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【連載版】Change the World 第8話〜自由な定義【無料】

自分は人気がないとか、好かれていないとか、お金がないとか、ここがダメだとか、不幸だとか、満たされていないとか、そう言っているのは誰なのでしょう。そういった考えが浮かぶこと自体は仕方ありません。なぜなら、どんな思考が浮かぶかは自分では選べないからです。

あの人にこう言われたからそうに違いない、こんなことが起きたのをこの目で見た、だからそうに決まっている。それもまた、ただの考えに過ぎません。自分が絶対の真実だと確信していることですら単なる考えなのです。

その証拠に、自分が確信していることを他人に伝えるときに「私はそう思っている」とか「私はそう信じている」と付け加えるときがあるでしょう。ほら、文字通り「思っている」「信じている」だけなのです。

あなたが見ている世界は、あなたが信じているものが具現化されたものです。あの人も言っていたから間違いないとか、この目で見たから間違いないと言っても、結局は最後の「だから間違いない」という考えをあなたが支持しているだけです。

良いことが起きた、悪いことが起きたという自分の中の分類も、結局は周囲のリアクションや振る舞いを見て「こう感じる人が多いらしい」ということから判断した考えに過ぎません。

あなたの目の前に映像があります。それをあなたは見聞きします。それはあなたが目撃したことかもしれないし、他人が話しているのを聞いたことかもしれません。それに対して、あなたに何らかの考えが浮かびます。

あなたはその考えに「その通りだ」と言ったり、「それは違う」と言ったりするでしょう。どんな考えにイエスとしてもノーとしても、絶対に間違えることはありません。なぜならどちらを選んだにせよ、あなたが決めた瞬間にそれはあなたの中では真実として扱われるからです。

あれはああいうもの、これはこういうもの、ああしたらああなる、こうしたらこうなる。何を肯定しても否定しても正解です。ここはあなたの世界なのですから、あなたにとっての正解でいいのです。

このような文章を読んでいるということは、どうもあなたは外からの影響を受け過ぎたようです。外の世界に正解はありません。あなたが自分の中で正解と決めたことが常に正解なのです。正解はあなたの中にしかありませんから、あなただけの正解を見つけてください。見つけてくださいというより、あなただけの正解を決めてください。

ではこんな例を出してみましょう。「勝手な振る舞いをすると人に嫌われる」「仕事をしなければお金は手に入らない」。さてどうでしょう。あなたはこの二つの事柄にイエスと答えるでしょうか、ノーと答えるでしょうか。

この質問はどちらが正解ということはありません。あなたはイエスかノーか、あるいはどちらでもないかという自分なりの答えを持っていることを確認したかったのです。あなたの答えがあなたの世界では真実となります。

シンプルな方法としては、自分にとって気分のいい考えにはイエスと言い、気分の悪い考えにはノーと言うことです。もしくはスルーでもいいでしょう。考えなど放っておいても無数に浮かんできます。いちいち相手にするのが面倒なら相手にしなければいいし、それがどうしたと突き放しても構わないのです。

先ほどの質問の答えがどんなものであっても構いません。何が正解で、何が真実かという話ではなく、あなたの世界ではその見方が正解であり真実であるというだけです。

例えば「いい大学に入らなければ人生が悲惨なものになる」という考えがあるとしましょう。これは恐らく賛否両論あるのではないでしょうか。何度も言いますが、正解はありません。正解は人それぞれとしか言いようがないのです。正しいと思う人は正しいと思えばいいし、間違いだと思う人は間違いだと思えばいいということです。

他人がどう言っているかとか、集計するとこちらが多数派だったとか、常識的に考えてこちらが正しいとか、そんなものはどうでもいいのです。あなたの世界ではあなたの決定が絶対なのですから。

一般に難解だと思われる質問もしてみましょう。非常に根本的でありながら、同時に難解な質問です。世界はどんな場所でしょう。現実はどんな仕組みなんでしょう。人間とはなんでしょう。人生の意味はなんでしょう。生きているとはどういうことでしょう。自分とはなんでしょう。これらの質問は答えられそうで答えられないのではないでしょうか。答えられたとしても自信をもって間違いないとは言い切れないのではないでしょうか。

「誰かがそう言った」「科学で証明されている」「その学説が主流である」「そう考えるのが自然だ」「常識的にそうだろう」。では、その科学だの、学説だの、常識だのというのは、間違いなく真実を語っているのでしょうか。そして、それを間違いなく真実だとしているあなたの根拠はなんでしょうか。

あなたが科学や学説や常識を信じているのなら、「これらは信頼できる」という考えにイエスと唱えているということになります。どこまで突き詰めていっても、自分のイエスとノーが最終的な見解であることには変わりないのです。

