【連載版】Change the World 第28話〜自分との闘い
生きていると、考えるだけ無駄なことがたくさんあります。例えば「死ぬのが怖い」。これの何が無駄かというと、考えたところでどうにかなるわけではないからです。「死ぬのが怖い」と考えれば考えるほど安楽に死ねるというならいいのかもしれませんが、残念ながらどんな死に様なのかなど誰にもわかりません。考えるだけ無駄だし、無駄に恐怖心を煽るだけで何のメリットもないのです。
あなたの願望である「したいこと」が出来るかどうかは「死ぬのが怖い」と同じです。要するに考えても仕方のないことなのです。ですから出来る出来ないはひとまず度外視して「○○したい」、ただそれだけでいいのです。出来るかどうかはわかりませんが「○○したい」と言うだけならタダです。
出来る出来ないは度外視して、とにかくやりたいことを願ってみる、いくつもあるならいくつでも願ってみる。願うのはタダなのですから。そして、考える必要のないことは考えません。考えるだけ無駄なことは考えません。考えると気が滅入ることは考えません。考えるメリットのないことは考えません。考える意味がないことは考えません。
未来のことは考える必要がありません。これもまた考えても意味がないことだからです。そもそも未来という地点が存在しないので、未来について考えることは常に空想となります。未来について考えても意味がないということは、叶うか叶わないかという願望の行く末を考えても意味がないということでもあります。
したいけれど出来ないのが願望ですから、願望とは「したい」という前半部分と「できない」という後半部分で成り立っています。「したい」を「できない」で打ち消していると言っていいでしょう。 打ち消しているのでプラマイゼロ、つまりは何も進展しないし変化しないというわけです。願望となっている間は進展は期待できないのです。
この「したい」と「できない」の打ち消し合いは、考えただけでもどかしくストレスになりそうです。実際、願望を持っているときというのは決して楽しい状態ではありません。そこで鍵を握るのが後半部分です。
「できない」と言い切っているわけですが、そこで「できるできない」の判断から下りるのです。「それは自分が判断することではない」「それは自分が決めることではない」「それはわからない」その他、あなたがしっくりくる表現で可否の不透明性を宣言するといいでしょう。
「したい」という前半部分と「できない」という後半部分が別物であることを認識するといいのです。「願望実現」と一括りにするのではなく、「願望」と「実現」が全く別の話であることを知るのです。前半部分の「したい」が願望を、後半部分の「できない」が実現を表しています。あなたが関与できるのは願望の部分だけです。実現の部分には関与できません。
「したい」と「できない」を同時に行うことは、車に例えると「したい」というアクセルを踏みながら、「できない」というブレーキを同時に踏んでいるようなものです。それでもジリジリと前に進んでいくかもしれませんが、目的地に着く前に車は壊れてしまうでしょう。
ここでいう車とは、言うまでもなくあなた自身です。願望を持っている状態は壊れる可能性があるほど大きな負荷がかかっているということです。願望から「できない」という後半部分を差し引くと、「したい」だけが残ります。本当の意味での願望とは、この純粋な「したい」だけが残った状態なのです。
あとのことはわかりません。実現するかもしれないし、しないかもしれません。それはあなたにはわからないし関係のないことです。ここでいう関係のないことというのは関与できないという意味です。
本来の願望とは「したいことをする」と決めることであって、「したいけどできない」と嘆くことではありません。「できるできない」の判断から下りて「したいけどできない」から「したいからする」に願望そのものの定義を変えるといいでしょう。
「歯を磨きたいから歯を磨く」「水を飲みたいから水を飲む」「食べたいから食べる」「寝たいから寝る」「そこへ行きたいからそこへ行く」。気付いていないかもしれませんが、日常の行動は全て願望実現の繰り返しです。あなたはそれらの行動をいちいち「できるできない」で判断していないでしょう。「できない」という発想自体がなく。単に「する」を選択しているのです。
願望を願望のままにするか、願望と実現をセットにするか、その境目は「できるできない」の判断をするかしないかです。それを判断しなければ、願望と実現はセットなのです。ここで一つの疑問が湧き起こります。「できるできない」の判断をしているときに「できる」を選択した場合はどうなるかです。
もちろんその場合も願望と実現はセットになります。ただしこれには注意が必要です。というのも、「できるできない」の判断が行われたときに「できる」が選択されることはほとんどないからです。ほぼ100%「できない」が選択されると言っていいでしょう。なぜなら「できるできない」を判断しているという時点で、既に「できる」ことを疑っているからです。
