虚無の朝

眩しい。朝焼けが、反射して細い光の筋を作る。カナルイヤホンを押し込んだ耳の奥、頭の方で、カチカチ、と何かのスイッチを切り替えている様な音が一定のリズムで鳴っている。あれは、何の音だ。私の部屋から鳴っている。イヤホンを片耳だけ外して、音の方を見た。誰もいない。当たり前だ。そして、昨夜同様、風が強いことに気づく。ごうごうと唸る様に風が鳴り、木々が揺れている。家の真正面に、大きな木が連なる斜面がある。そこの木が揺れているのだろう。昨年の台風のときなんか、その一本が折れて道路へ倒れていた。渦を巻く様な風の音はすこし恐怖を煽られて苦手だ、と思いながら、私は片目を瞑る。ここのところ、乱視が酷くなり、裸眼だと利き目のみで見たほうが視界がクリアなのだ。なぜだか、起きたばかりだとメガネをかける気にならずにこうしてしまう。それがもしかして、目の疲れや視力の低下に繋がっているのかもしれないが。寝ている布団の上を、両の手万歳させ手探ると、スマートフォンがあった。今の時代、これなくして生きていけない。便利な世の中になったもんだ。それと同時に、失われたものも多い気がするのは、二十代の私ですらわかる。そんな思いも一瞬で心を掠めて逃げて行き、私はタッチでスマートフォンのロックを解除した。時刻は……11時。どうやら、朝日だと思ったものが真昼のものらしい。11:51と白い文字が霞んで見える。そこでようやく、喉が渇いていることに気づいた。当然だ。幾時間も寝ていたのだから、眠っている間は何も喉を通っていない。だが、なんだか起き上がるのが面倒だ。目をぐるりと上へ回して机を見ると、PCデスク用の椅子が半回転して横を向き、その背もたれが影となってテーブルの上がよく見えない。が、そこに私の喉の渇きを潤してくれるものがあるはずだ。そもそも、布団のそばへ置いておけば良いのだが、あいにく私はペットボトル飲料を買い溜めてはいない。自宅で1リットルの安物のボトルに、麦茶のパックを放って夏場も冬場もそれをコップで飲んでいる。だから、枕元に置けば、蓋のされていないそれに手をぶつけてひっくり返した時、あとから後悔することは想像せずともわかる。フローリングが濡れるのはまだしも、何しろ枕元には今手にしているスマートフォンを充電するプラグが差し込んであるので、それに水がかかってはマズイ。バカでも、わかる。外の風の音が、激しくなってきた。それなのに不釣り合いに光が眩しいのが厄介だ。なんだか、その様子がとても不安に思えた。不安を自覚すると、いつも心に溜まるドブ水が、どわっと、どこからともなく溢れていく。そして、半分より少し上に、溜まった。ああ、憂鬱だ。憂鬱で、泣きたい。暫くそういった嘆きの意味では泣いていないから、泣くのは困難だろうか。それは、そうだ。泣くのはむずかしい。なぜなら、心に溜まるドブ水の正体を私はよく知らないからだ。特に誰にも非難などされていないのに、私ときたら、毎朝、目が覚めるたびに自分を嫌う。憎む。いやになる。一週間後には、1年以上通い続けているメンタルクリニックの予定が入っている。少し遠い場所にあるが清潔で静かなところが、気に入っている。それに、昨年出来たばかりだから、客も少なかれ待たされることも少ないだろうと踏んで、引っ越してすぐにそこへ転院したのだ。当たりだった。当たり外れの大きい精神科では、良いのを引いたと思う。だが、電車を乗り継いで1時間程度かかる。億劫だ。駅から自宅が遠いため、歩かなければいけないのが億劫で、よくバスを使う。そのバスは、地方バスといった感じで、乗客も少ないため、本数も少ない。……かんがえると、億劫だ。考えない方向へ、思考を巡らせないと。ちょうど、自宅前のバス停にバスが停まる音がした。ここの家賃が安い理由がよくわかる。道路にすぐ面しているため、車が通ったり人が歩道を歩きながら喋ると、すべて筒抜けなのだ。深夜なんか、たまに酔っ払い同士の会話が聞こえて苦痛を強いられる。だから私は、よくカナルイヤホンを耳に押し込んだまま寝る。自分の聞きたい音だけを耳に残しながら、すると、落ち着いて眠れる。もう昼間だ。時刻は、12時と少し。どうしようか。起きようか、起きまいか。体を起こすか、起こさないか。目を閉じるか、閉じないか。ドブ水が、すこし揺れて水面が揺らいだ。これが溜まる前に、薬を飲んでしまおう。そう思い、私は膝をついて立ち上がった。

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