学術的でも、科学的でも、常識的でも何でもいいのですが、それらの「○○的な見解」を根拠にして「それが正しいに違いない」と決めているのはあなたです。その根拠がなんであれ、最終的な見解はあなたの手に委ねられています。あなたがどの考えを支持するかが、あなたの世界の最終見解です。

誰がなんと言ったかではありません。それを支持するのはいつでもあなたなのです。あなたが様々に飛び交う考えの中から、あなたの世界のルールを決めています。ある人がこう言っていた。またある人はこう言っていた。どちらを選んでも正解です。あなたの世界ではあなたが選んだ方が正解なのです。

あなたの世界はあなたが自由に定義付けて構いません。誰かから聞いた、あるいは本で読んだ見解を採用してもいいし、オリジナルの世界観をルールとしてもいいのです。ぜひあなただけのオリジナルの常識を作ってください。裏付けなど必要ありません。どのみち正解はないのですから裏付けなどあるはずがないのです。

全ての物事は「どの考えを掴んだか」によって決まっています。浮かぶ思考は選べませんが、どの思考を「自分の思い」とするかは選ぶことができます。その一方で、どの思考を選択するかによって、その思考と類似したものや連想されるものが浮かぶことがあります。

思考が一定の方向へ一直線に向かうことがあるカラクリがそれです。悪い方へ考えると、どんどん悪い方へ考えていくという経験は誰にでもあるでしょう。思考が浮かぶ、それを採用する、類似した思考が浮かぶ、それを採用する…その繰り返しによって思考が勢力を増していくのです。

自分には思考に同調する癖があることに気付くといいのです。どの思考を選んでも正解なのに、つい「今の自分」の設定からかけ離れた思考は「そんなことあり得ない」と切り捨てて、「今のままの自分」にふさわしい思考を採用しようとします。

僕らは事実を見て、それについて考えているのではありません。考えを採用した瞬間に事実となるのです。瞬時に事実が出来上がるといっていいでしょう。思考に正解はなく、どれを選んでも間違いではないのと同じように、事実に正解はなく、間違いもありません。夢物語のように感じる考えを採用したとしても、その夢物語のようなことが事実となるのです。

現実とは陽炎のようなものです。ゆらゆらと揺らめいていて実体はなく、触れることも出来ません。けれど、その陽炎が固体となる瞬間があります。何かの考えをパッと掴まえた瞬間です。その一瞬だけ、幻のような陽炎が実体を成すのです。

今日一日のことを振り返ってみてください。今日はどんなことがあったでしょう。一日のうちの大半の時間をあなたはロクに覚えていません。これは、意図的に実体とした瞬間があまりないからなのです。印象に残っているシーンというのは「こうだ」とハッキリ認識した瞬間です。一日のうちのハイライトはそうして出来上がっているのです。

一日、あるいは一週間、さらには一年を振り返ってみてください。どんなことがあったでしょう。昨日の記憶ですら曖昧なのに、この一年で記憶に残っていることは、一年という時間から比較するとごく微量ではないでしょうか。

逆に言えば、この一年間のうちでハッキリと印象に残っているシーン以外は、陽炎のように揺らめいているのです。一年365日、8,760時間もの時間を過ごしてきたはずなのに、記憶に残っているのは細切れになったものの数秒か数分のシーンだけではないでしょうか。一年間の大部分は記憶に残らないままどこかへと消えていっているのです。

記憶に残っているシーンには共通点があります。それは、強い感情を伴う出来事であったということです。印象的な景色を見たことや、感動的な優しさに触れたこと。逆に、強い怒りを感じたり、強い悲しみを感じたこと。そのシーンが記憶に残るかどうかは、感情の強弱に左右されています。

印象に残るという言い方をしますが、強い感情を伴ったことは印象に残りやすいのです。ここ一年の記憶を辿っていくと、日常の大半は印象に残っていないでしょう。印象に残っている部分以外を思い出そうとしてもなかなか難しいはずです。

印象に残っていない時間には何があったのでしょう。印象にも記憶にも残っていないのなら何もなかったも同然です。あなたは確かに生きていたはずなのですが、特になにもなかった平凡な日々としか言いようがないでしょう。

良い感情や悪い感情を伴うと、それは印象に残ります。良い感情とは、愛情と考えて良いです。何気ない一日の出来事のうち、何に愛情を与えるか、何に嫌な感情を感じるか。その選択だけでも印象に残る出来事は変化します。もし、あなたの願望に愛情を与えたらどうなるか。それは印象に残る出来事として記憶に刻まれていくでしょう。

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