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#創作大賞2024

タイトル : 人生観 死生観 健康 人間関係を本気でつぶやいた

イト子さんに会いに行くとホームのスタッフさんに「ありがとうございます」と言われる。なぜだろう?

 そう、あれはちょうど1年前の7月23日のこと。その日も猛暑で、テレビからたくさんの人が熱中症で運ばれたニュースが流れていた。夕食を済ませ寛いでいたその時、電話が鳴った。イト子さんを救急搬送中だという。「受け入れ先を探しているので決まったら連絡します」

 夫と私は熱中症だと思った。今日は水曜日。たしかイト子さんはパステル画教室のはずだ。高齢者ばかりのサークルだから暑い中、何かやらかしたんじゃないかと考えていた。だから、テレビニュースの通りイト子さんも熱中症になったのだろうと考えていた。2、3日我が家でゆっくりして貰おう。夫とそんな事を話していた。

 そして。。。受け入れ先病院の第一声は「結論から言うと入院です」だった。えっ?重症の熱中症?落ち着いたら連れて帰れるとばかり思っていたのに。。。
検査の結果イト子さんは脳梗塞だった。

 言語は正常、両手も使えるので食事や洗顔、着替えなど腰掛けたままの動作に問題はない。だが、脚に力が入らなかった。歩行のリハビリが必要だった。

83歳のイト子さんは懸命にリハビリに取り組んだけれど歩けるまでには回復しなかった。

 イト子さんは独身で兄妹もなく母親を看取ってからずっと1人暮らしだ。死後の後始末を考え、母親の看取りをきっかけに我が家から徒歩3分のマンションにやって来た。「死んだらお願いね」って、我が家のお墓に入ることも了承済みだ。遺言書も信託したし、終活もボチボチ。趣味を通して同世代との交流を楽しんでいた。

 終活してるから、遺言があるから、準備してあるんだから、安心なんだと思っていた。
でも、イト子さんのことを何も知らなかった。頼みの綱の遺言は介護期にはまったく役に立たない。なぜなら、遺言は死後に効力を発揮するものだから。
ふと「人生会議」という言葉が頭をよぎった。

聞きしに勝る高齢者の生活空間
 前述の通り、83歳のイト子さんは救急搬送された。しばらく入院することになり着替えを取りに部屋に入ると、そこはいつも身綺麗にしているイト子さんからは想像できない惨状だった。1人暮らしの高齢者の部屋は物で溢れていると聞いてはいたが、現実は予想を遥かに超えていた。近くにいながら気付かなかった。

現状を理解できないイト子さん
 脳梗塞で倒れ治療、リハビリを経て介護ホームの生活になってから10ヶ月。イト子さんはまだ一度も自宅の惨状を見ていない。ホームの生活が退屈で自宅に帰りたい思いがあるのは理解できる。満足に立つ事もできないイト子さんが1人で生活するにはそれなりの手当が不可欠だ。でもね片付けても片付けても先が見えないのよ。

やっぱり帰りたいイト子さん
 イト子さんはホームの生活を受け入れたんだと安心していたんだけれど、歩行練習用のバーに掴まって筋力が回復していない足でよろめきながら懸命に歩いて見せるんだ。「歩けるわよ」「ここにはいつまで居なくちゃいけないのかしらね」って。認知機能も行ったり来たりだから不意に思い出すんだろうね。一度家に帰ろうか。

こんな最中でも他人を思いやるイト子さん
 イト子さんは根っから世話好きな人だ。自分の事そっちのけで人の世話をしてしまう。入院先の医者からも「本当に面倒見がいいよね」と褒められると「普通じゃないですか」とさらっと応えてたっけ。だから車椅子のイト子さんはトイレに行きたい人を見かけると立ち上がれないのに手を貸そうとして結果大変な事になっちゃう。

退屈で時々我に帰るイト子さん
 「ねえマンションどうしたらいい?あのままでいいと思う?」とイト子さん。ついこの間まで「いつまでここに居るの?」なんて言ってたのにホームで生活して行くことを受け入れたのかな。それなのに私「あのままでいいんじゃない。処分したら帰る家無くなっちゃうよ」なんて、できない期待をさせちゃった。ごめん。

アイドルに夢中になるイト子さん
 イト子さんのいるホームではオンラインコンサートのアクティビティがある。昨日会いに行ったらノリノリでデコうちわを振りながら応援していた。どこにいても夢中になれることがあるのは良いよね。そう言えば姑のセンちゃんの部屋には氷川きよしの大きなポスターが貼ってあったっけ。ポスターは棺に入れたんだったね。

やっぱりそうなるイト子さん
 「うちの家系では90超えの長生きはいないから、あと6年頑張ったら一番の長寿者だよ。食欲もあるし、いけそうだ」と励まされたイト子さんは「え〜6年?恋でもしてもう一花咲かせようかしら(笑)」なんて冗談言ったりして今日は何だか絶好調。独身を通したイト子さん。またベンツさんとデートしようと思ってる?

