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旅する音楽家は“壁”を超えるーーカズオ・イシグロ『充たされざる者』


ブッカー賞受賞後の意欲作『充たされざる者』

「日の名残り」でブッカー賞を受賞したイシグロが次作で挑戦したのは、混沌とした夢の世界を言語化することだった。

長編第4作「充たされざる者」は、主人公ライダーの視点で物語られるまま、時間が錯綜し、空間が歪み、悪夢のように展開されていく。

ピアニストのライダーは、リサイタル出演のため、東欧を思わせる小さな街を訪れる。“芸術的危機”に瀕(ひん)しているというこの街は、音楽が、施政や人権のバロメーターとなっており、住人らは、芸術を支配する上流階級と、労働者階級の二層に分かれている。

前者は、“現代音楽”などの複雑な芸術的音楽を信奉し、音楽に代替された権力抗争を繰り広げている。一方で、労働者たちは、街場のカフェに集まり、ハンガリー音楽などの民族音楽を享受している。

この二層は決して入り交じることはない。互いの階層の分断を意味するように、街は巨大な壁で二分され、行き来が不可能となっているのだ。

しかし、旅人として街の外からやってきたライダーだけが、“音楽の壁”と津同時に“階層の壁”も意味するこの巨大な隔たりを越え、両方の音楽、および思想を理解し、楽しむことができる。

時に上流階級の芸術音楽を理解する者になり、時にカフェに集い踊る労働者たちの一員にもなり、人種や階級差を越えて人々と共存し、同化する。
それは、ライダーが〈放浪する音楽家〉の起源である〈シャーマン〉のような役割を持っているからだと考えられる。


音楽家はかつて、世界中を旅していた

中世以前のヨーロッパでは、音楽家、つまり楽師は、もともとシャーマン的存在で、魔術、医術、音楽等の手法のいずれにも通じ、歌い手、霊能力者、医術者として、各地を旅する者が多かった。ヨーロッパの音楽の歴史は、こうした、固定の居場所を持たない放浪芸人から始まると考えられるという。

世界中を旅しながら、音楽を通して人々を教え導こうとするライダーの姿に、シャーマン的役割を見いだすことは可能だ。

変異的かつ混合的に存在し、双方を隔てる音楽の壁を取り払う。場合によって語り手に憑依し、追体験するような語り口に変化していく。こうした現象も、ライダーが、魔術的な力を持つシャーマンとして存在しているからこそ実現できるのかもしれない。

イシグロの愛したロックやフォーク音楽の歴史をさかのぼると、居場所のない漂流する者たちに行き着く。

ロックの起源とも言われるアメリカ南部のルーツ・ミュージックも、過酷な生活から定住地を失い、放浪して演奏する者たちによって発展した経緯がある。

歌に乗せられた彼らの切実さに人々が共感をすることでさらに繁栄し、世界中に広がっていったのだ。

生まれ故郷の日本を離れ英国で育ったイシグロの成長過程と、シャーマンなど放浪する者たちと、それを起源とする音楽家たちには、必然的なつながりがあると断言できよう。


(本記事は『新潟日報』12月16日に掲載されたものを加筆・修正しました)

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