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【連載版】Change the World 第23話〜幸せのグラデーション【無料】

現実の全てを過去扱いしてみましょう。現状を嘆く思考が浮かんだときに「前はそうだったな」といったニュアンスの返答をしてみます。そもそも、その思考が浮かんできたのは「既に知っている」から、つまりは過去に起こったことの認識だからです。思考と本当の「今」とはズレがあります。思考が認識した時点で、全てが過去の出来事と思って差し支えありません。

「前は苦しかったな」「あのときは辛かったな」「あの時期は苦労したな」「そんなときもあったな」。あなたが現状と思っているものは既に過去です。ですから現状を過去扱いするのは間違いではないのです。

現実と認識された時点で既に起こったこと、既にあったことですから、もう終わったことであると言えます。あなたが現実をどんなに苦しいものだと認識していたとしても、それはもう終わったことなのです。

あなたの現実は既に終わったことですから、今は違うということです。あなたの認識をもってその現実は終了です。そういった意味では、現実は創られていくというより、その都度認識によって完結され保存されていくものです。

あなたが認識した全てのことはもう終わったことですから、現状を変えたいというのは終わったことを変えたいというのと同義です。思考はいつでも後付けなのです。なにかの現実が起こる。何が起こったのかを確認する。事実を吟味し伝える。これはメディアの報道によく似てます。思考は事実を述べているのではなく、起こったことに対する印象を報じているのです。

思考はあくまでも後付けの解釈であることを覚えておくといいでしょう。思考が発生するのは必ず映像を見た後なのです。一つ確実に言えることは、思考が報じている時点でその事象は既に終わっているということです。思考は事実を述べているのではなく、事後に追認を行っているといった方がいいでしょう。

同じ出来事のニュースが、報じる新聞社やテレビなどによって見解が異なることはよくあります。取材する者、編集する者、報じる者、解説する者、それぞれの主観が入り込むためです。歴史的な事件はもとより、近代の事件に関しても複数の説があることは珍しくありません。

そういった意味では、恐らく真実の報道というのは皆無なのでしょう。もしあるとすれば、あなた自身が目撃したものに限られます。ニュースが何重にも主観が重なった形で報じられていることは理屈で理解できたと思います。

しかし、それらは複数人の主観が入っているため、ある意味では比較的常識的な解釈と言えるかもしれません。主観が重なっていくということは、複数の違う視点が挟まるということですから、ニュースのチェック機能を果たしているといえます。これが全て一人の視点によるものだったら、ただの個人的な感想です。

一人が目撃し、取材し、編集し、報じ、解説する。もしそんなことがまかり通ったら、ニュースはでっち上げし放題、捏造し放題になります。そうなったら事実や真実は闇の中です。報道は意味をなさなくなり、何を信じればいいかわからなくなるでしょう。

ここまで言ったらもうわかったことでしょう。あなたの現実が正にこの状態なのです。あなたの視点から世界を目撃しているのはあなたしかいません。なにが起こったかという判断は、メディアでいうところの取材です。それについて考えるのが編集、事実と認定するのが報道、原因や今後について語るのが解説としておきましょうか。

言ってみれば思考は、目撃、取材、編集、報道、解説を全て一人で行っているメディアのようなものです。誤報やフェイクニュースが混じっていてもチェックする第三者がいないためそのまま報じられてしまいます。非常に自由ではありますが、プロパガンダ的な危険性のあるメディアとも言えるでしょう。

あなたは自身の頭の中を駆け巡るこのメディアの放送をすっかり信じてしまったのです。あなたの現実が今そう見えているのは無理からぬ話なのです。一つの事象を取り上げて、あたかも全てがそうであるかのように扱うことが思考の常套手段です。思考の正体はかなり偏ったメディアのようなものです。憶測、捏造、曲解、誤報、プロパガンダが多分に含まれています。

そもそも、真実というものは一つもありません。あなたが認識した瞬間に、例えそれが誤報であっても真実となります。正しかろうと誤りであろうと、あなたが認識したものが真実なのです。よってこのメディアは真実の種を報道しているといっていいでしょう。全て間違いだといえば間違いだし、全て正しいといえば正しいのです。なぜなら、真偽のほどはあなたが決めているからです。

如何なる思考も浮かんだ時点では真偽は確定していません。そこにあなたによる真偽のジャッジが入り、事実か空想かが決まります。真とすれば事実に、偽とすれば空想に分類されるわけです。ところがこの真偽のジャッジが曲者です。なにしろ全てが自分によって行われているので正解がないのです。フィーリングで決めているといっても過言ではありません。