自分の現状を受け入れようとしているイト子さん
 イト子さんの希望でホームの部屋にはテレビ、冷蔵庫、仏壇が設置された。いまだ歩行は練習用のバーに掴まってトイレまでの5歩が限界。「いつまでここに居るの?」なんて言ってたけれど自宅に戻り1人で生活するのは無理だと受け入れたようだ。自宅をリフォームするか否か、今は考えるのやめておこう。

ホームで初めての誕生日を迎えたイト子さん
 イト子さんは84歳になった。誕生日のお祝いに介護タクシーで行きつけのブティックに行った。車椅子のイト子さんに店員は驚いた素振りも見せず笑顔で迎えてくれた。イト子さんの好みを承知している中年の店員は綺麗な藤色のセーターと空色のアンサンブルを見せてくれた。イト子さんは楽しそうだった。よかったね。

それだけ堂々と話をされると応援したいよイト子さん
 昭和生まれのベンツさんは令和のモテ男になった。彼女と一緒のところを買い物中の妻と鉢合わせし、その場で大喧嘩になったと楽しそうにイト子さんは教えてくれた。続けて「私とベンツさんは付き合っていたのよ」とあっけらかんと言った。高齢者の複雑で多様な恋模様。どんな縛りも関係なし。

恋に積極的なイト子さん
 「ベンツさんを紹介するわ」って、あの人ベンツさんじゃないよ。ホームのスタッフさん。似てるのかな?何かとお世話になってるものね。イト子さんたらあの人をベンツさんだと思い込んでる。見かけたらドキドキするのかな。あの人の側に行きたいという執念が凄いの。私の手を掴んで、車椅子ピクリともしなくて乙女だった。

ベンツさんが恋しいイト子さん
 パステル画、太極拳など趣味に没頭し溌剌としていたイト子さん。ホームでも絵を描きたいんじゃないかとスケッチブックとパステルを届けた。でも、いつになっても描く様子は見られない。ある日呟いた。「私、絵は好きじゃないのね」え?そうなの?そうか、好きなのは絵じゃなくてベンツさんと一緒の時間だったんだね。

素っ気ない様子のイト子さん
 「せっかく来て下さったのに、ごめんなさいね。これからみんなでお食事に行こうという話になってね」と囁くように言うイト子さんは赤い口紅でおめかししてた。いつも玄関まで見送ってくれるのにラウンジから離れようとしない。そうか、あの男性が気になるのね。でもね、あの人はベンツさんじゃないよ。

イト子さんのマンションの取り組み
 イト子さんのマンションは独居高齢者が多いため安否確認の手段として管理人室の前にノートが置かれている。ノートにはただ◯を記入するだけだ。イト子さんの欄には入院しましたと書かれている。心配なのはイト子さんといつも行動を共にしていたサットさんの欄が空白のままな事。ふたりで一人だったから。

 救急搬送から1年。私の知らないイト子さんが見えてきた。なかでも、ベンツさんへの思いは私の知らない恋愛観だった。イト子さんの溢れ出る恋心。見ているこちらが照れくさいよ。ベンツさんが大好きって。でもね、ベンツさんには奥さんいるよ。まあ、どうでもいいかそんなこと。赤い口紅さして髪も整えて、おめかししてるイト子さんは綺麗だったから。

介護状態のイト子さん。私は自分に向き合うことにした。

介護とは

 介護とは、おむつ替え、食事、寝返りの介助、徘徊、昼夜の逆転に対する見守りなど体力を使う作業。少なくとも私はそう考えていた。火の元や施錠など日常生活の支援が必要な場合も現場に向かう体力を使う行動だ。私は体育会系思考を持っているのか体を使わないことはやらないのも同じだと考えてしまう。

いうまでもなく決してそんなことはない

 ただ会いに行く。特別に用事がなくても会いに行く。「お父さん待ってるから。きょうは何話そうかなって病院までの道のりを考えながら歩いてるの。」そう話してくれたのは、末期ガンで入院中の夫の元へ毎日通う82歳のイツさんだ。雨降る今日も彼女は夫に会いに行く。

