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迷った時はいつだってウルトラCだ。

小田原に到着した。この土地の潜在能力にビビっている。「ここに住みたい!!」なんて思ってしまっている。天来の多動症のおかげか18歳以降、1人で動けるようになってからの6年間では15回の引越しをしている。だからか「今日の晩御飯はなにかな」みたいなテンションで「次はどこに住もう」と考えている。意識は非常にやわらかい赤こんにゃくみたいだ。10ヶ月ほど前にも小田原に来たのだがその時は住みたいなんて微塵も思わなかった。申し訳ないが、「城のある地方都市でしょ」くらいにしか思っていなかった。小田原さん、ごめんなさい。しかし、それが今日、圧倒的に変わった(そして、これを書きながら、またちょっと変わったりしている。お天気みたいなので、じぶんにびっくりしている)


自分を驚かしてしまう自分の出現が大好きだ

2018年の3月だったと記憶している。わたしはKさんと東京で待ち合わせた。行き先は決めていなかった(はずだ)。私は、とにかくKさんに会いたかった。ので、会ってください、と連絡をし、会ったのだ。目的は、どこかに行くとかではなく、(1)Kさんに会う(2)楽しむだった。だから、待ち合わせてから、どこに行くかの話し合いが始まった。「事前にきめておけよ!」とツッコミたくなる人もいるかもしれない。しかし、この後の展開を聞けば、「それもありだね!」と思うはずである。たまたま18切符が手元にあったので、どこか遠くに日帰りで行こう。みたいな感じで、西に向かった。結果的にKさんとわたしは京都に行った。日帰り旅行はいつのまにか2泊3日の旅行になった。一体何馬力の行動力を発揮したのだろう。(もう、小田原のことは後回しにて、このことについてものすごく書きたい。)事前にあれこれと完璧に決めて準備をしまくるのもいいだろう。しかし、自分でその準備を超えて、自分を驚かしてしまう自分の出現が大好きだ。そして、わたしは勝手にその謎馬力を発揮できたのもKさんのお陰様だと思っている。もう想像がつくだろうが、その3日間は最高の時間になった。この時のメモをわたしはどこかに保存しているが、異常なほどテンションが高かったことだけは記憶している。


迷った時はいつだってウルトラCだ。

その旅の始まりで、羅針盤をどちらに向けるかというアジェンダが上がった。北か、南か、迷った。なので西に向かうことにした。迷った時はいつだってウルトラCだ。迷った時点でどちらの道を選んでも後悔する。だから、選んだのはウルトラCだった。西に向かうことになり、Kさんとわたしは東海道線に乗った。最初は藤沢で降り、次に小田原で降りた。小田原なら城でしょ!と特になにも調べることなく2人で城に向かった。愉快だった。城の近くにある公園ではおでんフェスなるものと、ビールと、骨董市と、ブラスバンドを楽しんで、熱海に向かった。城のことはよく覚えていない。駅に向かう途中、もしかすると「(楽しかったけど)小田原はなんもないね〜」なんて会話をしてしまったかもしれない。が、なくてもいいのだ。わたしはKさんが大好きなので、Kさんといればどこでも楽しくなってしまう。故に、その三段論法故に、小田原が楽しかったのはKさんによってもたらされたと今日まで信じていた。が、今回、小田原にきて、それは変わった。


小田原はすごいぞ。特に何かを知ったわけではない。駅近にあるとあるお店で、いつのまにか1時間近く夢中になっているものがあった。それは「からくり箱」と呼ばれるものだ。簡単に説明すると、それは箱なのだが、どうやって開けるのかわからない仕様になっている。謎解きみたいに、あれこれ試しながら箱を開ける。が、なかなか開けない。途中で壊してしまいたい欲求が生まれるが、非力なわたしの両手の上で、箱は黙ってこっちを見ている。正々堂々と勝負をしろ。と言われている気がする。一つ目の箱があく。ははーーん、となにかこの世の真理を心得たような心地を得る。新たな真理を、新たなパンドラの箱をいざ開けんとす!と、その後、次々と、様々な箱に挑戦していた。ら、1時間がすぎていた。俺は何をやっているんだろう。こんなことをしている場合ではないだろう。と、ツマラナイ大人の声が聞こえる。が、しかし、これが夢中というやつなんだろう。夢中、ってのを、ひさしぶりに体験した。夢中は、遊び、は、こうやって始まるのか。このからくり箱を作った人々は偉大だ。この箱は、何かを入れるため、というより、開けるための箱。である。このちょっとした発想の転換と、その面白さは、色々なことに当てはめれる気がする。(が、思いつかないので、思いついた方はDMで教えていただきたい)


