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明日も、なんでもない日でありますように。

 「ふつうの人」というのは、不思議な表現だ。みんなに当てはまるけど、なかなか100%ふつうの人なんて会ったことがない。大多数の人は、特別になりたいという願望を持つ、ありふれた人。本当に変な人は、自分こそがふつうだと信じている。そんな気がする。

 それらを考慮して「ふつうの人」とはなんだろう。主体の心のあり方だろうか。周りからの色眼鏡を通した評価だろうか。「ふつう」と似ている言葉に「なんでもない日」というのがある。ぼくは、この言葉が好きだ。この言葉を使うときは、ぼくは幸せな時を過ごしていることが多い。もっと言えば、幸せに気づいている状態といえる。

 日常の中にある、大小さまざまな幸せに気づくこと。ぼくにとっては、「なんでもない日常」というのは、そういった幸せに気づいている状態のことをさす。「なんでもない日」に撮ったいつもの写真。藤沢にあるお気に入りの場所を、ふとした瞬間に。その光の中には、お気に入りの場所や、食べ物や、時間の使い方が、あふれている。そのなんでもなさは人によって、ずいぶんと違う。どのようにして、それがその人のなんでもなさになり得たのか。きっと説明はすごく難しいけれど、そこに潜り込めたらとてもあたたかいのだろう。

 だからこそ、毎日が「なんでもない日」だ。そういった日というのは、とてもありがたい日なのだ。特別になろうとする、ありきたりのぼくの願望を、いつもどおりだねと笑ってほしい。だからぼくは、目一杯の感謝をする。祈りを捧げようと思う。明日も、なんでもない日でありますように、と。


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