心配させまいと話さないのは、優しさじゃなくて分断だと思う
わたし、家族の重要そうな話を
ほどんど聞かされてこなかった。
わたしの知らない
周知の事実のもとで会話が進む。
それか
いつの間にかみんなが集まって
いつの間にか終わってる。
何にも知らないけど、
何かを隠してることだけは感じ取れる。
おとうさんもおかあさんもすきだよ。
おかあさんの膝の間に座ってテレビを見ながら、
しあわせだなって思いつつ
家族ってなんだろうなって思うこともある。
ああテレビでやってた『しあわせ家族計画』をみてたのかな。
べつに根掘り葉掘り聞き出そうって思わないけど、
こちらも話そうって気持ちがなくなる。
誰とどこに遊びに行くか
仕事を辞めたこととか
誰と付き合ってるか
どこに引っ越すのか
どこで暮らしてるのか
どうやらおかあさんは
付き合っていく系の病らしい。
らしい、止まり。
病のことはおかあさん本人から話されたことはない。
おとうさんからの又聞き。
それから良くなったのかも、
悪くなってるのかも知らない。
子どもに大人の事情を話さない親。
心配させまい
という思いなのかなって、想像はできるよ。
でもさ、
いつもメンバーとして認められていないような、
何か意見を言っても聞いてもらえないような
気持ちになるんだ。
見えない薄い膜で仕切られている、蚊帳の外のわたし。
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ここだけの話、私には夢があります。
それは、飛行機や新幹線の機内冊子にエッセイを書くこと。
ひとの移動に、寄り添いたい願望。
憧れるなあ。