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“天才”と自称する人に巻き込まれる“天災”は忘れたころにやってくる。ボクはこれからも左車線をノロノロと走りますぞ。

煽り運転が世の中からなくならない。

これだけテレビで報道されていても、
逮捕者が出ていても、
なくならない。

ボクのような、
頻繁に後ろからチカチカやられ、
追い抜きざまにギロっとにらまれてしまう生来せいらいの煽られ体質の人間からすると、こういう煽り運転については、もう少し厳しい罰則を課して、もっと日本全体で騒ぎまくった方がいいんじゃね?
と思うこともある。

“松本、動きます”
じゃないけれど、騒ぐことで“動く”ことってあるから。っていうか騒がないとわからないタイプの人間って確実にいるから。

しかしなぜ平穏な日常を壊してまで、
彼らは煽り運転をおかしてしまうだろうか。

昨年末に、心理学の教授を交えたテレビ特番があったので見た人もいるかもしれないが、そこでは煽り行為の発端は
“追い越しのできる環境下”自体にある、
との説明であった。

“追い越し”というネーミングの車線があり、
“追い越し”を許された環境下において、
その中で追い越しをするという行為が、
当事者の“優越感”と“劣等感”を多分に刺激するとのことであった。

たとえば他人に対して、
自意識過剰のナゾの優越感を持っている人にとって、“追い越し”ネーミングの車線で前方を走行する車は
“オレ様”を邪魔する目ざわりで生意気な存在であると必要以上に対象物を過大評価してしまい、こんな車、絶対に前を走らせたくないとイライラするという。

そして、
“オレがー、オレがー”
の自分の立ち位置を必死で守るために、強引に抜きにかかり、それでも邪魔だと感じたら煽って、追い越そうとする。

そんな行為をしておきながら、
困ったことに、厄介なことに、
自分のおこないは“正義”だと信じている。

でも煽りなんてものは、
己の価値をとがめることこそあれ、上げることにはならなくて、普通の人は直感的にそれがわかっているから煽り運転をアホな行為だと一刀両断できるけれども、
アホには永遠にそれがわからないから繰り返すし、やめないのだ。

ほんのちょっとの優劣を
追い越し車線で証明したり、
汚い行為や言葉で煽ったり、
イキったりする姿は、

カッコよくも、面白くも、HEROでもない。傍観者から見ればアホがなにやら騒いでる、だけの行為にしかうつらないのだが…。

なにやら芸能界が騒がしい

登録者数の多いYouTuberが、テレビの大御所芸人に“提言”したことに端を発した
例のあの出来事。

提言というか、“批判”だな。
中盤までは個人的な見解による批判にとどまっていたが、ヒートアップしてきたのか
後半は、しっかりとした“煽り”であった。

内容の批判や賛同は、
物好きな方々にお任せし、

ボクは罪や倫理をおかしてもなく
現状の生活で実害のない人を公の場で熱くなって“煽る”醜態しゅうたいさらす行為とはいったいなんなのだろうか。
と、思った。
誤解を恐れずにひとことでいえば、対象者のことを目ざわりであり“嫌い”なんだろうね、って。


今の時代、SNSの世界で成功していると、自分のことを支持してくれる、正しいと言ってくれる、ゆがんでいてもゆがんでいないと言ってくれる。そういう居心地の良いクローズドなコミュニティサロンが存在する。

だから自分の思い通りにならなければ、見つけた獲物えものを相手に、そのクローズされた中で証明したり解消したりしようとする行為に走りがちになるという。

ボクは、よくわかんないけれど、
そんな居心地がいいサロンがあるならば、そこでニコニコ聞いてくれるメンバーに向けて他人を煽る発言をしておけばすむだろうに、

なんでわざわざ
飛び出して広く発信して煽り

「いやー、燃えたわー、頭の悪いあの界隈かいわいの支持層さんもご苦労だな」

なんてわざわざヘイトを貯めようとするのだろうか。なにをしたいのだろうか。
という疑問がわく。

これがSNSの“バズり”というものを
期待するものなのだろうか?

わかんないけど。

仮にね、ボクのnoteに対する悪口、煽りをするのなら先ほどとは、真逆になるが…

有料限定記事にしたり、影でコソコソとやらなくたっていい。目にしたところでボクが変なアクションを起こすこともないし、今まで同様にお付き合いしていただけたらと思う。

もっとも無駄なのは、どうでもいいものごとに対応している時間と手間であると思っているから、ブロックする手間ですらも、もったいない。

どうでもいいポジション人間のために、浪費する人生の時間は、コンマ1秒もないのだ。

誰かをライバル視したこともないし、インフルエンサーを目指しているわけでもない。
週に1度、左車線をカネにもならないゲスい話を、それを喜んで聞いてくれる“同類”の友に語りかけながらノロマ走行しているだけなのだ。

ボクなんてのは、何度もここで宣言しているとおり、noteへのモチベーションはかなり低い。大半のnoterに完全に負けている。

と、いうかね…

老害に片足を突っ込んでいて
今の世の感度の低いボクにはよくわからないけれど、

そもそもSNSの世界は、
現実よりも承認欲求を満たしやすいの?


との疑問がある。
2年やってきたけど、ボクはいまだにそうは思わないから、リアルよりも真剣になれない。

SNSでどんなに知名度が高くなっても、マネタイズに成功していても、フォロワーが数万人になったとしても、じゃあ今生きているアカウントはどのくらいあるのか、っていうと、もしかしたら10%に満たないかもしれない。そしてその関係性はリアルよりもはるかにもろい。

そんな希薄な関係性のSNSの世界で、
ボクは、自分の全承認欲求を満たせるとは到底思わない。ごく一部の承認欲求を満たせればそれでいいと思っている。

そのごく一部とは、
一般人には理解し難く言語化のハードルが高いけれども、

今日こそは、
思いきってひとことで表してみるが、
「女の子からキャーキャー好かれたいなあ。テヘペロ」
である。

うだつのあがらないアラフォーリーマンが、
今から1から女性とリアルでお友達になるのはひどく難しい。

道を聞こうと近づくだけで一瞬、パッと後退あとずさりされ、今年の新入社員からは、「お父さんと同じ年齢😀」という死刑宣告をされた。

そう。
ギャルと仲良くなる現実はかなり厳しい。

そんなボクにとってSNSは女性とお知り合いになりたい、女性に認められたいという承認欲求をみたすためのツールといっても過言じゃない。いわば人生でキャーキャー言われる最後のとりでなのである
※男性フォロワーさん、話半分で…ね

ということで、結論。
あなたが熱い思いで鼻息荒く、関係各所で煽り散らかしたところで、受け手の価値観はイロイロ。同じ温度感ではないのが大半なので、あなたが煽ってまで伝えたい思いが伝わっていない可能性が大なのだ。

そう。それならさ。
もうさ。

顔が見えなかろうと、
知らない人だろうと、
今後、関わらない相手だろうと、

煽るなんてやめて、
みんな穏やかに楽しくやりましょうよ。

ね!


…それにしてもSNSって本当に疲れるね。

noteとかブログとか関係なく2人だけで話せばいいじゃん
って思ってきている。

スタエフだっていいのかもしれないけれど、リアルで、目くそ鼻くそのクソ話を持ち寄って盛り上がろうぜ。って。

古い人間なのだ。
SNSが主流になろうとも、ボクはいつだって煽り合わないフェイス・トゥ・フェイスの穏やかな関係性を求めているのさ。

さ、末っ子の運動会に行ってきます。

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