 「後悔したくないからやっているだけ」母親を介護するバービーさんは言い放った。当時介護には縁が無くて何だか冷たいなと思った。今、介護されてもおかしくない年齢になって介護者になった。あの言葉が身に沁みる。主介護者。一旦その立場だと認識されると途端に周囲の人たちは他人事にして遠ざかる。

 いつものように夫を見舞ったイツさんは、嬉しそうな夫の様子に違和感を覚えた。イツさん「なんだか嬉しそうだね」夫「今日はね、食事が出たんだ。おいしかったね」と夫は笑顔で言った。イツさんは腰が抜けるほど驚いた。なぜなら、夫は胃瘻造設で通常の食事はできないはずだったから。病院側の手違いだ。イツさんは心配で仕方がなかった。面会時間が過ぎても帰らなかった。

 「死なない程度に生かしとけばいい」非情にも聞こえるが関白亭主に仕えた姑のセンちゃんの持論だ。関白亭主を1人で介護し看取った。夫にそっくりな性格の長男の面倒を見て、センちゃんがホームに入居したのは90歳の時。日を追うごとに衰弱が見られたが「皇◯でも飲んでみるか」と前向きだった。ある日「もう終わりにするだ」そう言った3日後センちゃんは星になった。涙が止まらなかった。

 認知症の母親を介護している男性に「大変ですね」と声を掛けたら「大変だなんて、あなたにわかるんですか!」と怒鳴られた。驚く私に構わず「ご飯食べてないって言うから今食べたよって言うでしょ。そしたら1分後にまた同じこと聞かれるんです。毎日ですよ!」といって私を睨んだ。何も言えなかった。

 おはようの挨拶しようとしたら声が出ない。あれ、おかしいぞ。3日ほど前から咳き込んでいたけど熱も無いし喉の痛みもない。私の身体何だか変なのよ。もしも、おはようをいう相手がいなかったら声が出ないことに気づかなかったんだろうか。1人になるのは怖い。

 今日も歩くぞ!膝関節と筋肉のサプリを飲んだ。シミ対策のサプリも飲んだ。日焼け乾燥はシワの原因。潤いサプリも忘れずに。道に迷いたくないからクリアでいられるサプリも飲んだ。代謝を上げるサプリも飲んだ。お腹スッキりのサプリも飲んだ。〆は胃腸薬。期待できるのは協力作用?それとも拮抗作用?

 頭痛薬を飲んでいたらそれを見ていたユミちゃんが「1日何回飲むの?」と尋ねてきた。え、頭が痛いから飲んでるだけだけどと言葉に詰まっていると「私は2回。今まで3回だったから少し減ったのよ」と言った。この歳になったら血圧、コレステロール、心臓、狭窄症など何かしら飲んでて当たり前って事なのね。

 電気の付けっ放し、冷蔵庫開けっ放し、やりっ放しが増えて来た。こんな風に認知機能の低下は始まるのだろうか。やっぱり「人生会議」は必要だ。始めるならギリギリ今なんじゃないか、そう思えて来た。失敗を、やりっ放しを、散らかし放題を、冗談めかしてそっとカバーし続ける。お互い様だけど限界があるものね。

 当時60代後半の尊敬する作家先生の雑誌インタビュー記事で忘れられないのは、記者「先生、今お付き合いしている女性はいらっしゃいますか」、作家「身の回りのことをしてもらっている人はいますが、お付き合いをしている人はいません」である。その問答に男ども見栄張ってるなと呆れた。尊敬だけではない人間臭さの表出。いつまでもお若い事。

 「折り合いをつける」この言葉が好き。その空間に確かに存在し邪魔をせず、無いと物足りない居心地の良い状態。出っ張り過ぎず、かと言って凹みすぎない良い塩梅。何者でもない私はそれをそっと見守っている。そんな存在でありたい。何度となく折り合いをつけ納得と了解を繰り返して、人間の一生ってそんなもの。まだ足りない。

 「失敗したら反省してまた頑張ればいいんだ」ユココさんのあの言葉、大好き。本当に勇気づけられる。ユココさんがそんな逞しさを秘めていたなんて華奢な姿から想像できなかった。闇組に進むのではなく一旦は反省するという点がユココさんらしい。目標に向かい次があると信じて挑戦し続ける意欲。それだけで失敗はチャラになる。

