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「バナナフィッシュ」原作読了の記録

※原作を読破した日の深夜に寝られず書いたメモです。


バナナフィッシュは愛の物語だ、と誰かが言った。

wikiの大まかなあらすじで見かけるのは薬物、マフィア、ストリートギャング、などの物騒なワードばかりだが、このストーリーの本質は愛憎劇である。これは確実に言えることだ。
私はamazon primeに一日中かじりついてアニメを観ていたのだが、音声だけを所々聞いていた妹がその愛憎劇ぶりに驚き「これもはやバナナフィッシュ関係なくね?」と口出ししてきた。その場では「いやっ、うーん、関係あるんだけど〜〜、」と答えるほかなかった。
(読了した方にはわかってもらえるのではないだろうか?)


タイトルにもなっている「バナナフィッシュ」がキーとなる物語ではあるのだが、しかし主題〜主菜〜は愛で、バナナフィッシュの存在自体はそもそもそれを彩るスパイス、エッセンス〜副菜〜のような役目を果たしているーーーーーそう言って過言ではない。
(そうは言ってももちろん、話の設定がまず素晴らしい。バナナフィッシュの謎解き要素はフックとなり人の興味を大いにそそる。それはさることながら、原作のあらすじにも「本作はハード・ロマン」との記載があり、こんなにもピッタリのボキャブラリーがあったかと感心いたしました、それくらい愛とロマンの話なのだ)

今更この不朽の名作についてゴチャゴチャと解説をすることもあるまいと思うので、最も私の心に残った一点について、それだけ、記録しておきたい。

性別を超えた愛

愛とは個人の喪失である、とはよく言ったものだと思う(バナナフィッシュとは関係ない文脈でネットで見かけた文言)。
愛し愛されるということは、突きつめて言えば、自分と他者との境目が薄れわからなくなってしまうことだ。あなたが苦しければ私が苦しい、あなたが幸せだと私も幸せ。さらに言えば、あなたが苦しむくらいなら私が苦しみたい、あなたが死ぬくらいなら私が死ぬ。そういうことである。言葉にすると安っぽいが究極的にはそういうことだろう。

愛、ロマンと言うと、男女の関係がしばしば想起されるものである。しかし本作は男同士の愛情(まさに上記のような個人の喪失)が描かれていて、そこがまず一般的な少女漫画と一線を画している部分だと言える。友情や絆という語彙では表現しきれぬ愛情である。
ただし、ここで非常に重要な点は、そこに性愛はまったくないということだ。私もかつて一度は沼にハマったヤオイガールズの一味だったので一部のお姉様方の昂る気持ちは分かるのだが、ここはいったん頭を冷やしてその性欲を鎮めて話を聞いてほしい。(とはいえBLファンが見逃しようのない原作の作り込みようなので、気持ちは分かるしお姉様方を責めることは一切いたしません。誰も悪くない、名作がここにあるというただそれだけのことなのであった)

ご存じない方に分かるよう説明すると、本作は、2人の人間の心と心、魂の交わりが全編を通して描かれている、そんな作品なのである。それが男同士で、そこに性的な関係はない。そういう話である。(それだけではないけど)

私は、この作品においては同性間だったからこそ、本質的な愛の物語が展開可能だったと考えている。描かれた2人の愛、2人の精神的つながりは、男女間では表現されえなかったと思う。

ロマンというと男女の恋愛を想起しがちだということは先程述べたが、男と女の関係は凸と凹、必ず性が纏わりつくテーマである。これはアダムとイヴがリンゴを手にした時から誰にも変えられない事実だ。(私はクリムトの「接吻」という絵画が大好きだが、この絵でも男女は互いに完全に異質であることが表現されている)


異性どうしが精神的に繋がることを表現するには性愛を避けては通れないのが常だが、本作では同性間のピュアな友情を出発点とすることで完全にセクシュアルな部分を排することに成功している。そういつの世も、純粋な愛情と相対してしまうのが性なのである。・・・①

しかし同性どうしであろうと、恋愛関係となれば性愛はつきものである。むろん恋愛ではなくただの性的な情動の矛先として、同性をそのような目で見ることはできる。
実際に作中では男性どうしの性的な関係が大いに描かれる。ただしすべて悪・犯罪として。具体例は男娼、児童ポルノ(男)、レイプ(男→男)など枚挙にいとまがない。(アッシュがディノに反抗しているおおもとの原因を辿れば、作中で男同士=悪、となるのは当然の図式である。アッシュとディノの関係性はこんな簡単には説明できないけどここでは割愛)
このように作中では男性どうしの性的なまぐわりが「悪、穢らわしいもの」という前提が、トラウマ的に何度も繰り返し登場する。そして、男同士でありながらもそれと対照的な「善、美しいもの」がアッシュと英二2人の関係性だ、というように対比して表現される。悪魔的なほどの性的魅力を持つとされるアッシュの、その性的な部分には一切惹かれない英二。そこから生まれる信頼と友情、愛情。こういうものを見るとオタクは必ず「尊い」と言ってしまうものだ。
つまり同じ男同士の関係ながら、アッシュ(をはじめとする美)を食い物にしようとする小汚いオッサン犯罪者たちは、逆にアッシュと英二の真っ直ぐな愛情で結ばれた関係を引き立てる役目を果たしていると言える。・・・②

①②より、この物語は同性間特に男同士の愛を描いた素晴らしい作品であり、異性間では描かれえなかった素晴らしい作品であり、だからこそただ男同士だからという理由で敬遠している方にはそんなのもったいないと声を大にして言いたいと思っており、かつ、本作を好きと言える男性のことは、この人審美眼があってステキ、と思ってしまうな。そういうことです。

あと、だから、超余計なお世話だとは思うんだけどやはり言っておきたい、腐女子のレディースたちの獲物はここにはいないと。この作品は違う、この2人の間に恋愛感情を持ち込むのは違うんだと、セクシュアリティが完全に排されてこその2人の関係なのであって、そこにあるのは恋愛感情以上の、もっと尊いものなんだと………………ただ、愛なんだと。愛なんだ(song by V6)。

※ただ先述のとおり個人の趣向はあるので、BLとして楽しむ方を否定はしません

とにかくもう才能とか、羨望と嫉妬とか、支配と被支配とか、そして愛、などなどガツンとしたテーマが目白押しだし、なんというか少女漫画のいいとこはそのままに知的で、作者が教養と技巧に長けた素晴らしい方だというのが分かる。あとちなみに、英文学科の妹が作者の文学への言及をかなり褒めていた(「読み込んでいるようで好感が持てる」とのこと)。その点気になる方もぜひ、とっつきやすいのでアニメから観ていただくのをオススメする。


やっぱり、恋愛関係よりも魂で繋がり合うみたいな絆の方が深いのだろう。家族でもない、恋愛関係にない他者と、果たしてそんな関係を築くことが出来るのだろうか。私は諦めたくないと思ったのであった。


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