人が買ってくれた午後ティーは美味い
日記:12月17-18日 のエピソード
感覚的に似ている人ってどういうことなんだろう、と思う。
なんというか、一段階話が進むのがはやい感覚になる。
例えば何かを知覚するとき・感じるとき、
項目A、B、C・・・という評価基準的な枠組みがあって、
項目Aにはさらに①か②か・・・という選択肢があって。みたいな。
そのように人は物事に対して何か「思う」ようにできているならば
この人とは持っている項目が同じで、違う選択肢を感じているような。
そんな気持ちになった。話していて。
そんなちゃんと項目→選択肢フローで会話していたわけではないけど
体感はそんな感じ。
逆の考えだったり、理解できないこともあるけど
(私がなにか影響しているわけではなくこの人がそういう空気感を作ってくれる人という説もあるが)
これも感覚だけど、「その項目持ってたんですねおもしろい」で話が一時停止することがない。
「項目Aについて①だと思っていて」「なるほど、自分は②ですね」
みたいな。そういうペースで話が進んでいっているように感じる。これはあくまで主観なんですけど。
似ていない人(いやほとんどの人)だと感覚的な話になっても、
「項目Aについて①だと思っていて」「あーなるほど、項目Aがあるんですね」「そう、それでAっていうのは・・・」
みたいな。
同じように感じてくださっているかはわからないんですけど、私はそういう感覚になります。
あと、この方と話すとよく思うのは、
他者との人間関係のなかでできている「私」ではなく
一切の人間関係を剥がした「私」に問われている気持ちになります。
私を構成しているのは私の内部に起こることだけじゃなくて、他人との関わりのなかでできていると思っているのだけれど、
この人と喋っていると、他の人について、自分でもびっくりするくらい考えられない。考える隙をもらえないというのか。いやくれているんですけど、「私」が「私」として答えないと・話さないといけなくなるというか。
だから、言いたいことは基本的になんでも言えるし、逆に全部言えるし、でも「なんでもいいすぎて(またはうまく表現できなくて)自分のことが嫌になる」みたいな、めちゃくちゃありがちなことは起きないという。
そして、この人のことを「どう」と考える隙もなかったです。帰ったあととか翌朝のいまになって、この人って(私からして)どういう人なのかと考えてしまった。
この人が『たやさないvol.4』を読んでほしい!って思ってた先輩だったので、(一応本持ってて)貸しました。うれしい。
でも、なんで読んで欲しかったのかもう覚えてなくて。すみません。
という、昨日先輩と飲んだ話を男友達にしたところ、
「なんか泣きそう」と言われてしまった。
私が楽しそうに話してたことがうれしかったらしい。
そして「それってあなたがずっと求める「誰か」(この人!と思える人)に当てはまるんじゃない?」
と言われてしまった。あーなるほど。確かに。
で、なんか購買で午後ティー買ってくれた。
私もこの友人もなんか幸薄そうな人だから、確かに。いい友人を持ったと思った。
『たやさないvol.4』の話
「誰か」の話