見出し画像

一人芝居「オープンマイク」

作品について
1999会の公開稽古にて「40歳の私」をテーマに発表した私が書いて演じた一人芝居のテキストです。せっかくなので。


自己肯定欲の塊みたいな女にとっては
感情こそが真実だから
常識も通念も論理も道理も通じたもんじゃねぇから

って、好きな漫画の、アプリの、コメント欄に書いてあって、九月、私は夜道を走り出しました。そのコメントには、351グッドがついてて、自己肯定欲の塊側の人間がつけた、あるある〜って感じのグッドなのか、塊人間に被害を受けた人の、「マジ勘弁してケルベロス」、っていう感じのグッドなのか、私にはわからなかったけれど、たかだか漫画アプリのコメント欄で、351グッドは多くね?って、思いました。中学生の時、学校で浮いてて、浮きたかったわけじゃねぇんだけど、浮いてて、生涯、いじめとか目撃したことなかったけど、あんまり浮いてたもんだから、これは我の身に、いじめ降りかかるパターンじゃね?って思って、ヤベーって思ってたんだけど、実際はそんなことにはならず、いじめではないラインで、男子クラスメイトに毎日殴られる時期があった。のね。で、多数の男子クラスメイトに殴られてて、クラスで浮いてて、クラスメイトの女子どもは、キスマイフットツーの話ばっかで、何言ってんのかわかんないし、先生も特に私を気遣う様子がなかったんで、毎日のコミュニケーションが、殴りオンリーの時期、があったんですね、だから、1日にそれしかないから、殴ってくる男子クラスメイトどもが、すごく好きになっちゃって、痛いのに、好きになっちゃって、アイドルの話をする女子どもより、訳のわからん感情を、我の二の腕にぶつけてくる男子どもの方が、私には真実で、「痛くて嫌だなー」って感情が、いつの間にか好意、好き?に変化したことを認知する頃には、男子どもは男になってて、私を殴らなくなった。自己肯定欲の塊みたいな女である私が、SNSに毎日投稿していることは、全部感情の話だし、友達にする話も感情だし、彼氏にぶつけようと思ったものも全部感情。あわよくば、大学の卒論も全部感情で書きたいけれど、感情は正しい社会でほとんど尊重されんので、諦めることとする。けれど、一応教授に訴えてみようとは思う。こうした、自意識を突き破るほどの自己肯定欲という感情を抱えて、20年?生きてきた訳ですけど、常識も、通念も、論理も、道理も、俺には通じねえよという態度、私の過去が築きあげてきた歴史、を否定して、私は果たして何がしたいんだっていう、、、吐露?何これ?オープンマイクで、配信しながらいうことじゃねーーーって感じだわまじ。感情なんて誰しも抱えているはずなのに、吐かずにはいられない、怠惰、20年生きてきたけど、この先10年、20年、こんなこと繰り返して生きてくんでしょうか。って、30歳、40歳、になった時、あんなバカみたいなことなんでやってたんだろうって、思いながら、洗濯物たたんでたいな。犬、飼いたいな。そうなるまでにあと20年、果たして?って感じですよね。そーいうこと考えてるうちに、いつの間にか、走り出した夜道、終わってて、家に戻ってて、ってことを今日渋谷の坂下ってる時、妄想してました。以上です、オープンマイク、ありがとうございました。さいならー。すいませんでした。


引用:アプリ漫画oneで2020年8月30日限定で掲載された漫画『あげくの果てのカノン』の終盤の話でのコメント欄のトップに表示されていた名も知らぬ誰かのコメント

#演劇 #脚本 #創作note

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?