「できない」と判断していたものが、経験や鍛練によって「できる」と判断できるようになったら願望は実現します。確かに理にかなっているのですが、同時にそれはエゴ的な手法であり、「できる」と判断できるようになるまで自分に鞭を打つ手法でもあります。
できないあなたが悪いのではありません。単に「できるできない」の判断をすると、ほぼ100%「できない」の判断が下されるだけなのです。悪いわけでもなく欠点があるわけでもないのに「お前にはできない。できないお前が悪い」と鞭を打たれる自分の立場を考えてください。そんな理不尽なことがあるでしょうか。
あなたは今まで「できるできない」の闘いに勝利しようとしてきたでしょう。「したいこと」が現れたときに「したいけれど出来ない」と判断し、それを「したいことが出来る」に変えるために努力してきたでしょう。
例えば「恋人が欲しい」という願いがあり、「今のままではできない」と判断しているとします。この時点で願望として持つわけですが、このときの「できない」を「できる」に変えることによって恋人を手に入れようとするのがエゴ的手法です。
「できない」という強敵に勝たなければならないわけですが、勝つためにはその根拠となるレベルアップが必要です。それは容姿を磨くことかもしれないし、コミュニケーション能力を高めることかもしれないし、収入を増やすことかもしれません。
あなたは「自分にはコレが足りないから勝てない」と判断したこと、逆に言えば勝ち目を見出だしたことを補う努力をするでしょう。それが一定のレベルに達したら「これで勝てるかもしれない」となるわけです。
「自分との闘い」というのはよく使われる表現です。あなたは自分と闘っているし、現実と闘っているでしょう。自分の世界を認めたくないし、その世界を変えることができない自分を認めたくないのです。
闘いに勝つことを目指すのではありません。そもそも闘う必要がなかったことに気付くのです。勝つこと、つまりは「できる自分」になることに固執するあまり、何のために闘っているかさえわからなくなっているのです。自分が幸せになるために自分と闘うという矛盾に気付くべきです。「自分ができるようにならなければ願望は実現しない」。ここに根本的な誤りがあります。
自分と闘うことをやめること。これは願望実現において核と言ってもいいものです。人間が闘っているものは大きく二つ、現実と自分です。まず満足できない現実と闘い、それを満足できるものにしようとしますが、それが出来ないと今度は出来ない自分と闘うのです。自分とも自分以外とも闘いっぱなしです。
苦しみから抜け出す唯一の方法は「闘うな」です。「したい」と願った自分と、それを「出来ない」と判断した自分との闘い。「変わりたい」或いは「変えたい」という自分と、「変われない」という自分との闘いです。
相手は常に「自分」です。「できない」と主張する自分に勝てば、確かに願望は実現するでしょう。しかし、自分に勝つこと無理ではありませんがほぼ不可能です。なぜなら「できない」と主張する自分を、「できる」と納得させるための根拠を示さなければならないからです。
僕らは「できない」を「できる」に変えることが願望を実現する唯一の方法だと信じ続けていました。確かにそれも一つの方法だし、「できる」に変われば願望は実現する可能性が高いのは確かです。しかし、同時にこの方法は非常に骨が折れるし、キリがないのです。
自分と闘うと勝たなければならなくなります。「できない自分」を捩じ伏せ、「できる自分」を優勢にしなければならなくなるのです。なぜそこまで頑固に「できない」と主張するのかはわかりませんが、とにかく「できない」と主張する自分は極めて強敵です。あっさりと「できる」に寝返ることはまずありません。
何かと難癖をつけて「まだできない」と主張してくる自分を説得するのは至難の技で、よほどの根拠がない限り納得しないと思った方がいいでしょう。だから「闘わない」という選択肢を選ぶのです。最初から「できない自分」の土俵に上がらなければいいのです。
しかしこれは、多くの人にとって誤解を招くでしょう。土俵に上がらないということは「できる自分」の不戦敗となるからです。勝つのは結局「できない自分」であり、できないままで終わるのではないかというわけです。この「闘わなければ不戦敗になる」という部分の解除が肝です。
あなたは現実という自分以外の動向とも闘っているし、自分自身とも闘っています。自分と自分以外を引っ括めてあなたの人生ですが、あなたは人生に疲れたり傷付いたりするでしょう。それはあなたが人生と闘っている証拠です。闘わなければ疲れないし傷付かないのに、あなたは人生という目に見えない敵と闘ってしまっているのです。
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