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日記 2024/7/31 憶えてるのは言葉じゃなくて

「憶えてるのは言葉じゃなくて」を見返した。
過去の自分の一人芝居を観るのはあまりにも恥ずかしくて、最初はちゃんと観られるのか不安だった。前説のあたりからもう「下手すぎる」と思って目を瞑りたくなったが、だんだんとこれが自分ではない気がしてきて冷静に観れるようになったし、自分で言うのはあれだが面白かった。

「どうしてこんな自分を開示する作品を作ったの?」と聞かれたことがある。そのときは答えられなかった。なぜ作ったのかずっと考えていた。今思うに刻一刻と変わっていく自分を記録しておきたかったのだと思う。元恋人のことが諦められなくて、「わかりあえる」ことにとことん執着した自分を。わかりあえないことに怒ったり悲しくなったりする熱量はもう私にはない。この作品を作った当時の私にもなかった。そのまた昔の私はわかりあえないことがわかりあえるようになったら革命が起きると信じていて、それを諦めなかった。恋愛をしている最中の私はとち狂っている。今の私は狂っていないと思っているけど、未来の私からしたら今の私も狂っていると思うかもしれない。そのときは大真面目に向き合っていたことが、未来の私からしたらどうでもよくていつでも手放せることになっていくのが制作当時は怖かった。だから、狂っていると思われようが一人の相手に全力で立ち向かっていた過去の自分を作品の中に留めておきたかったし、それを恥ずかしく思ったり馬鹿みたいだと思ってしまう自分も忘れたくなかったんだと思う。

この作品で登場する話はもう上書きされて、私の記憶の中にはない。私が泣き喚いたり叫んだりしていることがやっと他人事になって、それを側から見たらちゃんと笑い話だった。客席の笑い声と一緒に笑った。あんなに必死に真面目に生きていたと知っているのに、昔の私の行動を今では理解できない。わかりあいたかったのに、自分のことすらわからなくなっていく。人になるべく迷惑をかけずに自力で生きていくことが今は大切で、あんなに迷惑をかけてまでひとりの人のことを知りたかった自分の体力と原動力が不思議だ。どこから湧き出ていたんだろう。

去年は「この作品は再演しないと思います」と言っていたが、全部見返してみていつか再演したいと思った。完全に他人になった私を演じてみたい。未来の私はこの物語の最後にちゃんと泣けるんだろうか。それとも冗談みたいに笑って終わらせるんだろうか。

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