見出し画像

【連載版】Change the World 第26話〜できないというブレーキ

仮にあなたがお金持ちなら、お金持ちになりたいという願望は持ちません。そしてもし現状ではお金持ちでないとしても、お金持ちになれることがわかっていれば願望とはなりません。お金持ちでもなく、お金持ちになれないと思っているときに限り願望となります。

こうして考えると、願望とは「なりたい」という希望に溢れたポジティブな状態というより、「なれない」という困難さを伴ったネガティブなものと言えそうです。実際、願望を持っているときというのは辛く感じることの方が多いのではないでしょうか。

願望は希望に満ちているというより、「どうすれば」「どうしたら」「難しい」「無理だ」「想像もつかない」と頭の中がグルグルして、混乱と困難さが渦巻く状態といえます。願望を持つことそのものが、不快の原因となることはよくあるのです。

できるかできないか、なれるかなれないか、それはあなたのコントロール外であることは前話で述べました。そう言われたときにあなたはどんな気分になったでしょうか。それによってあなたが「できる」と「できない」どちらの側に立っているかがわかります。

「できるかできないかわからない」に対して、「それでは困る」「できないと嫌だ」という思考が発生して不快な気分になったのなら、あなたは「できない」側に立っています。一方、「できないと決めつけることはできない」「不可能というわけではないかもしれない」という思考が発生して気分が良くなったのなら、あなたは「できる」側に立っています。

実は「できない」「なれない」と白黒はっきり決めつけるよりも、「できるかどうかわからない」という曖昧な状態の方が遥かに前向きなのです。そこで「できるとわからなければ嫌だ」と言ってしまうと、「できない」の側へ付いてしまうことになります。

「できるかできないかわからない」は、どちらとも断言していませんから、どちらの可能性も否定していません。それを「できると確信できなければ嫌だ」と突っぱねるのは、「できない」と決めつけているから出てくる言葉です。

解釈をもっと柔らかくすればいいのです。強固な「できない」をほぐしていきましょう。「できない」よりも「できてもできなくてもいい」の方が可能性が広いことを知るべきなのです。その方が、最初からできないと決めつけるより遥かに良い状態です。その精神は、必ずあなたの可能性を広げてくれるでしょう。

あなたの願望が「お金持ちになりたい」だとします。その答えは「なれるかなれないかわからないし、それを決めるのはあなたではない」です。どうでしょう。「なれない」「難しい」「どうしたら」と悶々とするより、よっぽどスッキリするのではないでしょうか。一抹の寂しさを感じるとは思いますが、その潔さが大事です。

「できるできない」「なれるなれない」の判断から下りると逆に可能性は広がるのです。奇跡でも起きない限りできない可能性が高いというより、現状ではできる可能性もできない可能性も両方あるという方が格段に良い状態といえます。

願望を叶えるための最もシンプルな方法は願望を持たないことです。そもそも願望とは叶わないことが前提となっているのです。裏を返せば、叶わないと思っているから願望であるとも言えます。これまで願望として持っていたものは目標とするといいでしょう。願望というと、どうしても叶えたいし、叶わないと嫌だというネガティブな気分になるでしょう。

一方、目標としておくと達成できるかもしれないしできないかもしれません。できなかったとしても死活問題ではないというニュアンスにならないでしょうか。願望を特別視するのをやめて、もっと柔らかく軽いものにすればいいのです。

願望と目標の違いは、達成が死活問題か否かです。願望とはなれないと思っているものになりたいと願っている状態、目標はなれていないけどなろうとしている状態です。結果の観点から言うと、結果が出なければならないのが願望、結果を委ねているのが目標です。

願望と目標の違いについてのもう一つの見方は、願望は結果をコントロールしようとしている状態、目標は結果を委ねている状態です。しかし、結果は自分以外の動向に左右されることもあり、あなたにはどうすることもできないことが多々あります。結果を委ねるというより、委ねるより他ないのです。

願望実現について語るときに「願望を諦める」という表現があります。これは個人的な感想なのですが、この言葉ほど不親切で誤解を招く表現はないように思います。誰が最初に言い出したのかはわかりませんが、余計に混乱が生じるのではないかと思うのです。

願望を諦めなさいと言われても、どうやって諦めるのかわからないし、そもそも願望を諦めた状態がどんなものかもわかりません。そして、間違いなく「諦められない」という思考とぶつかることになります。

