見出し画像

人生を幸せに生きるコツは多くのことを「笑い」に変換してしまうことだ

僕が中学生だった90年代初頭、テレビはお笑い番組の戦国時代だった。
お笑い芸人を「世代」呼びするのが今の主流だが、その呼び名でいうとその時代は「お笑い第三世代」で、20代のコンビがテレビのお笑い番組を席巻していた。
彼らは「とんねるずのみなさんのおかげです」、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」、「ダウンタウンのごっつええ感じ」といった冠番組を立ち上げ、内容はコント中心の構成だった。

中でもダウンタウンの勢いは凄まじかった。彼らの描くシュールな世界観のコントは、それまでの「8時だョ!全員集合」「オレたちひょうきん族」 などの正統派コントと相反するもので、新しい笑いをつくりあげたといっても過言ではない。

尖っていたダウンタウンがみんな好きだった

「ごっつええ感じ」はゴールデンであったが、深夜帯の「がきの使いやあらへんで」でも視聴率は20%超えを連発し、当時中学・高校生だった視聴者は放送翌日にクラスの友達同士で話題にあげて盛り上がるなど、多くの若者に多大な影響を与えた。
安室奈美恵さんを心酔してファッションも含めて真似するファンを「アムラー」、ガングロで奇抜なメイクをする女性を「ヤマンバギャル」などと呼んだが、ダウンタウンの番組をハシゴして仲間うちでボソッとつぶやいて笑いを狙うような人は「松本信者」「ダウンタウン病」などと揶揄された。

それまでクラスで「面白いとされる人」は明るくて場を盛り上げる人気者タイプであったが、ダウンタウンの登場によってクラスで目立たないけどボソっと真顔で辛口を言って笑いを誘うタイプにも「面白い人」としてスポットライトが当たるようになった。
どうでもいいことの細かすぎる描写が面白い。スベって面白い(スベった方が面白い)。そんな新しい笑いの文化を生んだように思う。

僕も当時、ダウンタウンが出演する全てのテレビ番組を録画して何度も見返し、本も読み漁り、浜田さんのドラマ、松本さんの映画を全て観るなど、客観的にみて「ダウンタウン病」そのものであった。

志村さんのコントも好きだった

ダウンタウンのアドリブ中心コントと正反対なのが、台本を原則とする志村さんのコントだった。僕はダウンタウンも好きだが志村さんのコントも大好きだった。

コントの志村さんは、どこにでもいそうな普通のおじさんであって、しかしちょっとした日常の「ずれ」で笑いを生んでいく。誰もが共感できる「あるあるネタ」を基本にリアリティーあふれる演技で笑いをとるのだ。これが面白い。今ではコントやドッキリの定番ネタの1つになっているが、エレベーター内の「おなら」をネタにしたものは、当時は斬新なあるあるネタとして視聴者の笑いのツボだった。

人はおならをしてごまかす時は3通りしかない(あくまで持論)。
美男、美女であろうと、おとなしい性格であろうと、世の大半の人がこのピンチの場面に過去に遭遇してきたあるあるである。だからこそ、そこをついた笑いは共感を生んで面白いのだ。

おならのごまかし三原則(勝手に命名)

①音がなければ少し動いてニオイを散布させる
→ガスを放出したときは、すぐに立ち上がりその場を離れる鉄則。離れるのに適した場所は、人がいない場所や、むしろゴミ置き場などのクサイ場所。
もし離れられない状況なら伝統的な「遅れる」手法を使う。相手に少し先を歩くように頼み、距離が空いたところでガスを散布する。

②他人に責任をなすりつける
→ 「最初に臭いと言ったやつが犯人だ」ということわざがある。従ってニオイに驚く演技をするとしても、最初に気づいた人にはなってはならない。いかにもオナラをしそうな人のそばに立って責任をなすりつける。
注意点は、周囲の人が鼻をクンクンし出すまで待たなければならない。みんなが顔をしかめるのを確認してから、自分も同じような演技をする。ゆっくりと顔をしかめていく。

