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【連載版】Change the World 第25話〜可能性の議論をやめる

「これがしたい」という思いに応えるために生まれるのが願望ですが、願望に対して「できるかできないか」の判断基準を使うと実現が遠のきます。そこで新しい判断基準を「したいかしたくないか」に設定します。現実にできるかできないかではなく、現実にしたいかしたくないかで考えるのです。

そもそも、できるかできないかの判断は自分にはできません。願望が実現するか否かは「わからない」というのが正直なところでしょう。それを事前に判断できるのは神の領域であって人間の領域ではないのです。一方、したいかしたくないかの判断は神の領域ではなく人間の領域です。神の領域と人間の領域を混同しないことです。

人間に判断できるのは、それをしようとしたときに「したいかしたくないか」。もっと絞って言うならば、それをしようとしたときに「気分がいいか悪いか」です。前述の通り、それをしようとしたときに「できるかできないか」の判断は人間には無理ですから、したいかしたくないかだけを決めて、あとは神に委ねるのが得策です。

人生に改善したいことがあるとき、「できるかできないか」を基準に判断すると気が滅入ることの方が多いのです。なぜなら、大半の場合は「できない」という判断になるからです。「できる」のなら、とっくに改善されているはずですから当然といえば当然です。

あなたの悩みがどのくらい長く思い煩っているものなのかはわかりませんが、それが一向に改善されない現実が続いてきたのなら、「できない」という判断を起こすのは仕方のないことです。けれど、「できない」はあなたが決めることではありません。

人間にわかるはずがないのに、勝手に判断して勝手に落ち込む必要はありません。一方で、「できるできない」は自分には決められないということの裏を返せば、自分には実現する力はないということでもあります。

これは、あなたが無能だからではないし欠陥があるからでもありません。そもそも人間には何かを叶えるという能力が備わっていないのです。ですから、あなたはしたいかしたくないかだけを伝えればいいし、そうするより他ないのです。子どもたちがサンタさんにお願いするのと同じようにです。

クリスマス間近の子どもたちの姿勢は大いに参考になるでしょう。子どもたちはサンタさんに欲しいプレゼントを純粋にお願いします。子どもたちは大人と違って叶うか叶わないかということをいちいち分析したりはしません。

大人の場合は自分の能力や周囲の状況といったことから実現可能性を算出しようとしますが、子どもたちにとってそんなことはお構いなしです。叶うか叶わないかはさほど重視しておらず、純粋に叶うと信じて祈りを捧げます。大人と比べて遥かにシンプルなのです。

願いが叶うかどうかが、自分にはわからないことを子どもたちはよくわかっています。むしろ大人の方がわかっておらず、「わかりたい」と悪あがきをしてしまうのです。知識や経験といった記憶が積み重なっているおかげで、難易度や実現可能性がなんとなく読めてしまう気がしてしまうのです。

あなたがすべきことは、「できるできない」を度外視してサンタさんにお願いすることです。できる確率やできる方法を考える必要はありません。むしろそれについて考えることは余計な廻り道なのです。必要なのは子どものような純粋さであり、むしろそれしか必要ありません。

願望の実現になぜ自分が関与できないのか。願望とは自分以外、すなわちは自分の世界を理想的な好ましい形に変えたいという願いが大半だからです。しかし自分以外を変えることは難しいのです。難しいというより不可能といった方がいいでしょう。それはあなたも経験上で重々わかっているはずです。

夜空に瞬く星を消したり、ぷかぷかと空に浮かぶ雲を自在に動かすのが不可能であるように、自分以外を変えることができない以上、あなたに願望を叶える力はありません。繰り返しになりますが、願望とは基本的に自分以外を変えようとすることだからです。変わるかどうかは神のみぞ知るといったところでしょうか。

コントロール外のことをコントロールしようとするのは、操作機器を持たずに手ぶらでラジコンカーを意のままに操ろうとするようなものです。思い通りに動かないどころか、一ミリたりとも動かないでしょう。全く動く気配すらないその状況は何かに似ていないでしょうか。そう、あなたの現実です。あなたの現実もこのラジコンカーのように動く気配すらないのではないでしょうか。

あなたは願望は自分次第で叶う確率を上げられたり、叶えることができると思っていないでしょうか。そう思っているのなら、自分が世界をコントロールする操作機器を持っていると錯覚しています。しかし、あなたには世界をコントロールする術はなく、丸腰で世界と向き合っています。

