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【連載版】Change the World 第30話〜人生のコントロールをやめる

本来、願望実現の段階は「したいかしたくないか」と「するかしないか」の二段階です。しかし、エゴの視点から見た場合には、この二段階の間に「できるできない」が追加された三段階になります。しかも、この三段階のうち本来は不要であるはずの「できるできない」が最重要項目のように扱われます。これでは願望実現が上手くいかないのも頷けるでしょう。

願望実現という言葉をよく見てください。願望実現を分解すると「願望」と「実現」です。願望は「したいかしたくないか」、実現は「するかしないか」。どこからどう見ても二段階なのです。願望実現という言葉自体が、それを如実に物語っているでしょう。

なぜ願望実現に本来不要であるはずの「できるできない」という段階が追加されてしまうのかというと、それがエゴの仕事だからです。なにもしなければ願望実現は「したいからする」「したいけどしない」「したくないけどする」「したくないからしない」の四択で済むのですが、そこに「できるかできないか」のクッションを入れて複雑にしてしまうのがエゴの習性です。このクッションが挟まることによって、願望実現にストップがかかります。

これを車で例えてみましょう。まず願望実現の原動力があるでしょう。最初の「したいかしたくないか」という第一段階です。これは車で例えるとエンジンに当たります。「したい」となればエンジンをかけるし、「したくない」ならエンジンはかけません。

次の二段階目である「するかしないか」は実際に動くことを担っているわけですから、車で例えるとタイヤに当たります。「したい」とエンジンをかけ、それを原動力として「する」とタイヤを動かして路面を蹴り目的地に到着するというわけです。

願望実現は本来ならそれで完結しているのですが、エゴの視点だとエンジンとタイヤの間に「できるかできないか」が挟まれます。これはマニュアル車のクラッチといえます。「できない」という判断はクラッチを切った状態です。その状態ではエンジンの動力とタイヤが繋がっていないので、いくらエンジンをふかしても動力はタイヤに伝わりません。

どれだけ強く「したい」と思っても、タイヤは一ミリも動いてくれず車は前進しないのです。あなたがどれだけ真剣に願っても、クラッチが切れていれば目的地に到着することはありません。思いの強さはエンジンの回転数だとすれば、燃料は減り、エンジンに支障をきたします。強い願望で疲弊してしまう、あるいは壊れてしまう理由がわかるのではないでしょうか。

エンジンとタイヤを繋ぐクラッチをどう扱うかが願望実現の鍵を握っています。エンジンとタイヤを直結してしまえばいいというのがここまでの話ですが、また別の考え方もあります。先ほど言った通り、「できるできない」の判断はクラッチなのです。偶然なのですが、日本ではマニュアル車のことをミッション車と呼ぶ人もいるでしょう。文字通り「できるできない」は願望実現において、あなたに課されたクリアすべき「ミッション」なのです。

願望実現をマニュアル車的に捉えていると、マニュアル的にミッションをクリアしなければならず、ミッションをクリアすることによってクラッチが繋がり前進するという考え方になります。いわば一般的な願望実現法と言えるでしょう。

マニュアル車は自分でギアを選び操作して走行します。操作が増える分複雑ではありますが、確かに「自分が動かしている」という実感は得られるかもしれません。そして、ほとんどの人がそうして人生のマニュアルを片手にミッションをこなしながら生きているはずです。

人生のマニュアル、人生のミッション、人生を自分で動かしているという感覚。あなたがマニュアル車を運転するかの如く現実を捉えているなら、それは幻想に過ぎません。人生を自分という車に乗って旅をするものと例えましょう。人は自分が運転して目的地に辿り着くものだと思い込んでいます。だから、自分が自由自在にコントロールして好きな目的地へ行こうとします。あなたが欲しがっているのは人生の完璧なコントロールです。

しかし、あなたの人生はあなたにはコントロールできません。目的地を決めているのはあなたですが、運転しているのはあなたではないのです。あなたはそもそも運転手付きの車の後部座席に乗っているのです。後部座席でいくら頑張ったところで、車をコントロールすることはできないでしょう。

車を運転するように、好きなときに好きな場所へ、自由自在に駆け回ることがあなたが人生に求めていることではないでしょうか。だから自分で運転したいし、人生を操縦したくなります。完璧にコントロールできれば人生はあなたの思うがままでしょう。

そうであれば尚更、自分が運転しているのではないことに気付いて、コントロールしようとするのをやめるべきです。あなたの車は信頼できる運転手が走らせています。仮にその運転手は神様としておきましょうか。あなたは神様が運転手を務める車に乗車しています。行き先を告げればどこへでも連れていってくれる魔法の絨毯のような車です。

