人笑人バンド愛媛大学ツアー珍道中その5

大街道のアーケードで店を探すことにした。
大街道のアーケードは金曜日の夜ということもあり賑やかだった。特に指定もなかったので、それとなく目ぼしい店を1軒1軒あたった。最初にみんなのアンテナに引っ掛かった店は、バリアフリー対応もされていたし、日本酒も飲めたし、今治焼き鳥も食べられたのだが、満席のため叶わなかった。
それから3軒ほどあたったが、全て満席のためダメ。
途中で労研饅頭を買い食いしてつないだ。
飲み放題の唐揚げの店だったか、そこは空いていたし、何よりもバリアフリー。
店内は決して広くはないが、メンバー一同翌日の決起集会としてはみんなが集まって飲むにはちょうどいい。やたら食べるテーブルと飲むテーブルに分かれて座った。たまたまそうなった。思えば、バンドメンバーと飲むというのは初めてかもしれない。ビールを飲む人はいなかった。ハイボールか焼酎かカクテルか、ソフトドリンクか。
なんてことないたわいもない話をずっとした。
飲んでばかりの人たちはあんまり食べず、食べてばかりの人たちはあんまり飲まず。

ちょっとほろ酔いで、1次会は終わった。
次の店に行くにもまず行かないメンバーをホテルに送ることが優先で、この時点でもう21時半。2人は離脱した。明朝は7時にロビーだよと伝えて、2次会組は次の店に消えていった。
2次会には車椅子組とメンバー的にはシニア組だった。

雰囲気の良い店を選んだが、そこはカウンター席しかなく、ちょっと難しいかなと思って諦めかけた時、車椅子組が「届かなくてもよかですよ」と言ってくれた。時にはこういうバリアな場所もありかもしれないということで、カウンターの店で2次会をした。思えば6年ほど前に車椅子組と松山に来た時に、障害者差別解消法を考えるとても貴重な機会となった、事件があったのを思い出した。このときは大変だったが、その事件のおかげで、愛媛との縁は違うステージに進んだと言ってもいいだろう。

食べる人はよく食べる。よく飲む人はよく飲む。明日の朝食は大丈夫なのだろうか。などと考えてしまった。結局1時間ほどで前日の宴はおわった。

ホテルに帰る道は、6年前の夏とは違い、冷たい風にあたりながらだった。明日、いよいよ本番。

ロビーで最後朝の集合時間の確認をして、それぞれエレベーターで各々解散。車椅子組も基本的には自分でできるのでいいのだが、一人だけ、お風呂介助を委託されていたので、そこだけサポートした。

本番当日

前日はそんなにお酒も飲まず、ただただ無事に終わって欲しいという思いが強く、5時半には目が覚めた。7時にロビーで待ち合わせなので、まだまだ余裕がある。身支度をゆっくりとして、結局準備ができたのが6時半だった。45分にはロビーで待っておこうと思い、ちょっと早く部屋を出て
エレベーターに乗った。誰かが乗っているかなとちょっと期待したが、全ての階を通過して、ロビー階に着いた。
そこにはソファーがあり、座るとエレベーターの扉と対峙する。
私がつくや否や、車椅子組が次にやってきた。朝の身支度も全てバッチリだった。
あと3分というところで、他のみんながゾロゾロとやってきた。
よしこの体調も心配だったので、確認すると、どうも寝るのが遅かったらしい。眠くて眠くてという答えだった。口酸っぱいようだけど、10時からの10分間の演奏のために来ているのだから、それが仕事なのだから、観光ではないのだから、と、朝から言ってしまった。
7時になった。こーへいが来ない。ちょうど時間になった時に一台のエレベーターがロビー階に着いた。ここにいなかったら、電話しよう。
やっぱりエレベーターにはいなかった。携帯にかけてみた。すると、寝起きな声で、おはようございます、と挨拶だった。この電話で起きたらしい。
先に食事に行くと伝えて、電話を切った。本人も流石にやばいと思った感じだった。
みんな朝からよく食べる。昨日2次会にいったメンバーたちなのに、バイキング朝食だからなのか、盛り方がすごい。サラダはほとんどなく、ソーセージ、揚げ物系がどかっと乗っていて、あとはカレーだった。よく食べれるねと訊くと、朝ですからと返事した。まことさんが答えてくれた。まことさんは、私とおないとし。だから、ちょっといろいろと考える。同じ年に生まれて、同じ社会の動きの中で、おそらく同じテレビ番組を観たり、同じポップスを口ずさんだりしていたんだろうと思うと、彼が今置かれている状況と、私がいる立ち位置との違いの意味を考えざるを得ない。彼は昨晩、私の隣に座って、黒霧島をロックでクイっと3杯ほどいっていた。立っている状況の違いだけで、私は日本酒を飲むし、彼は焼酎を飲む。おないとしの中年のおっさんだから、2人とも。それでも私は彼の金銭の支払いや時間管理などのサポートをしている。

 まことさんは、朝からよく食べる。タバコも吸う、酒も飲む。もう若くないんだからと、おないとしの人間としては忠告したくなるが、忠告すると、=指導みたいに聞こえるようにも思えてなかなかできない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?