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『恋せぬふたり』をみた

高橋一生・岸井ゆきの主演のNHKドラマ『恋せぬふたり』を観た。
そこには近年叫ばれている多様性尊重の動きへの疑念が感じられた。

主演の2人が演じる羽・咲子はともに恋愛感情・性的感情をもたないアロマンティック・アセクシュアルで、その2人が一緒に暮らすいくことで幸せを探していく様子が描かれていた。
2人の生活はどこかちぐはぐでありながら愛らしく、観ているこちらも幸せな気分でいっぱいになった。

このドラマでとても印象的だったのが、明確な区別をグラデーションにする場面があったという点だ。
咲子がアロマ・アセクの人々が集う交流会に足を運ぶシーンがあり、そこで様々な価値観をもつ人々の話を聞き、咲子は自分の他者との違いに肯定的になる。

上記では便宜上「恋愛感情・性的感情を"もたない"」と書いたが、それはもつ/もたないで二分化できるものではなく、一人ひとりによってその程度はグラデーションになっている。番組ブログにも下記のような言及があった。

★咲子と高橋以外の当事者の姿を描いてもらうようご相談しました
・一人で生きていくのが楽しい人
・自認に迷っている人
・ロマンティック・アセクシュアルの人(他者に恋愛感情を抱き、性的に惹かれない)
・同居はしていないパートナー関係
・同性同士のパートナー関係
など、本作で「アロマンティックやアセクシュアルはこういう人たち」というステレオタイプな像が生まれないよう、イベントシーンで可能な限り、様々な当事者の姿を描いていただけるよう調整しました。(当然、これらが全てではなくごく一部です)

『恋せぬふたり』考証チームブログ 第6回

このシーンで私は、アロマ・アセクやLGBTQなど近年叫ばれている話題を表面上で区別してしまっていることに気付かされた。
それぞれの価値観の程度はあくまでグラデーションであり、それらを"普遍ではないもう一方"と捉えるのは間違っている。

脚本家・吉田恵里香氏はこのドラマが受賞した向田邦子賞のスピーチで”特別に描かないよう心掛けた”と話していた。
恋愛や性別に限らず、人々のもつ趣味嗜好に特別なものなどなく、一人ひとりの中でその指向が形成されていれば問題ないということに気づいた。

エンディング曲のCHAI『まるごと』が演出するチルな雰囲気もとても心地よかった。
重要なテーマでありながらゆったりと観られるいいドラマに出会えた。

脳内の引き出しが足りないので外付け脳みそとして活用しています。