願望を諦めるとは、ごく簡単に言えば自分には叶えられないことを知ることです。いかなる願望であっても、あなたはその実現に関与していないし、関与できません。繰り返しになりますが、自分が叶えるわけではないのです。

では願望の実現は何に委ねればいいのでしょうか。今までは自分に委ねて頑張っていたことと思いますが、自分が叶えられないとなると自分以外に委ねるしかありません。ならばまず、自分にはどうしようもないことだと認めるのです。それを「運命に翻弄されるしかない」とするか、「自分以外のものに委ねよう」とするかです。

自分以外とは具体的に何に委ねればいいのでしょう。難しく考える必要はありません。自分以外ならなんでもいいのです。いちばんわかりやすく頼りになりそうなのは神様でしょうか。あるいは亡くなったおばあちゃんでもいいし、ご先祖様でも構いません。そのへんの石ころを何でも叶えてくれる「幸運の石」としてもいいし、旅行先で買ったアンモナイトのキーホルダーをご神体としてもいいのです。鰯の頭も信心からとはよく言ったものです。

自分以外となると、範囲は極めて広大です。宇宙から自分を差し引いたものが自分以外ということになるからです。宇宙に委ねる、世界に委ねる、世の中に委ねる、社会に委ねる、天に委ねる。あなたにとって頼りになりそうで素敵だなと思うものに委ねてみることです。

結果が自分の手から離れて、自分以外の手に委ねている状態を願望を諦めると表現しているという解釈で良いです。実際に諦めたのではなく、その結末を委ねる先を変えたのです。願望の結末は自分以外に委ね、自分で叶えることは諦めたと解釈するといいでしょう。

何事も、自分には出来ないと判断するのはやめることです。出来ないと判断するから願望と化すのです。したいことが浮かんだときに、即座に思考が浮かぶはずです。「難しい」「どうやって」「どうすれば」「無理だ」「想像がつかない」。それらは全て出来ないという判断をしたということになります。

したいことが出来る場合は、出来ないという判断はもちろん、出来るという判断も起こりません。水を飲もうとしたときに、いちいち「それが出来る」と判断しないでしょう。意外な盲点なのですが、「出来る」の場合は思考は浮かばず、「出来ない」ときに限って思考が浮かぶのです。

出来ないという思考が浮かぶこと自体は仕方がありません。そのときにその思考をどうするかです。その思考がなければ、考えるまでもなく出来るのです。「出来ない」という思考が浮かんだときには、「それは自分には決められない」「わからない」と答えるといいでしょう。その答えを自分以外に手渡すのです。

何かしたいことがあるときに「出来ない」という思考が生まれると願望となりますが、出来ることの場合は「出来る」という思考が生まれるというより、出来る出来ないの判断をしていません。

例えば、歯を磨こうとします。そのときに「出来ない」という思考は生まれません。かといって「出来る」という思考が生まれるわけでもありません。つまり、出来るとも出来ないとも判断していないのです。強いて言えば「する」と判断しただけです。

この状態こそ出来る出来ないを自分で判断していない、自分が判断することではない状態です。自分が結果に関与していないことが腑に落ちていると「したいこと」は単純に「する」ことが出来るのです。自分が判断しているときだけ、したいことがストップするとも言えます。

「無理だ」「難しい」「出来ない」「どうやって」。それ自体が「する」にストップを掛けている原因です。願望とは叶えたいことではなく、「出来ない」と判断して却下した「したいこと」だったのです。

苦悩があるから願望が生まれたのではなく、願望が生まれたから苦悩するのです。願望はあくまでも「したいこと」に対して「出来ない」と認識した証拠に過ぎません。夢でも希望でもポジティブなものでもなく、「したいことをする」のを妨げるただのブレーキだったのです。

したいことをする。なりない自分になる。ならば方法はシンプルに「する」「なる」です。それ以外に何があるというのでしょう。「出来ない」「なれない」は、あなたが勝手に決めたことなのです。

世界中のどこを探しても「自分には出来ない」「自分にはなれない」と決めることが出来るのは自分しかいません。例えそれが「人にそう言われたから」とか「常識的に考えて」であったとしても、それを最終的に事実としたのはあなたです。他人にそう言われたとしても、あなたにはそれを流すという選択肢もあるのですから。

本来、出来る出来ないということがあなたには判断できないのは既に語った通りです。なぜなら、全てが人生の途中経過だからです。途中経過を見て出来る出来ないなど判断しようがないでしょう。結末を見ていないのだからわからないのです。人生は肉体が朽ちるまで全ての瞬間が途中経過なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?