってしまうのです。
そもそも、真実と虚実も他のものと同様に境界線は存在しません。そうした白黒つけようとする基準は確実に本質を見誤ります。その基準をやめ、単に「困窮している」という思考が何の役にも立たない不必要なものだと認識すればいいのです。それが嘘臭く聞こえる人は、あえて「裕福だ」と唱える必要もありません。「困窮している」を採用しなかったら何が残るかを考えてみれば自ずと理由はわかるでしょう。
「残り物には福がある」とはよく言ったものです。いつも感心させられるのは、先人たちが残した名言や格言、あるいは諺といったものの中には、極めてシンプルに本質を伝えている言葉が散りばめられていることです。「困窮している」という思考をなくしたら後には何が残るでしょうか。それは「困窮している」がない状態が残ると言えないでしょうか。
「困窮している」という思考をあなたは欲していません。単純に言えば「困窮している」が消えた状態が欲しいのです。それは理解できるでしょう。裕福な状態になりたいということと、困窮している状態をなくしたいというのは同じことを言っています。裕福な状態がイメージしにくいなら、無理にイメージする必要はありません。あなたはただ染み付いた困窮の思考を手放していけばいいのです。
では、「裕福になりたい」その思考は必要でしょうか。この思考は通常、夢や願望と呼ばれます。一見するとモチベーションにも繋がりそうだし、希望を持って生きようとするポジティブな印象を受けるかもしれません。しかしその実、「裕福になりたい」は「今は裕福ではない」或いは「今は困窮している」という宣言でもあります。
これには気を付けなければなりません。エゴはポジティブな振りをしてネガティブな思考を採用しようとすることがあるのです。「○○になりたい」は全て「今は○○ではない」の確認作業ともいえます。ポジティブに見えて実はネガティブなのです。
純粋に願える人なら全く問題ないのですが、そこに「どうやって」「どうしたら」という思考が発生する人は、素直に願う方法は適しません。願いとは逆の思考、この例で言うと「困窮している」を採用しない方法の方が合っています。
願望を手放すという表現を聞いたことがある人もいるでしょう。もし願望が「裕福になりたい」であれば「今は困窮している」を手放すということです。素直に願えない人は願望を捨てた方がいいというのは、そうしたカラクリがあったのです。聞けばなるほど、単純な話なのです。
「裕福になりたい」という願望を捨てるのは、「今は困窮している」という思考を捨てるためです。そして、「今は困窮している」を捨ててそこに残るものは何かという話です。困窮している人にとって「裕福だ」というのは虚実にしか聞こえないでしょう。
このとき困窮が真実で裕福が虚実と認識されます。平たく言えば裕福だというのは妄想と受け取られます。素直に願える人というのは、真実と虚実をすんなりとひっくり返せる人のことをいいますが、多くの場合はそう簡単にひっくり返せないものです。
真実か虚実かの基準に慣れきってしまっているため、裕福という思考が虚実にしか見えないからです。真実と虚実を簡単にひっくり返せない場合は、その虚実が真実となるように考えます。要するに願望として持つことになるのです。そしてここでも慣れ親しんだ基準が発生します。その願望に対して、可能か不可能かという判断基準です。
裕福か困窮かという判断に使われた真実か虚実かの基準。それによって行われた困窮が真実で裕福が虚実だという判断。それはまだ致し方ないと言えるかもしれません。繰り返し真実として採用してきたので簡単にひっくり返せない気持ちもわかります。
しかし、裕福になることが可能か不可能かという基準で判断するのはいかがなものでしょうか。仮に不可能だとすると、そこに根拠はあるのでしょうか。なんとなくフィーリングで「無理そうだ」とか「難しそうだ」と言っているだけではないのではないでしょうか。
「それは可能だ」という思考を妄想扱いするなら、「それは不可能だ」という思考が確かである証拠を示してほしいものですが、はっきり言って可能か不可能かという基準には根拠がありません。なんとなくフィーリングでそれを採用しているだけです。
本当は裕福と困窮を判断した最初の基準もフィーリングなのですが、困窮が真実という思考を繰り返していくうちにガチガチに固めてしまったため、フィーリングという一言では崩せなくなっているのです。
真実か虚実か、可能か不可能かという基準には共通点があります。本当のところは自分にもわからないという点です。正確にどちらか決めることは本質的に出来ません。絶対と言い切れるほどの根拠がないとも言えるのです。よって、フィーリングに頼るしかない基準なのです。
そこで、根拠を必要とせず尚且つ確かな基準で判断するために基準の変更を行うのです。最も良い基準は、やはり気分がいいか悪いかという基準です。思考の内容はなんでも構いません。気分が悪い思考は徹底して排除し、気分がいい思考はそのまま放っておいて構いません。必要か不必要か、メリットがあるかないかという基準もいいでしょう。
では例を挙げて実践します。引き続きお金を例に挙げますが、「お金がなくて辛い」という思考が浮かんだとします。これを真実か虚実かを基準に判断すると、恐らくイエスと答えてしまいます。だからその基準では判断しないようにします。その困窮から抜け出す思考が浮かんだら、今度は可能か不可能かという基準で判断しそうになります。この場合も恐らくどうすればいいかわからないとなってしまいます。要するに不可能を選んでしまうでしょう。だから、可能か不可能かという基準も使いません。
あなたの基準は気分がいいか悪いかです。「お金がなくて辛い」という思考で気分がいいはずないでしょう。気分が悪い思考は不要です。よってこの「お金がなくて辛い」は無くてもいい思考であるといえます。
思考に対するスタンスは、真偽や可能不可能で判断せず、自分にとって心地いいか、意味があるか、メリットがあるかという基準がいいのです。最も簡単なのは、嫌な気分を感じたら内容に関係なく問答無用で「いらない」と言ってしまうことです。
思考が浮かんだとき、その内容に関係なく「考える必要があるか」「考える意味があるか」を自分に問うてみる癖をつけるといいでしょう。1日に浮かぶ思考のうちのほとんどは無用の長物であることに気付くはずです。
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