小田原は、未来の都かもしれない

そんな風にして、小田原の駅地下を楽しみ、地下のいくつかの店を見て回った。そして、地下から地上に出た。空は曇っているはずなのに、なんとも心が晴れ晴れとしている。めっっっちゃある。めっっっっちゃ都会じゃないですか。都だ。今日からここを俺の都にしよう。小田原。新幹線を使えば、すっと東京に。すっと名古屋に、京都に行けてしまう。京都も東京も大好きなので(なんとなく名古屋は好きになれていない)、小田原の地理的位置はめちゃくちゃいいじゃないか。かつて都だった京都、現在の都(?)である東京。過去と現在の二つの都に挟まれた小田原は、未来の都かもしれない!!!なんて、勝手にはしゃぎながら、3年前に新しくできた小田原の交流センター「UMECO」でこの投稿を書いている。UMECOとは、かつて愛されていた象の名前であり、うめこのこは、KOではなく、COである。CommunicationとかColaborationとかのCOらしい。そんなちっちゃな市民さえも知らない小田原情報を仕入れて、小田原を好きになってしまった。このUMECOはwifiがあり、作業環境としてめちゃくちゃいい。地下にはからくり箱が、地上にはUMECOがある。そして、城もある。これまで色々なところに行って来たが、総じて思うのは、海がある城下町(香川県の丸亀や、福岡の門司など!)は、最強だということです。


そんな風にして、小田原愛を深めていたわけだが、 ほんとーーーーにちょっとした残念がことがあり、熱が下がった。それでも、ここまで書き上げることができたのは、Kさんのおかげである。Kさんとの小田原がなければ今日わたしに生じた「小田原に住みたい!」という発想のどんでん返しは起きなかったわけである。そして、本当に住むとなったら、今日のような残念なことや、ちょっと悲しいこと、改善すべきところに出会って行くのだろう。住む、とは、そこのリアルに触れ続けることである。昨日、気が向いて計算してみたのだが、わたしは過去6年で15回の引越しをしていた。果たして、それらの引越しによって、ちゃんとそこで暮らせていたのか。なかなかに疑問である。例えば去年の9月、3週間ちょっと神奈川県の葉山に住んでいたのだが、あれは果たして「暮らした」と言えるのだろうか。


P.S.あなたにわたしの新しい使い方を見いだしていただきたい

また、去年の夏、小田原から二駅隣の根府川に行った際にも「ここに住みたい!」と思った。その時は、江之浦測候所という杉本博司さんの個人美術館(入館料3000円だが、その価値はある)と、たまたまやっていた地元の夏祭りに参加した。その夏祭りでは、流れでカラオケ大会に出ることになった。わたしのひどい音痴のスピッツのチェリーにも拍手をくれたことや、おじさまがたと仲良くなりLINE交換をしたこと、景品でもらった大量のうまい棒をちびっこたちに配ったこと、古民家バンクの人と知り合えたことetc etc etc etcがあり、土地に惚れてしまって。住みたい!!となり、翌日から、カラオケの祟りなのか喉の病にて1ヶ月ほどダウンした。この日のことも素晴らしいので、ちゃんと書きたい。書きたいけれど、書けていないこと。が、多すぎる。文章をひたすら書きまくる日々を送りたい。


そして、文章を書くために、色々なところに行きたいし、人に会いたいし、ここまで読んでくれている心やさしいあなたの家に泊まってみたいです。移動して、はじめての場所で眠り、朝を起きると、なにか、とてつもないほど書きたい気持ちにかられるのです。よければ、ご連絡ください。わたしにできることはその場その場で生み出せて行けたら本望ですが、例えば

お花をプレゼントすること、音痴な歌を歌うこと、料理(結構評判です!)をすること、ピアノ(でオリジナルソング)を弾くこと、etc etcです。あ、ヌードモデルやバーテンダーというちょっとレアな使い方も過去にはございました。上記の通り、時々ものすごい馬力を発揮することがありますので、わたしの新しい使い方を見いだしていただければ幸いです。

いただいたサポートは、これまでためらっていた写真のプリントなど、制作の補助に使わせていただきます。本当に感謝しています。