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広島市はイスラエルを平和記念式典に呼ぶな。ピースウォッシュをやめろ。

8月6日、広島で平和記念式典が行われる。

広島市に対して多くの人々が「イスラエルを平和記念式典に招待するな」と声を届けているにも関わらず、広島市長は「どこの国が正しい悪いと言っているわけじゃない」と答えた。今年もロシアとベラルーシには招待状を送らず、イスラエルを招待している。そして、パレスチナにも招待状は送られていない。

パリオリンピックでも、ロシアとベラルーシは参加が認められていないが、イスラエルは認められている。今この瞬間も、パレスチナで生きる人々はIDFによって殺され、オリンピックに出場予定だった300人以上のパレスチナの選手たちはフィールドに立つ前に殺害された。


今大会でメダルを獲得したイスラエルの柔道家パルチクは、「平和が大事だ」とインタビューで答えた。彼は、ガザに落とされる人を殺すミサイルに「From me to you with pleasure」と署名し、嬉々としてSNSに挙げていた。彼にとっての平和とは、民族虐殺の地続きにある。


平和記念式典の招待状は、広島市から各国の大使に送られる。核が落とされた広島の式典には、核保有国あるいは核を持つとされる米・英・仏・印・イスラエルが出席する。このイスラエルは「ナクバ」という大いなる暴力に建国された。英の三枚舌外交をはじめ、先に挙げた核保有国はこの建国という名の暴力に深く関与している。


オリンピックはこれ以外にも様々な問題を抱えている。平和の祭典とも呼ばれるこの商業イベントの為に、パリでも、東京でもホームレスの人々の住居が撤去された。先住民の土地を奪い、彼らの故郷が巨大な金儲けの為に破壊されているという批判は幾度もの大会でされている。負けた選手は大バッシングを受け、個人の努力がナショナリズムに回収され、全体主義を強化する。


オリンピックに関する論文を探すと、以下のような記述を見つけた。

「初期のオリンピックは息切れ状態で,観客を見つけることに苦労した.しかし,テレビの普及を受けて,オリンピックはやがて世界中の人気を集め,冷戦を背景としたライバル関係によりスポーツが世界覇権を争う代理戦争の場となったことで,さらに人気を博すことになった.オリンピックは法人資本主義(corporate capitalism)と固く結びつくようになったのである.この変化は,1984 年にオリンピック競技大会を私たちが今日知る巨大ビジネスに作り変えた国際オリンピック委員会 (IOC) のフアン・アントニオ・サマランチ会長の指揮のもとで起こった(Barney, Wenn and Martyn, 2004).」

つまりは、ロシアとベラルーシをオリンピックに呼ばないことは、彼等がウクライナに侵攻しているからではなく、そもそもロシアを大会に参加させたくないが為に、彼等のウクライナ侵攻を「平和」を象るために、利用している。そして、現在進行形で、爆撃がなされ、生命が軽んじられ、その殺戮兵器にサインをした選手の「平和が大事だ」を積極的にメディアが放映する。これを「ピースウォッシュ」と言わずして、なんと呼ぼうか。

様々な利権が渦巻き、このオリンピックをメディアは適正批判することが出来ない。先程の引用部分からもわかるように、オリンピックはTVの放映により力を獲得し、そして今やTVはオリンピックの放映権から力を得ている。お互いに強く抱き合うように依存しあったこの状態において、メディアは負の側面を放映したがらないのは当然だろう。

そしてそこにスポーツという、一人ひとりの努力の結晶が加わってしまうと、どうしても、第三者からは批判しづくなる。スポーツという盾を獲ることによって、IOCは自らへの批判を退ける。そして選手たちも、自分達の選手生命のためにか、このイベントを批判できずにいる。

そんな中、コンゴ選手団のマルセラト・サコビ氏は口に手を当て、こめかみに2本の指を向けるという力強いジェスチャーを行った。これはコンゴ民主共和国で続いている虐殺、レイプについての識らしめる行為だ。この虐殺も、私達の生活と全く無縁ではない。あなたが今この文章を読んでいる、スマホ、PCに使われているコバルト。「紛争鉱物」で検索をすればコンゴの虐殺が少しでも身近になる。

日々の努力の成果を競い合うオリンピック、世界一の祭典。アスリートのプレーが、今挙げたような問題を覆い隠す為に使われ、IOC をはじめとした先進国側は、その隠された側面から莫大な利益を受ける。犠牲を不在にさせられた人々に押し付けられている。命を狙われるかもしれない危険を伴うなかで、数少ないアスリートが競技場から、様々な形で抵抗をしている。

10代の頃の自分は、なにも考えずにオリンピックやテレビを観ていた。きっとその時も、今の私のように批判をする人々が大勢いたのだろう。その声が当時の私には届かなかった。しかし、今となっては、毎日のようにこうしてオリンピックや様々な国際関係を批判をする人間になった。平和だとか、多様性だとか、聞こえの良い使わればかりして、言葉が破壊されるこの2024年において、私は私の声を、しっかりと、叫びたい。そして、金儲けのために人が殺され、生き物が搾取される時代を終わらせたい。

広島原爆ドーム前にて

#FreePalestine
#StopGenocide


新造真人 / Makoto SHINZO
インスタグラムでは毎日、中東や琉球をはじめとした生命の尊厳のことについて話し、発信しています。専門は記号論や美術です。好きなことは料理、身体操作、水色研究、偶発性の意図的な創造。

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