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どうでもいいいいことを、言おう。

どうでもいいことを、言おう。朝礼とか、議会とか「どうでもよくないこと」しか言っちゃいけなそうな雰囲気なところで「どうでもよくないこと」しか言えない人だけしか発言できない空気になったら、それは死んじゃう。という人、いると思う。もし、どうでもいいことを言うな!と宣(のたま)う方がいて、それが世間の雰囲気だとしたら。それ、全然どうでもよくない。人間が死にます。

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ちょっと考えてみてほしい。あなたの所属している組織で、英語で言えばcommunityというところで、「どうでもいいよくないこと以外、発言するな」と言われたら。そんなことを言われてないのに、体にその言葉が刺繍されてるみたいな気分になっている。そんな時は、鼻歌を歌う。花を飾る。鼻をほじる。通学路に穴を掘る。生垣に柿を添える。許容度のないところは、eveyday, everywhere、緊縛プレイみたいなもんです。

「どうでもいいこと」の代表格と言えば、Twitterである。どうでもいいことを呟くためのweb serviceである。らしい。時々英語表記をするのは、かっこいいからである。といった、どうでもいいことを呟くのがTwitterなのに、みんななんだかカッコつけてるぞ。Facebookは、もっとそうか。Instagramはどうだ。Tik Tokはよく知らない。なんだかこの文章自体が、かっこよくないことを言おうとするそのスタンスがカッコつけていて、それを文章化していることで、さらに、みたいなメタ構造が入ってしまって、ややこしい。

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この頃、Twitterというものに慣れてしまった。半年前は1ヶ月に一度ひらけば多い方だったのに、最近なんて1時間に数回見てる。Twitterを閉じたはずなのに、開いている。おかしい。手品かな、って自分でもびっくりしてる。だって、今、Twitterを閉じるためにiPhoneをポケットにしまったはずなのに、今、手のひらの上で目的もなくTwitterを開いている。こわい。僕のタイムラインではこの頃、桜を見る会、香港、周庭さん、愛知トリエンナーレ、猫、下ネタ、gender、障害、についての話題が入り乱れている。

https://mobile.twitter.com/makotoshinzo

息苦しい、という言葉すら、息苦しい。言葉の責任や所在はどこにあるのだろう。「国ってなんだ?性別?」って考えるとインテリっぽい感じがするけど、右脳はすぐに「猫かわいいな」とか「あ、あの連絡返さないと」とか。いつのまにか日が暮れて。みなさん忙しいようだから、「来なくてもいいって言われた仕事先との会食に行くので」と2週間前から約束していた卒業祝いの食事会のリスケを提案をされて、ぷち怒になったりする。この話題があなたにとってどうでもいいように、僕にとってはどうでもよくない。

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優先順位とか、自己承認欲求という、偶数熟語を、よく聞いたり、僕も使うけど。それっぽい言葉を使って、満足しちゃいないだろうか。と。中学くらいまで、つまり、生きて来た半分を優等生として生きて来たしまった私は、頭を緩ませようとしても、すぐにカッコつけようとしてしまう。でも、カッコつけようとしている人は、結構な確率でダサいなって中学2年生の時に知ったので。一所懸命な人は、言動がダサくても、憧れたりする。

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社員全員が集まる朝礼で「今日はバスで来ました」とか、「今晩のおかずはエビフライです!」と、さも大事そうに話したい。答弁を求めてるのに「中止します」としか言わない人が代表の組織で、「股がかゆいです」とか、お茶を濁すような発言じゃなくて、それを通り越してどうでもいい発言をする環境大臣を見てみたい。どうでもよくないことにちゃんと答えれない大人がトップに立つ国だからこそ、みんな「マジで、どうでもいいこと」を積極的に、堂々と言うこと。そしたら、「どうでもよくないこと」にも、しっかりと答えてくれる空気が生まれる(はず!)。

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なんだか、言いたいことと、違うことを書いてしまった。吐き出したかったのだ。昨日食べたポトフがめちゃくちゃうまかったこと。今日で今月は8回目のラーメンを食べたこと。店主がベトナム出身の方で、やっぱりベトナムは好きだな。って思ったこと。ある人にはどうでもいいけど、たしかにぼくは、そういったことを思ったんだ。好きな人の「どうでもいいこと」だったら、めちゃ聞くじゃないですか。

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でも、好きな人に電話をして

「今日食べた煮干しラーメンめちゃくちゃうまくて!しかも店主がベトナム人で!って話をあなたにしたいんだけど、この時にあえて国籍を出すのは、何かしらの差別意識があったりするのかな。どこか、東南アジアのことを発展途上国で、日本のことを先進国だと思ってはいるけど、実際はもうそんなことなくて。単純に今日行ったお店が美味しかった!あなたと行きたい!ってことを伝えたいだけなのに、思考がどんどん竿屋が儲かって、大変なんだけど、今度、いつ会える?」

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ということを伝えたい。だいたいいつも、人と話をしている時は、口に出している言葉の後の10行くらいが頭の中に原稿として用意されている。「あ、これはあまりにも過剰な情報だ。どれが重要なんだろう。これとこれか」みたいな思考もいくつか同時並行で、話すということはとても大変で、私はよく「話が飛ぶね。脱線するね」と言われる。けれど、それはぼくにとって「あなたにとってどうでもいいかもしれない部分」を最大限端折った結果。超特急で言葉を届けると、レイアウトが崩壊することが起こる。

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この上までの文章で2200字ある。最初は「どうでもよくなことを言える空気がいいよね」という20字(ちょうど!)を伝えたかった。ら、竿屋が儲かってしまって、こうなった。そして、大抵、ぼくが何かを話したい!という時には、頭の中でこれくらいの文量が浮かんでいて、書けば書くほど、それは増殖して、いく。ぼくにとって「どうでもいいこと」が、おそらく生活90%をしめる。たとえば、散歩。この前知り合った人は職場で「アイディアが出ないの散歩して来ます」と言ったら、上司に睨まれたらしい。おえええええええ。

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「どうでもいいこと」に感じてしまう人がいるのもわかるけど、それを、本当にその人はどうでもいいことだと思っているんだろうか。もしそうなら世界線が違う。子午線が違う。どうでもいいことに見えて、実は大事なこと。どうでもいいことに見えて、本当に大事なこと。って紙一重だと思うし、そもそも、「どうでもよくないこと」って存在するのか。逆も然り。硬直してしまった世界を、たぷんと、湯船に浸からせてあげたい。たぷん。たぷたぷん。

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人それぞれ、色ーーーーんなどうでもよさの定義がある中で、「(自分の)どうでもよくないこと」にしか興味のない人が発言する「どうでもよくないこと」だけが、世界を占領するようになったら、それは、もはや、WW3だ。言論の空気的な弾圧が感じられるこのご時世で、それを、的確に、短く、多くの人に伝えられる人はカリスマだ。そんなわけで、俳仙に憧れている。


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