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オタクの服はダサい

今から書くものはすべて私の主観的妄想であり、客観的事実は何一つ含まれていないことをご理解いただきたい。

オタクのファッションについて思うことがある。
オタクの服はよくダサい、と形容されるがそうではない。
オタクの服はファッションですらないのである。
かくいう私もオタクである。
当然のごとくファッションとすら呼べないぼろを着ている。
ブランドにも当然疎い。
スニーカーの安物とブランド品の区別も、sheinのまがい物とパクリ元の区別もつかない。
BALENCIAGAがなぜぼろぼろの靴を出すのかもわからないしmiumiuの財布は女性器に見える。
それを前提として読んでほしい。

オタクの着ているものは「布」だ

オタクがどういう基準で服を選んでいるか。
それは「着られるかどうか」、「着心地がいいかどうか」、「無難であるか」である。
オタクは当然ママに買ってもらった服を着ているのだが、よしんばママに「オタクちゃんもいい歳なんだから自分で選んでらっしゃい。」と3万円を渡されたとしても上記の基準で選ぶため、ペラペラかつ謎にくすんでいて体形に合っていないシルエットのダサいコーデを完成させてしまうのである。
おまけに、服なんかに金をかけたくないと思っているため1万以内で抑え残りはナンジャモのカードを買うための貯金に充ててしまう。
話が若干脱線したが三つの条件を満たしており、かつ安めの価格帯の服を想像してもらいたい。
それは服と呼ぶにはあまりに「布」なのではなかろうか?
ギリシアの一枚布と大差ないのではないだろうか?
無論ギリシアにおいてはそれが一般的な服装であったため自然だったと思われるが、オタクの服装はそれを現代においても身に着けているようなものだということである。

オタクのまわりにはその不自然さを指摘してくれるものはいない。
似たような者ばかりが集まっているからである。
絶対的な評価を下すのは難しい。
醜悪なもののなかに標準程度のものがあればそれが最も良いもののように思えるが、標準程度のものが美しいものに囲まれていれば見劣りして見える。
基本的には、相対的な評価に左右されてしまうものなのである。
すると、オタクの集団にいれば当然自分がまともに見えてくる。
抜きんでているとさえ思ってしまうほどである。
(また、オタクは人と関わらないため比べる対象すらいないという意見もある)

まずもって、オタクの着ているものは服ではない。
これではファッションの判定は困難である。
オタクは服を着るところから始めるべきだろう。

オタクにはセンスがない

ご存じの方もいるかもしれないが、オタクにはセンスがない。
日夜ソシャゲやアニメ、漫画等二次元キャラクター(以下アニメの一語のみでこれらを総称する)の、性的特徴を強調させるために奇妙にはだけさせた女性を浴びるように見ているからである。
これらはデザインしている方もオタクであるため需要と供給が合致している。
これも上記で述べたようなオタクコミュニティに属すが故のエコーチェンバー的現象といえるだろう(当然ながらこの現象は他の界隈でも起こりうるだろう。しかしそれらの界隈での現象は、服飾への過度なこだわりゆえのものだと思われ、オタクとはまるで正反対である)。

オタクの普段目にしているアニメの服装の具体例を挙げる。
アニメというのはやはり虚構であるから、リアリティとは真逆の服装が多い。
甲冑であったり、フリルがふんだんについたドレスであったり、パイロットスーツのようなボディラインに沿った格好だったりする。
「ダンまち」のヘスティアなんかは、薄布を紐一つでくくるという常人には考え付かない服装である。
オタク向けアニメといえば学園物も多いと思うが、制服すら現実のものとは大きく乖離している場合がある。
これはエロゲに顕著で、実は実際の制服と似たデザインになってしまった場合、その学校の校風を毀損してしまうためという意外にもきちんとした理由がある。
エロゲの制服は案外考えて作られていることが多く、例えばTo heartの制服は赤で統一されているが、この赤は皮膚の赤みの彩度を最大限上げたもので、色数を抑えるためにこのような工夫がなされている。
制限が有らばこそ進化もあるといったところであろうか。

しかし、それはあくまで画面上での話である。
実際制服の色が赤であったらどうだろうか?
似合う人はいるだろうが限られてくるはずだ。
特に、個性的な顔の方が多いオタクとなればその数は一割にも満たないのではないだろうか。
だがオタクは学習データがアニメしか存在しないため、これらの服装を現実でも取り入れてしまう。
わかりやすい例が、巷で言われがちなaxesオタクや全身真っ黒キリト似オタクである。
これらの服が似合う人もいる。
しかし、こういったテイストのものが世間一般から逸脱しているのは事実であり、そういったものを身に着けるためには多大な知識、努力、技量が必要なのもまた事実である。
一般に基礎あっての応用だと言われるように、オタクもまずは、根拠なく馬鹿にしている一般大学生の服装などを真似してみるべきだろう。

オタクは服についてあまりにも無知である

先に述べた通りオタクには基礎となる「型」がない。
オタクには服の知識などまるでないのである。
試しに近くにいるオタクに服について話してみよう。
「ナニソレオイシイノ?」と返されてしまうのは確実である。
しかし、オタクは「ナニソレオイシイノ?」とは言うが食には興味がない。
オタクはラーメン、カレー、カップ焼きそばしか食べない。
オタクが興味を持つのはただひとえに虚構と性欲の発散、それだけである。

服というのは二次元であれば線を引くだけでできてしまうが、現実においてはそうではない。
色、形、実際来た際の表情、そういったものが重要となってくる。
特に実際着た際の見え方というのはかなり重要となる。
良いと思った服装を安易に真似してしまうと、モデルと自分とのギャップが浮き彫りになり、痛い目を見る。
オタクは自己についても無知であるためこうした注意が必要となる。
己の像というのは他者が見出す己を見ることで立体的になるが、オタクは他者とのコミュニケーションが希薄であるためである。
そう考えるとダサいオタクに必要なのは知識ではなくコミュニケーションなのかもしれない。

オタクは機能性がほしい

ファッションというのは難しい。
(見た目の)デザイン性を重視すれば機能性が落ち、また逆もしかりである。
オタクが好きなのは機能性だ。
理解が及ぶものを重要視したがるのは当然だろう。
こうなってくると、問題はオタクと世間の価値観の乖離にあるとしかいえなくなってくる。
というか、今まで述べていることはすべてそれである。

オタクには勇気がない

勇気のあるオタクがこの世に存在するだろうか。
存在するとすればそれは勇気ではなく捨て身の間違いだと言うべきであろう。
オタクは常に怯えている。
他者の影に、過度な自意識ゆえに。
また、変化も苦手だ。
そうすると、オタクはおのずとママの買ってきた服に閉じこもるほかなくなる。
性欲の発散のみおぼえたガキ、それがオタクだ。
誰しも初めたては転ぶものだし、玄人でも失敗はある。
おしゃれに手を出した君を人の足を引っ張るのが大好きなオタクの連中は笑うだろうが気にすることはない。
一歩踏み出してみる、というのもたまにはいいのではないだろうか。
古い服を煮沸消毒するのはやめ、新しい服を買ってみよう。
きっとママもほめてくれる。



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