リーマン引退を数年後に控えたボクに人事部から一通の‘’案内状‘’が届いた。
50才までにサラリーマンを引退する。
それがボクのライフプランである。
アラフォーになってからというもの
‘’就活‘’から始まったサラリーマン人生を
緩やかに卒業するつもりで‘’終活‘’してきた。
人生は思ったよりも短い。
健康上の問題がなく日常生活を送れる期間を示す‘’健康寿命‘’の平均が、
厚生労働省から発表されているが、
男性72歳、
女性74歳
とある。
ここ20年でみても、
この数字は1歳程度の伸びでしかないため、
人間という生き物は、
平均的にこの辺りでガタがくるのであろう。
つまりボクは
残すところあと29年、
土日は1510回あまり。
いまの体感的な一年の早さでみると、それもあっという間に経過するであろう。
サラリーマンは、
よく‘’社畜‘’と言われるが、
この身分を続けていると、上司ガチャで理不尽な上司に遭遇することもあるし、ペースが乱され肉体的精神的にも限界に達しまうことがある。数値目標も相まると常にストレスと隣り合わせの日常を送っているといえる。
いやいや、楽しんでるよ。
仕事は自己実現、自己成長の場だ。
ストレスなんてないよ。
という人だってもちろんいる。
でもサラリーマンである以上、
さすがに誰からも評価も管理もされずに自由が許されているなんてことはなく、
つまるところ大なり小なりあるにせよ、
組織や他人に‘’人生を奪われてしまっている‘’のは紛れもない事実なのだ。
だからそんな環境下で65歳までサラリーマンをしたとしよう。社畜から開放されて残された‘’健康期間‘’はおおよそ7年。
40年以上も平日の日中を組織や他人に人生を捧げた挙げ句、残された健康寿命はたったの7年というね。
シンプルに悲しすぎるな、
って。
人生は後戻りなんてできやしない。
プライベートを支障なく満喫できる健康期間は戻ってこない。
人生の時間の多くを自分と家族のために捧げたい。若かりし日のボクは、そんな思いでFIREを志した。
リタイア後も、もちろん働く。
小さな夫婦カフェでも開いて月5万円程度の利益(人件費)だって良い。
日雇いの畑仕事だって良い。
趣味の旅行と旨いモノ制覇とランニングを満喫しながら、生活資金は‘’配当金‘’を中心とした不労収入でやっていく。
そんな生活を手に入れるためにいまボクは、自らのリーマン生活の最終章を飾るべく‘’終活‘’に励んでいる。
2022年の7月某日
遡ること約半年前のこと。
なんと、、、なんと、、、
まさに青天の霹靂。
人事部発で、直属上司を通じて‘’昇格試験‘’の案内が手元に届いた。
我が社は図体だけはデカい。バカでかい。
そんな中にあって小人であるボクは、
山火事を小便で消すような努力をしながら、ウンコのような成果を出してきた。
だから終活に入ってからというもの、
もっぱら課長職で終止符をうつ予定であったので、
ここ数年は、自分の出世は諦め、
人生をかけてひり出したウンコを堆肥にして部下という名の花を咲かせ、自らのエンディングを飾りたい、
そんな思いで仕事に向き合ってきた。
部長に対しても、そう。
間違いなくこの人は無能ではあるが、
ボクがそのポジションを実力で奪いとろうというメラメラギラギラとした気概はもうない。部下のために、社内抗争に勝つためにも、
‘’あんたもっと出世してくれよ‘’、
との思いでただひたすらに、この人の参謀役に徹してきた。
…と、ここまで書いて
勘の良い人は、このあとのこの記事の展開を予測する。
本当かウソかもわからないツンデレの中二病丸出しのサクセスストーリー。
いやいや。
そんな勘ぐりをしたキミ達、待ってほしい。
ボクを舐めて頂いては困る。
そもそもご存知のとおりボクなんてのは常識の欠片もない。
率直な考えというか気持ちをここで発表させて頂くと、
