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日記 2024/7/21 話し方

今日はなんだか元気がないかもと自分を天井から見下げたように俯瞰する。

自分が喋っているときのズレが妙に気になってしまう日がたまにある。ズレと表記すればいいのかわからないが、自分の発言のうまくいかなさや受け取り方の下手さみたいなのをつらく思ってしまう。友だちと話しているときいかに相手が自分のことを補完して話してくれてるかを思って、それを自分でカバーできない私のことを情けないと思う。大人数の会話のとき、私がさっき話したのに他の人がもう一度同じ話をし始める時がわりとあって、私は夢でも見ていてなぜかその話をした気になってるんだろうかと不思議になる。ただただ声が小さいとか発音が聞き取りづらいとかが原因なんだろうけど、不安40%くらい混ざったその不思議がもやもや溜まり続けると今日みたいな日がくる。昔はもっと簡潔に、そして的確に、思っていることを説明できた気がするのに、今の自分が起こす会話はモヤがかかっていて明瞭でなくリズムも悪い。何を言いだすかもわからなくて不安。それでも次はうまくいくかもと思って話してみると「話さない方が良かったな」と思うことの方が割合的には多い。自分で考えてもこの感覚は極端なので、普段はこのズレを意識しないよう・意識してなさそうなよう生きることを心がけているけれど、やっぱり感じているは感じているのだ。

セリフがあると安心する。何を言えばいいか書いてあるから。演出があると安心する。自分のリズムを明かさなくて済むから。

イマーシブに飛び込んでみたのは、ズレを矯正したいからみたいな気持ちもあったのだけど、結局現実の私は変わらない。変わっていないと現時点では思う。東京で「喋りの練習になると良いですね」と言われたのを覚えているが、上手くなっていないので、なにか「話の上手な人が考えてる9の方法」みたいなそういう名前の自己啓発本を読んだ方がいいんじゃないかと思った。話の上手な人を見てると劣等感を感じてふて寝したくなる。そういう努力を自分がしてこなかっただけなのに。

ただ、自分の話し方の変な余白の部分を愛している自分もいる。人がしている話し方で自分を言い表せるわけがないのだから。24年連れ添った自分の結果を愛おしくみたり嫌悪したり、自分は自分の中でいつも忙しい。

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