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生ジョッキ缶抱えひとり花火観覧

我が町の花火大会も、今年から会場での観覧には入場チケットが必要になった。幼い頃、祖父母に連れられて出かけた花火大会では土手に新聞紙を広げて座った記憶がある。会場まで人並みに合わせ列になってゾロゾロと歩いた。小さな私は大きな大人の中に埋もれてしまって、時々祖父母を見上げながらドキドキしながら懸命に歩いた。覚えているのはそこまで。肝心な花火は思い出せない。もったいない思い出だ。

花火は観る楽しみはもちろん、もうひとつ体を突き上げられるほどの大きな音に包まれるのも醍醐味だ。体の芯に響く振動と衝撃。これは遠くから観ているだけではわからない。こんな楽しみ方は大人になってから気づいた。そして、花火は打ち上がると同時に笛のような音がして、次に待ちに待った大輪の花が咲く、ドーンパンパンという音は最後に聞こえる。
これは今ここで気づいた事だ。自宅にいると音がして慌てて窓の外を見ていたけれど、それでは遅かったんだな。

花火大会会場までの移動手段は徒歩しかなく、私には遠い。だから、イト子さんのマンションのルーフバルコニーを拝借している。ふと閃いた特等席だ。ここで大輪の花火を満喫している。田舎ゆえ全面には遮るものがなく最高の観覧なり。イト子さん連れてきてあげたかったけど準備不足でごめんなさい。元気で歩いていた頃、イト子さんはいつだってここからゆったりした気分で花火を観ていたのね。それを思うと不憫で仕方がない。今年は私が代理観覧だ。次の花火大会もここにお邪魔させてね。その時はイト子さんも一緒にね。

パトカーのサイレンが聞こえる。花火を打ち上げる音と共鳴してとっても賑やかだ。生ジョッキ缶のプシュッという音は聞こえない。

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