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深呼吸の必要、急がないこと。

いつも持ち歩いている本がある。鞄にお守りのようにしてしまいこんで1年が経つだろうか。『深呼吸の必要』、長田弘さんの詩集だ。とある日の昼過ぎ、高円寺の小杉湯にいった。その日は、たまたま小田原の知り合いの農家さんの育てた柑橘のお風呂があって、切なさを取り除いた懐かしさを感じた。銭湯の休憩スペースでは、何冊かの本が売られていて、買ったのがこの本だ。117ページには大きな余白の中に二つの柑橘の挿絵が描かれ、お隣のページには、インクが、言葉の形をして置かれている。私の、読みが間違えでなければ、それはこういった字の連なりである。

「ときどきアントン・パーヴロヴィチの短い話を読む。人生はいったい苦悩に値するものなのだろうかといったチェーホフ。大事なのは、自分が何者なのかではなく、何者でないかだ。急がないこと。手を使って仕事をすること。そして、日々のたのしみを、一本の自分の木とともにすること。」

深呼吸の必要 長田弘



今日で、私は、仕事を日課にしようと思い、続けて25日目になる。自営業の仕事と、いくつかの1日の仕事を組み合わせて、どうにか「仕事を続ける」という鎖をつないでいる。当初は「私は働けるのだろうか?」という恐怖に打ち克つこと、自らの生活をコントロールしてみること、やってみたことがないことに挑戦すること、そして「続ける」という一種の狂気、酔狂に自分を投身してみたいと思ったからだ。続ける中で、毎日、働く連続記録を更新している。

しかし、働き続けることがえらいとも思わない。人生は、働くだけで、満たすのは空虚だと思う。1日を働くことで埋めることと、毎日働くことを続けることは違う。30分でもいい。自分が大事だと思うこと、それぞれの仕事の定義によるが、今の自分にとって大事なことを、仕事として生計を立て、かつそれを、毎日続けることができる、優しい切実さを持ち合わせたものだと、どれだけいいものか。

ブルシットジョブだと思える仕事もある。そんな仕事もした。いくつかの現場で、数ヶ月連続勤務をしている人に出会ったり、そんな人がいた、という話を聞いた。アグレッシブさを売りにしている友人に質問をしてみると、こんな返答を得た。

「ザラというか、飲食歴が長ければ長いほど休日返上して何連勤働いてる俺、会社のために働いてる俺、イケてる、会社のために働くぜって思考になってます。普通は店長とか上のスタッフが率先して仕事とプライベートの区切りをきちんと取ってその姿勢を下に見せないといけないんですけど、体育会系の考えがいまだに蔓延してますね」

私は、働くことを、続けている自分を誇らしく思っている。25連勤なんて、そんな自分は過去に存在しなかったし、それを自分がなせるという確証を持っていなかった。一方で、たくさん働いているのがえらい!どうだ!みたいな思想に染まりたくなかったので、今日は1時間だけ労働した。長く働くことよりも、走り続けることのできる体を作る。だから、短くてもいい。今日も1時間、働いのだ。すると、どうだろう。余暇が生まれる。久しぶりに美術展に足を運んだ。電車を乗り過ごして、本を読む時間が生まれた、と思える時間があった。それは、自分の元来がそうなのか、ゆとりのある時間がそうさせたのか、わからない。

しかし、夕方過ぎから、手持ち無沙汰になる。本日は、たっぷり働かない時間を持ったのに、その時間は、働くことが当たり前になっていた。1ヶ月前までは、毎日、そのような時間を持っていたのに、今日は「あれ、時間をどうやって過ごせばいいんだっけ?」と。空虚な気持ちさえ、流れた。詩集を読んでみたりしましたが、なにかに時間を使わないと心が落ち着かないような。心が臨戦態勢になっていて、深呼吸をするために、立ち止まれない感覚がある。

週5で働くことを何年間もやっていたら、この感覚に飲み込まれてしまいそうだ。自分のリズムの決定権が、自分から離れてしまって、下り坂で、早くなる足の進みを止められないような。坂道を下るときは、ちょっとの速度がどんどん肥大する。ブレーキをかけるより、走る抜ける方が簡単だから。かといって、走り続けることを望んでおらず、止まり方がわからない。時間があるから、空虚に気づけたのか。時間の使い方が空虚を生み出していたのか。

「大事なのは、自分は何者なのかではなく、何者でないかだ。」


私は、今のようなリズムをかき乱される生活者にはなりたくない。かといって、時間を浪費している感覚にも溺れたくない。自分を大切に思ってくれる人や、新しい人との出会い、景色、風景に、時間を注いでいきたい。

「急がないこと」

急いでいると、それがデフォルトになってしまう。遠ざけていた生活に、いざ近づいてみると、そちらの倫理に巻き取られる。正常な判断というのはどこにもないからこそ、急ぎすぎないこと、心の奥に響くものがあるかどうかを。

「手を使って仕事をすること」

労働の中には、様々な種類があるが、目的と手段がこんがらがったり、忘れてしまうと、体を取り替えのきく部品のように扱ってしまう。どこかでガタがくる。体にも、心にも調律を。

「そして、日々の楽しみを、一本の自分の木とともにすること」

そして、日々の楽しみを、一本の自分の木とともにすること。



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