③別の音を鳴らしてあたかもオナラではないとごまかす
→ 椅子を引いて音を出す、咳をする、靴の裏で床を蹴ったり滑らせたりして、さもその音が鳴ったかのように見せる。近い音がだせるまでしつこくやりすぎると、逆に怪しまれるので最大でも3回くらいまでに勝負をかけなければならない。

秀逸だったエレベーターおならコント

志村さんのコントではこういったあらゆるパターンを念頭にいれて今のコントでは珍しいが、 複数パターンの短編コントを連続で流して全ての人に当てはまるようなギャグにしてしまうのだ。視聴者は日常的に起こりうることだから状況をイメージしやすく思わず笑ってしまう。

以前までYou Tubeにあったものの今はなくなってしまい残念であるが、「一緒に乗っていた人がエレベーターを出る間際に強烈なおならをして、志村さん一人が取り残された状況」をコントにしたものは秀逸だった。エレベーター内に充満したくさすぎるニオイをどうにかしようとしたができずに、諦めて人が乗り込んでくるための準備を始める。

次の階で止まりエレベータの扉が開く直前に、湯もみをするように両腕で空を切りながら靴ひもを直す態勢を取り、ターミネーターのように乗車してくる相手を迎える。
そして立ち上がりながらニオイの分散具合をクンクンと確認すると、まだニオイが残っていた。そこで「え、立ち上がってみたらなんか臭いな」という表情で周りを見渡して全然関係ないオッサンのせいにしようと眉間にしわ寄せて近くの人を見る 。

言葉では伝えにくいがこれが映像でみると笑わない人いないだろーってほど面白いのだ。志村さんのコントは無駄がなくて老若男女にわかりやすく丁寧だった。見てる人に頭を使わせない。ダウンタウンのコントのように人の心理の裏を覗きみて笑いをとるようなコントではないが、泥臭い笑いであり生きるのに必要な笑いを提供していた。 

僕はやっぱりお笑いが好きだ

嘘は駄目だけど事実をほんのちょっとだけ都合よく書き換えるだけでたまらなく面白くなったりする。
昔、鶴瓶さんと上岡龍太郎さんが「パペポTV」という番組を一緒にやっていて、この二人のトークが最高に面白かった。僕が大学時代、友達とワイワイとエピソード話をする時はこの話術を参考にさせてもらっていた。

鶴瓶さんの話があまりにも面白いから上岡さんは「でき過ぎだ、嘘だろ」って思っていたようだ。それほど面白いのだ。
でもあるとき上岡さんが、たまたま飛行機の中で、隣の席のおじさんに話しかけまくってる鶴瓶さんを見かけて「嘘じゃなかった、鶴瓶は面白い話を自分からつくりに行ってたんだ」と感心したらしいのだ。面白いエピソードを生むために行動する。こんな視点で行動できる人生は最高に楽しいでしょ、って僕は思うのである。

仮に自分に起きたマイナスなこともそれで終わって暗くなるか、エピソードとして語ってネタにして誰かにクスッとしてもらったなら、それで失敗したマイナスもプラスの思い出に変わる。笑いって素晴らしい。

いよいよ、コロナの収束がみえてきた。誰もが思っているようにアフターコロナの世界は2019年の世界ではないと思う。
しかし僕らがコロナを嘆いても、不況を憂いても、世界は何も変わらない。これから世の中がどうなるかは本当にわからないが、 不安そうに生きても楽しそうに生きても世界は変わらない。
だったらやることやって、楽しそうに生きた方がいい。その方が少なくとも「自分の未来」が明るくなるのは間違いない。

note50日連続投稿達成

とりあえずキリの良いところまできた。

少しこれから忙しくなるし100日連続は無理だろう。今みたいに質の悪い記事を乱発するよりも、もう少しまともに構成考えて投稿するほうが良いようにも思う。連続は分からないけど、引き続き言いたいことを気軽に投稿していこうと思う。

わざわざ僕のつぶやきを見にきてくれている皆さん、本当にありがとうございます。

もし本記事が面白いと感じて頂けた方は「♡スキ」を押して頂けたら幸いです。またフォローやシェアして頂けたら大喜びです。相互フォロー100%させていただきます。
育児、マラソン、投資の仲間をnoteを通じて皆様と交流できたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。 by ゆづお


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?