「お金が、たくさん欲しいのよ〜ん♡」
である。
まさにこれは‘’家訓‘’でもあり‘’座右の銘‘’でもある。つまるところ恐ろしい限りの典型的な金の亡者という点を忘れてもらっては困る。1年後に辞めるとしたって昇格したい。なんなら社長にだってなってやる。
だから案内がきたときは、さすがに周りに部員がいたのでスマした顔を貫き通しはしたが、
ちゃんとすこし鼻の上の方において小さく感情が爆発し、小鼻がふくらんでヒックヒクが止まらなかった。
ピーター・ドラッカー「サラリーマンの成功のカギは、上司を出世させること」
今回の昇格試験は、
‘’会社方針、SPI、時事、英語‘’といった筆記試験に始まり、小論文、役員面接、そして最終の経営陣の面接に至るまで、4つの関門、4次試験があった。
結果に手応えがあったかと言われると微妙ではあるが、すでに昇進の決まっていた上司が後任者として推薦してくれたことが強い追い風となったのであろう。
きっとボクは出来レースであった。
去る1月13日、
晴れて昇格辞令がでた。
いや、うん
ありがとう。そう、カネが…♥
ネット上には
‘’こうすれば成功する!‘’
‘’自己肯定感を高めれば昇進できる!‘’
的な啓蒙活動がゴロゴロと転がっているが、
ボクはこの手のことを思わない。
斜に構えるわけでも
ツンデレでもなく。
なぜならやっぱり思ったのだ。
いや、もはや確信に変わった。
ボクはここ数年、終活に入り、
まともにしたのは上司の参謀役、そして部下のフォロー。コロナの影響もあって、ボクが目に見える形で評価の対象とされる課の成績は、パッとせず決して褒められたものではなかった。
だから思うのだ。
昇進というものは相対的なモノサシで決まるものであり、自分の実力と努力だけでどうこうなるような代物ではなく、むしろそれ以外の要因の方が圧倒的に大きいのだ。
若い頃、ピーター・ドラッカーのマネジメントの本で
「サラリーマンは、上司を出世させると成功する」という内容の書かれた本を読んだが、
実力で勝ち取ったる!っと、ギラギラしていた当時はスーッと内容が入ってこなかったが、今なら素直に‘’リーマンの常識‘’として受け止めることができる。
現実はテレビドラマとは違う。
部下が無能な上司を倒し、乗り越えて地位を得るという革命は、まずもって起こらない。起こることもあるかもしれないが、少なくともボクの周りではみたことがない。
上司が昇進できなければ、部下はその上司の後ろで立ち往生するだけなのだ。
仮に上司が無能で、失態をおかして更迭されたとしよう、かといって、多くの場合において有能な次席があとを継ぐことはない。
外から来る者が後を継ぐ。その上、その新しい上司は息のかかった有能な若者たちを引き連れてやってくる。
だから優秀な上司、昇進の早い上司を持つことほど、部下にとって助けとなるものはないのだ。
そう。
いい?
平凡リーマンが、偉そうにまとめるぞ。
サラリーマンとして‘’出世‘’という面で成功したいのなら、太鼓持ちもカバン持ちもしなくていいから
‘’その場その場の上司を出世させる能力‘’
をもつことなのだ。
ボクの参謀役の働きだけで上司を出世させたとまでは思わないが、
でもきっとその姿勢が上司を満足させ、自身の出世と同時に後任者としてボクを指名してくれたのだ、と思う。
ということで、
長々と自身の出世に関する自慢を羅列し、人間のゴミと言われるリスクをとりながらひたすら大声で偉そうに発表し続けてきたが
単刀直入にこの記事を要約すると
欲望を丸出しにしながら
おカネが「好き。」もしくは、
「くれ。」につきるのだ。
人生は思ったよりも短い。
カウントダウンに入ったボクのサラリーマン人生ではあるが、しっかりと職務をまっとうし、その後に待ち受ける引退後の生活をより豊かなものにしてやろう。
だから、
カフェオープンしたら来てね♡
ちゃんとカネ落とすんやで。