あらためて選択的夫婦“別姓”が議論されているが、すでに我が家は夫婦“別制”生活を選択している。
ジューンブライド。
note完全休養中(いや訂正。今なお、助走中)に、二人の部下から結婚式のご招待をいただき、参列してきた。
ボクは、誰の結婚式であろうと式の終盤には必ず胸がいっぱいになってしまい、涙が邪魔してぼやけて何も見えなくなる。
ボクと新郎新婦。関係性とかそんなのは関係ない。縁もゆかりもない人、きっとコレを読んでくれているあなたの結婚式でも絶対に泣く自信がある。
新郎新婦入場から始まり、産まれてきてからの人生ストーリー。年老いた両親に向けて捧げる感謝の言葉。
心から幸せを表したり、本当の感謝を言葉にして公然と読み上げたり。 そういう純粋なドキュメンタリーが非日常感を創り出し、優しい雰囲気に包まれてどんな映画よりもゴリゴリ泣ける。
参列したうちの1組が、交際1ヶ月で結婚を決めたと言っていた。ボクが15年前くらいにその報告を受けていたら、
“大丈夫か?すぐにダメになっちゃうだろ?”
と思っていた。
でも、40代後半になってみると、とりあえず、今、誰かのことがすごく好きで、結婚したいのならば、してみれば良いのではないか、と思っている。
注)結婚>未婚と言っているわけではない
結婚というのはやってみて後悔するほうが、やらずに後悔するよりも、ずっとマシな気がする。少なくとも、やってみれば、なんらかの「学び」はある。
ただ、1点。
結婚式の感動の中にあって、
これは違うわ、と、冷静かつ沈着かつ慎重に人生の先輩として心の中で突っ込ませてもらうことがある。
「毎日笑顔の絶えない家庭を作りたい」
いや、それはねーわ。
と。
思わず小さく突っ込む。
いや、思いっきり。
毎日なんてのは、理想にすぎない。人というのは時間とともに変わっていく。
笑顔の絶えない数ヶ月、もしくは数日間があったとしてもそれが終われば、楽しいことも沢山ありながらも、同時に苦難と絶望で身を削りながら進んでいくことだってある。
なにより夫婦間の呼び名が変わる(あくまで我が家の例)。名前などどうでも良くなってくる。事実、長女が産まれてから、互いを名前で呼ばなくなった。基本「パパ」、「ママ」。
“育ちのいいボク”は、奥様を「ママさん」と「さん」付けで呼ぶが、奥様はボクを「ねえ」「あんたさぁ」「ちょっとぉ」と親しみを込めて呼ぶ。機嫌がいいときは「キミねぇ」。
そう。
名前はすでに死んでいる。
◆
自民党総裁選を契機に、いまそんなことをメインの議題にしなければならないのかとは思うが、改めて夫婦別姓が議論され、小泉ジュニア氏の立候補会見では「30年以上議論を続けてきたこの問題に決着をつけ、一人一人の人生の選択肢を拡大する」と大いに強調していた。
結婚というのは、名前や別姓などどうでもいいかな、とボクは達観している。別姓とは、夫婦それぞれが個人としての権利を持つということ。
ボク自身は、社会が混乱する、破壊される、子どもはどうするか、という意見や課題もあるが、“選択制(≠強制)”にしたところで壊れるような社会は壊れて作り直した方がいいというスタンスで、珍しくこの件についてはジュニア氏の考えに賛同している。新しい総裁、石破氏には優先度は32番目くらいで良いので議論を尽くして“選択制”を導入するかどうか是非、決めてもらいたい。
我が家は“別姓”でなくともお互いを尊重した各々独立した“別制”生活が確立されている。
休日の半分くらいは個々に自由に行動する。その際、3人の子どもは2対1に分かれる。今日は、パパチーム、次はママチーム。
恋愛期間中は無理してでも寄せていったが、互いの趣味に付き合うこともなくなった。ときどき奥様の意見を押し付けられることはあるが、表面上だけ“ふむふむ”と、賛成しておけば、内心で「そんなことねーわ」と思っていても平穏無事でオールオッケー。
映画やライブも別々。映画館まで行って、別のものを鑑賞したこともある。
笑顔の絶えないラブラブな毎日を思い描いていた頃からは想像もできない干からびた夫婦関係となった。
そんなこんなの夫婦ではあるが、どうやら12年目の結婚記念日を迎えたようだ。当日に奥様がわざとらしく思い出したかのように言ってきたので、
「へぇ、そうやったか。」とボクも同じ体裁を保って返したが、もちろん覚えている。
12年間、修羅場もなく、大喧嘩することもなく、ただただ平凡にやってきた。
ラブラブからは程遠いこんな平凡夫婦が、ここまで穏やかにやってこれたのは、“楽しい”と“悲しい”を共有できた、という単純な話なんだろう。
ドラえもんで、大人になったのび太としずかちゃんが結婚する前夜、しずかちゃんのお父さんが、のび太について、こう言っていた。
うん、わかる。
これって、なかなか難しい。
若い頃だと特にね。やっかみがあるから。
良いことがあれば「よかったな!」と心底から祝福でき、悲しいことがあれば一緒に涙を流せる。年齢を重ねるうちに、これが人間にとって一番大切なことだって身にしみて感じるようになった。
来週は、“三重県”に行く。
毎年、この時期に旅行をボクは計画するが、もちろん結婚記念の旅行だなんて美しき夫婦愛などではない。
“今回は”、子どものマラソン大会の初遠征という理由である。ナガシマ行って、温泉宿に泊まって、美味しいもの食べてというまあまあな奮発した旅行になるが、是非、非日常感を楽しんでもらいたい。
子どもにね。
ということで、おそらく“子どもサービス”で来週はnoteをサボろうとお休みすると思います。
子どものせいである。
にゃはは。
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