あなたはその車を自分で運転しようとしているし、自分で運転しているつもりになっています。なんとも滑稽ではないでしょうか。あなたは自分が乗っている車を神様が運転しているとしても、自分で運転しようとするでしょうか。もちろんそれもあなたの自由ではあります。

しかし、神様に運転をお願いしておけば、あなたは行き先を告げるだけで目的地まで連れていってもらえます。一方、自分で運転したい場合はナビがありません。目的地に辿り着けるのかは不明だし、今走っている道の方向さえわかりません。

自分で運転するからブレーキを踏んだり、クラッチを切ったりして進むことを止めてしまうのです。余計なことをせず任せておけば良かったのです。そもそも「できるかできないか」という判断は自分でコントロールしようとするから生まれる発想なのです。

あなたの領域にあるのは、最初の「したいかしたくないか」と、最終的なゴーサインである「するかしないか」です。そこを勘違いして自分でコントロールして目的地へ辿り着こうとすると、その中間に「できるかできないか」が発生するというわけです。

最初の「したいかしたくないか」で目的地を決め、最後の「するかしないか」でそこに行くことを決めました。中間に生まれた「できるかできないか」は、要するに自分の運転で行けるかどうかということです。裏を返せば、自力で辿り着く自信があるかないかの判断をしているといえます。

あなたは一生乗り放題のタクシーで人生を駆け回っています。タクシーに乗ったらどうするでしょうか。「どこどこへ行って下さい」と告げるでしょう。この瞬間に「したいかしたくないか」と「するかしないか」を両方とも決めています。「どこどこへ」は「したい」、「行って下さい」は「する」。

願望の注文というのはそれほど簡単なものなのです。目的地を言い、行って下さいと言う。とてもシンプルでしょう。心配しなくても大丈夫です。あなたが乗っているタクシーの運転手はもしかすると見えないかもしれません。しかし、そのタクシーは神様が運転しています。

もちろんあなたを安全に目的地まで連れていってくれます。下手に自分が運転しない方がいいのです。自分が運転しても神様に運転を委ねても目的地は同じです。目的地が同じなら、あなたは目的地に着くまで車窓を流れていく景色を楽しめばいいではありませんか。あなたは一生、旅の途中なのですから、その瞬間瞬間の景色を楽しめばいいのです。

目的地に着けるかどうかがあなたにとって死活問題なのでしょう。あなたはどこかの目的地へ向かっているはずなのですが、その途中の景色は自分の願望とは裏腹な場面ばかりが見えるような気がしないでしょうか。どこへ着くかもわからない状態で不安になる気持ちはわかります。

その道中も何かが実現しているはずなのですが、一体なにが実現しているのかというと自分が「できる」と認識しているものが実現しています。「できない」と認識しているものは願望という形で存在しているわけですから実現はしません。

願望を実現する。一見すると全く違和感はありません。しかし、あまりにも自然な矛盾を抱えた言葉でもあります。「願望」とは「実現していない状態」のことです。「願望を実現する」という一文の「願望」を「実現していない状態」に置き換えてみるとよくわかります。「実現していない状態を実現する」。

そう。願望を実現するという言葉自体が、願望を実現することの拒否宣言なのです。わかりにくければ「願望」を「叶っていない」と翻訳しても構いません。叶っていないから願望ですからこの翻訳でも正解です。

ではやってみましょう。先ほどと同じように「願望を実現する」の「願望」という部分を「叶っていない」に置き換えてみます。さてどうなったでしょう。「叶っていないを実現する」です。わかるでしょうか。「願望を実現する」という言葉自体が既におかしいのです。意味がわからないというか、あなたの願いとは真逆ではないでしょうか。

実現しているなら願望ではないし、願望であるなら実現していない。頭が混乱しそうですが、願望とはそもそも実現するものではないのです。実現する必要がないと言った方がいいでしょうか。誰が好き好んで「実現していない状態」を体験したいと願うでしょう。あなたの願いはそうではないはずです。

「願望の実現」は「実現していない状態の実現」ですから、結局のところ実現していないのです。あなたのイメージする「願望の実現」を矛盾なく表現するならば「実現の実行」となります。「実現していない状態」という架空の状況を作り出すから矛盾が生じるのです。

願望というものを特別視してはなりません。願望とは平たく言えば単に「したいこと」なのです。どれだけ特別なことに思えても、「水を飲みたい」「ご飯を食べたい」「そろそろ寝たい」と難易度は同レベルなのです。

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