 お互い様の世の中だ。反応しないと弾かれる不安が付いてくる。本物かどうかは問題ではない。時流に乗れているのか興味を引けているのかそこが大事。でも、より大事なことは同調圧力が味方になるという実状を理解することだった。本物の才能など必要ないのではないか、とは言い過ぎだろうか。必要なのは柔軟な心なんだ。

 「人生会議」は広まる事なく廃れてしまう
つまりは、時流に乗れなかったのかという歯痒さ
つまりは、興味の範疇でしか自分ごとにならないという事
つまりは、その時が来ないと死について考えないという事
それなのに、搬送先で突然「どうしますか」とYesかNoを問われても真意はわからない

 「人生観」はどう生きようかと生きることに夢中な時に当たり前に見えている。
「死生観」は死の存在を意識できるようになった人が、生と死を並列に考えられるようになった時にようやく見えてくる。あなたの死生観は?と問われても即答できる人はいないんじゃないかな。なぜなら死は遠くにあると思っているから。

 「偉い人は自分で偉いと言わなくたって偉いんだってみんな知ってるよ」と、81歳のシズさんはそう言った。あの時、私は偉そうな顔してだのだろうか。どんな話してたんだっけ?何を話してたんだっけ?そんなことも覚えてないくらい私は饒舌に何かを語っていたのだろう。もう一度叱って欲しかった。

 終活というと物理的な整理や資産管理ばかりに焦点を当てて、ついでに延命は要らないよとか。でも、意思表示ができる今だからこそ大事なことがあるはずだ。医療・ケアに留まらず自分らしさや価値観など周囲の人たちと話し合っておくべきことはたくさんある。これが、本来あるべき「人生会議」の意義なんだと思う。

 「人生バラ色より色々」なんて素敵な言葉。なんの心配もないバラ色の人生を羨ましいと思っていたけれど、バラ色だけの人生よりカラフルな人生の方がどれだけ輝いていることか。島倉千代子の「人生いろいろ」は、人間の本質を突いているから心に響くんだな。生きているうちに気づいて良かった。

 「実家のお墓に入りたい」まもなく定年を迎えるケンジさんは、これまで口に出来なかった思いを吐露した。三姉妹の長女と結婚し、三人の娘にも恵まれた。会社員として勤務しながら当主として妻の実家の家業も担ってきた。そうか、妻の姓を名乗ると決めたあの日、ケンジさんはもう1つの決断をしたんだ。

 「医療は無し崩し的に行われるものなんだ」臨床死生学の指導教授の言葉だ。愚かな私は「無し崩し的」という言葉を否定的に捉えて反発してしまったけど、今ならわかる。医者が、目の前の患者一人ひとりが今必要とする最良の医療を提供しようとすれば、「無し崩し的」になって当然なんだと。

 元気な人で行こう!毎日楽しいことだけ見つけてケ・セラ・セラで生きて行こう!私はわざわざ余計なことを背負い込むから、もっともっと元気な人で行こう!もっともっと楽しいことだけ見つけてケ・セラ・セラで生きて行こう!あなたもね!

 「人生会議はじめます」〜人生の終焉はどれだけ準備してもしなくても必ずやってくる。でも、何もしないよりちょっとだけ笑顔で終わりたいから〜
医療やケア以外の多くの事に重点を置いて話し合うのが望ましい「人生会議」だ。なぜなら、医療やケアはその時が来ないと医療者からどうするかと問われる事がないんだから。

 PPKピンピンコロリ。元気に過ごしコロッと逝く。依然、それが幸せな終わり方だと考えている人は多いようだ。ある日PPKを望んでいるピピンさんは言った。「でもさ、明日死んだら家族はびっくりしちゃうだろうね。やっぱりそれはだめだよな」と。自分はいなくなるからいいや、なんてだめなんだよ。PPKって終焉の理想形なんだろうか。

 上場企業の社長を退いたチョウさんは「いやあ、リタイアしたら暇を弄ぶんじゃないかと思ってたけど毎日忙しくってね」とお年寄りの生活支援活動に充実感を漂わせていた。一年後「もうういい加減、爺さん婆さんの我儘には付き合ってらんないよ」と一筋縄ではいかない高齢者への接し方に頭を抱えていた。

 延命措置は「自分は要らない」という医者の話を聞くことがある。延命とは肉体が人生の終焉のための準備体制に逆らうことであり患者は想像以上に苦しいそうだ。たくさんの機械が付けられて身動きが出来ない。だから医者は言うんだ「命の期限までは猶予期間。やりたいことが出来るから死ぬならガンがいいね」と。

