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日記 2024/7/15 電話

電話をふたつした。ひとつはしばらく会っていない人と。もうひとつは今度会うことになる人と。

電話が大好きだった頃がある。毎日電話をしていていわゆる寝落ち通話を毎晩やっていた。高校生から大学生にかけての淡い記憶。手軽に繋がれた気になれて嬉しかった。その人と繋がっていない時間がなかった。あまりにも毎日必ず電話があったものだからそれがなくなったときは日常の大切なものを奪われたと感じて怒っていた。

今は電話は滅多にしない。友だちとすることはあるけれど2〜3時間もしない、どうでもいい雑談をして適当な時間になると終わる。今の生活と電話との距離は遠い。

電話は身を守る手段でもあったし、誰かを脅す手段でもあった。私が大学生の頃住んでいた祖父母の家は、雑木林がすぐ隣に続く道の先にあり、私はその道を夜の森の音を聴きながらひとりで帰るのが怖かった。誰かがあの木の影から出てきたらどうしよう。そういうことばかりを考えていた。だから駅に降りるとすぐ電話をかけて「私はすぐ助けを呼べる人間なんだ」ということを雑木林に潜んでいるかもしれない誰かにアピールしながら帰っていた。それを続けてる間に雑木林が伐採され林の半分が住宅になったこともあり、4年間その道で危ないことは何も起こらなかった。その道を帰ったあと自室で電話をしているときに私は相手にこう言い放ったことがある。「窓から飛び降りたくなった」これは今思い返しても完全に脅しでしかない。精神が不安定になっている自分を電話相手にケアしてもらうための、脅し。電話は防衛の手段であったし脅す手段であったし、とにかく自分にとってケアされるための道具であった。

電話が嫌いな人と出会ったおかげで、今はその道具を手放せて心底ホッとしている自分がいる。ケアさせるために人に電話をかけていた自分を残念に思うし、もうそうなりたくない。だけど当時はそうするしかなかったのだとしてその相手をしてくれた人はそのとき何を思って向き合ってくれていたのだろう。もちろん電話の良い思い出も沢山ある。耳元で好きな人の声がすることのこそばゆいあたたかさは好きだ。でもそのあたたかさにズブズブと依存していった自分をその温度から今も思い出す。

電話をふたつして、電話を好きだった自分が今はあまりにも遠くにいるのを少しさみしい気持ちでまた見送った。

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