世界はあなたの言うことなんか聞いてくれやしないし、思うがままに振る舞ってはくれません。つまり、現実を変える力はあなたにはないのです。夢や願望は自分が叶えるものだという、極めて重大で基本的な勘違い。ここに気付けるかどうかが願望実現の鍵となります。

願望を持つことがいけないと言っているわけではありません。願望を持つことは構わないのですが、それを叶えるのはあなたではないということを知ってほしいのです。できるできない、可能不可能、なれるなれない。あなたとってその部分はコントロール外の神の領域ですから、神なりサンタクロースなりに丸投げして任せた方がよほど堅実なのです。

願望が浮かんだら、叶えたいか叶えたくないかの意思を表明すればいいのです。願望について考える基準をそこに置きます。願望が実現するかどうかはコントロール外ですから、あなたにはどうすることもできません。努力や意気込みで結果が変わるという代物ではないのです。

あなたはそれが嫌なのでしょう。結果を意のままに操りたいのでしょう。理想の結果に導きたいのでしょう。けれどそれはできません。結果のコントロールは諦めて、自分以外のものに委ねた方がいいのです。できるできない、可能不可能、なれるなれない。そうしたことを自分でコントロールできないと言われると、あなたはどんな気持ちになったでしょうか。

自分にはどうしようもできないと捉えると、決していい気分にはなれないのではないでしょうか。一方、こういう見方もできます。可能か不可能かはあなたが決めることではない。ということは、あなたが今「難しい」とか「無理だ」と言っていることであっても、可能か不可能かはあなたが決めることではないということになります。つまり、勝手に自分の可能性を閉ざしてはならないとも受け取れないでしょうか。

言い方を変えてみましょう。あなたの願望がなぜ願望なのかというと、現状では実現不可能だから願望なのです。現状で可能なら既に叶っているはずだからです。あなたは願望を持っているというより、不可能性を持っていると言った方がいいのです。可能不可能は自分が決めることではないというのは、可能であると決めることはできないが、不可能であると決めることもできないという意味です。

あなたは自分の願望を叶えることが可能だという確信が欲しいのでしょう。「きっとできるよ」と元気付けてあげることはできますが、残念ながら可能だと言い切ることは僕にはできません。もちろん、あなたを含めた他の誰にもできないことです。一方で「絶対に不可能だ」と言い切ることもまたできません。

あなたは願望に対して可能であるという確信を欲しがりますが、そもそも願望は現状では不可能と確信しているから願望のままなのです。不可能という確信がなければ既に実現しているはずです。よって、可能と確信することと、不可能という確信を解くことは結果的には同じことです。

当たり前の話なのですが、あなたの願望はまだ叶っていません。叶っている、可能だ、できる、そう思っていることは既に叶っているか、叶っていなくても当たり前にできることだから願望とはならないのです。例えば、水を飲むということは現時点では叶っていなくても、当たり前にできることがわかっているので願望とは呼ばないでしょう。

現時点で叶っているものは願望ではありません。これが願望が願望たる最低条件です。それに加えて、当たり前にできることは願望とは言いません。これをまとめると、願望とは叶っていないことであり、尚且つ叶えることができないと認識していることを指します。

人は「そうなれていなくて、これからもそうなれない」と思っている状態を願望と認識しています。具体例で表現してみましょう。「お金持ちになれていなくて、これからもお金持ちになれないと思っている」。この状態には、夢や希望というニュアンスが含まれていないので意外な感じがするかもしれませんが、これが願望を持っている状態なのです。

願望は総じて、できない、不可能、なれない、と認識していることであるというのがわかるでしょう。できていなくて、これからもできないと思っていること。そうなれていなくて、これからもそうなれないと思っていること。願望を持っている状態を言葉で表現するとそういうことになります。

夢や願望を持つことは前向きでポジティブな印象を受けますが、なんともネガティブな状態であることがわかるでしょう。願いがなかなか叶わず悶々とするのも無理はありません。願望を叶えるには、できていないという認識を変えるか、これからもできないという認識を変えるかです。

その認識が変わりさえすればいいので、どんな手法であっても構わないのですが、その認識を変える一つの方法が「できるできない」の判断をやめることなのです。一般的に夢を実現するには、可能性を高め、不可能を排除するのが良しとされがちですが、可能性の議論自体をやめてしまうのです。

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