 困っているお年寄りを放って置けない、頼まれたら断れない性格のミミ子さん。認知症の母親を抱えながら訪問ヘルパーとして働き、さらに家族を巻き込みお年寄りの身の回りの世話をしている。社協から限度を超えた行動に何度も注意を受けるのだが「クビにするならすればいい」と言って止めようとしない。

 社会学者のトーンスタムによって提唱された老年的超越は二元的に論じられて来た活動理論と離脱理論のどちらにも当てはまらない概念だ。加齢と共に変化する体と心。社会的な価値観を捨てて自分の存在をそのまま受容する。1人だからと言って孤独ではなく、やりたくない事を無理してまでやらないだけだ。

 私の人生課題は「ほどほどで逝く」である。「長生きは本当に幸せなのか」と常々疑問に思っている。来年の旅の話やその先の計画に「あの人まだ生きるつもりなのね」なんて陰口を囁かれてもやりたいことをやってしぶとく生きるのも人生の在り方だ。ただ、我儘放題の因業婆さんになるには覚悟が足りない。

 ミスユニバースの年齢上限撤廃によりブエノスアイレス代表となったのは60歳のロドリゲスさん。年齢を理由にやれなかったことをやってみようと思ったのだとか。何とも素晴らしいことだ。素晴らしいのは勇気である。勇気だけでは無い。そもそも相応の美貌と知性を兼ね備えていたことは羨ましい限り。女性を忘れてなかった。

 ほどほどで逝くことを人生課題としている。しかし、老衰でその時を迎えられるわけではない。死がやって来たら拒まず逝けばいいと考えても、そうはならず生きながらえてしまったら困る。誰が?そう、困るのは私ではない。だから体力を維持する。でも気力の維持が伴わないと始まらない。まずはレッグ・マジックで内腿の強化からと気持ちを奮い立たせた。

 ある日祖父母と共に出かけた先は祖母の実家だった。お婆ちゃんのお母さんだよと紹介された曽祖母は寝たきりの状態だった。布団の中から笑顔で「ばあちゃんの手こんなになっちゃった」と包帯を解いて見せてくれた手はパンパンに膨らんで痛そうだった。人はこうして朽ちていくのかと悟り怖くなった幼き日の思い出。

 クリニックの待合室から聞こえる体温計のアラーム。暫くして看護師が「計れましたか」と声を掛けると徐ろに体温計を脇から取り出す高齢者。「これ壊れてるね。ピピッと鳴らなかったよ」看護師は思っているだろう「壊れているのはあなたのお耳ですよ」こんな日常が特別でもなく過ぎていく。歳をとるとは。これもまた初体験。

 看取り期に入ったと聞いてから1年余りが経った昨日「母が亡くなった」とカコさんから連絡があった。「看取り期とは言っても本を読んだりピアノを弾いたり今まで通りなんだけどね」と語っていた。人生の最終段階が人それぞれとはこんなことを言うのか。その日を穏やかに迎えるまで家族は逝く人と伴走する。

 Héctor García とFrancesc Mirallesによれば、必要とされること、好きなこと、得意なこと、稼げることの4つの要素が重なりあったところに生きがいがあると伝えている。合理的な分析に戸惑うものの、福田恒存や神谷美恵子の精神がそっくり含まれているようにも思える。人間の本質は変わらないのか。

 たまたまクラスメイトになっただけなのに、みんな友達だよと言われたら。たまたまホームメイトになっただけなのに、みなさんお仲間ですよと言われたら。たまたまでも出逢ったことはご縁だから、その先どうなるか、さてどうするか。成るようにしかならなくても「せっかくですから」と、その笑顔でね。

 ACPの愛称「人生会議」は公募により決定した。だが、「人生会議」とACP のいずれも国民には馴染みが薄く相互を関連づけることは容易ではない。医療を提供する側と提供を受ける側のどちらにとっても有意義な取り組みであるはずなのに知らない人が多いのは普及活動が消極的に留まっているからだ。

 扶養義務者は民法では祖父母、両親、子、孫の直系血族に加え兄弟姉妹、そして配偶者も該当するとされる。でも肉親だからと言っても別世帯であって交流も頻繁になく関係が薄い場合、扶養とはどの程度が求められるのか。たくさんのフィーバー体験者がいる一方、努力の報われない人もいる。そんな社会だ。

この先の社会はボケるが勝ちか、それともおちおちボケてもいられない社会なのか。

その時私はどうしているのだろう。
ほどほどで逝くことができるんだろうか。

イト子さんに会いに行くとホームのスタッフさんに「ありがとうございます」と言われる。
なぜだろう。



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