もし真偽を公平かつ完璧な第三者が行うなら、正しい真偽を知ることもできるかもしれません。しかしそれは、恐らく神の領域となるでしょう。つまり人間には正確な真偽をジャッジすることはできないということです。

人は普段、フィーリングによってジャッジを下しています。「そうだな」とか「それはないだろう」といった具合です。身の丈に合ったものは「そうだな」というし、身の丈に合わない夢物語には「それはないだろう」といいます。そうして事実と空想が分けられるのですが、フィーリングに任せておくと、いつも同じようなジャッジしか下さなくなります。よって似たような現実が繰り返されます。

フィーリングではなく、なにか新しいジャッジの基準を定めたほうが良さそうです。とはいえ、そのジャッジの基準は難しいものではありません。ジャッジの基準を「真偽」ではなく「役に立つか立たないか」にするのです。「嘘か本当か」はどうでもいいのです。あくまでも「その考えが役に立つか立たないか」です。

例えば「お金に困っていて辛い」という思考が浮かんだとします。それに対して本当か嘘か、そこから抜け出せるか否かといった基準で判断しないようにします。新しい基準は、その考えが役に立つか立たないかです。

「お金に困っていて辛い」その考えはあなたに何をもたらすでしょう。そう考えたらお金が入ってくるのであれば、いくらでも考えればいいのですが、考えたところでそこから救われないのなら、それは役に立たない考えです。逆に、そう考えたところで気が滅入るだけで何の役にも立ちそうにありません。ならばその思考は採用すべきではないということです。

この基準の素晴らしいところは真偽を問わないことです。例えばお金に困っている人に「私はお金持ちだ」という思考が浮かんだとします。真偽を基準にすると恐らく「そんなことはない」と一蹴されてしまうでしょう。

或いは「お金持ちになる」という思考の場合、できるかできないかを基準にすると「どうやって?」とか「どうすればなれるんだろう?」「難しそうだ」「無理だ」と却下される可能性が高くなります。そのような基準で判断することをやめるのです。

どんな思考であっても、あなたが「イエス」と決めたらそれが真実であり現実です。思考に「イエス」とお墨付きを与えること、それが認識です。どのような基準で「イエス」と言うかは人それぞれだし、ケースバイケースでもあります。

この世を天国とするか地獄とするかは、思考を取捨選択する際の基準が深く関わってきます。あなたはただ苦しくない選択をすべきです。だから、どう転んでも苦しくならない基準で判断するといいのです。

例えば「出来る出来ない」を基準にした場合、「出来ない」にイエスがついたときに自分の能力にケチをつけなければならなくなります。「真か偽か」を基準にすると、「偽」だったときに「そんなにうまくいくはずないよな」とガッカリしなければならなくなります。

どちらに転んでも苦しくない基準の一つが、先ほどの「役に立つか立たないか」なのです。他にも「気分がいいか悪いか」「必要か必要でないか」という基準もあります。よく言われる「視点を変える」というのは、思考の取捨選択の基準を変えることとも言えるでしょう。

どんな思考を選択するかによって人生は様変わりします。人生とはいわば思考と認識の塊だからです。もしあなたの人生が重苦しいなら、思考を取捨選択する基準を変えてみてください。

多くの人が真実か虚実か、可能か不可能かという判断基準しか使わないまま生きています。他の判断基準を使ってもいいにも関わらずです。しかし、現実を判断するのは自分一人です。よってあなたの判断は誰に咎められるようなものではありません。あなたはもっと自由な判断を下していいのです。

白か黒か決着をつけたがるのが思考の癖ですが、人生や世界がそんなにくっきりと色分けされるはずがないのです。青空だってグラデーションです。もっと曖昧でいいのです。成功か失敗か、幸せか不幸せか、裕福か困窮か、全てはくっきりと色分けされてなどいません。

ここからこっちは幸せ、ここからあっちは不幸せといったラインをあなたは見たことがあるでしょうか。どのような生活、或いはいくらの預金があれば裕福で、いくら以下なら困窮なのか。明確に答えられるでしょうか。これでわかるでしょう。判断の明確な基準など最初から存在していないのです。

この世の全てはグラデーションなのです。夜明けも日没も突然スイッチが切れるように明るさが変わるのではなく、徐々に明るく、徐々に暗くなっていくでしょう。明確に「それ」と決める明確な基準は存在しません。不幸せから幸せになることは国境を越えるようなものではなく、グラデーションの濃淡なのです。

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