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“友達100人できるかな♪”と歌う次女の横で、義務教育を受けなかったらどういう人生になるかを考えてみたら0.1秒で答えがでた。

桜の花びらが、そよ風に運ばれ、
春の息吹を感じる今日このごろ。

皆さん如何いかがお過ごしでしょうか。
ボクはいつもと変わらぬシュールな日々を送っております。

春眠しゅんみんあかつきを覚えず”

という中国古来からのコトバがあるが、

この時期は尋常ではなく安定して眠い。それも信じられないくらい。
今かて、目覚ましのアラームが鳴った瞬間に感じたあの絶望感。

うおーダリぃカッたりぃぃぃぃ、
と思いながら瀕死ひんしの状態で、命からがらパソコン前へと到着した。
一人、恍惚こうこつの表情を浮かべながら
頭がボーっとした状態で、いま、タイピングをしとります、はい。

前回の記事で発作的ほっさてきに“ウンチ♡べチョリ”の話をしてしまったため、
さすがに今日は特技の“チンポジ”についてのご報告というわけにもいかず、
まともの話でも、となるのだが、、、。

小学校の入学式に参列した

今週火曜日。
次女の入学式だった。
ボクにとっては、
長女以来で2年ぶり2回目である。

卒園式が別れというならば
入学式は始まりのとき。

不安と希望を胸に抱いて、
という表現の通りのまさにそれで、

次女がこれからやっていけるのだろうかという一抹の不安はありながらも、目の前に続く‘’未来への道‘’へと踏み出すわが子のランドセル姿がとてもまぶしくて、

写真をパシャパシャ撮りながら、
みんなニコニコ、
朝から大忙しだった。


それにしてもびっくりだった。

式には在校生代表として新6年生が参列したが、ボクはいまどきの学校と言う勝手な思い込みで、

これまで悪いイメージを先行させていたようだ。

式は、いたって従順でマジメなものだった。
長女のときはコロナ禍で控えられていたのでわからなかったが、
在校生が、国歌や校歌をしっかりと
大きな声で歌っていたのだ。

ボクの時代の、
ボクの過ごした“片田舎”の公立小学校での話になるが、6年生にもなると、
男子はませガキのボンクラと化し
行事で国歌や校歌を歌うのを“かったるい”とか“カッコ悪い”とか思い始めて、
「いかにやる気なさそうに挨拶や式に参列するか」
を競い合っていた記憶がある。

全く声が出ていないと先生に怒られるので、
なるべく口をパクパクさせて小さな動きを保ちつつ、
怒られない最低限の絶妙なポイントを見極める。

それでも先生からの「真面目にやれ!」の罵声があると
「テヘペロ♡」と呟きながら、
同級生で顔を見合わせてニヤけていた。

ただのアホだけど、
それが格好いいと思っていた。

全てが文句無しにダサいのだが、

学校は、
小さな世界の、小さな社会の縮図で、

こういうのだって友人関係を築き上げるという点においては貴重な経験だった。

義務教育を受けなかったら、どういう人生になるのか。

我が子の入学式に、
改めてそれを考えてみた。

が、考えるまでもなかった。
0.1秒で答えが出た。

経験と教育から、ほぼ正確にイメージできる。結果は分かり切っている。
だから普通はしないし、しようとしたら全力で周りが止めてくれる。

しかし、ご存じの通り、世間は広い。

宿題を強制する学校に疑問をいだき、
あえて一度きりの人生を賭けて、
それをテストしてくれているユーチューバーの勇者くんがいる。

考える必要もなかったから
考えもしなかったが

ふりかえると、

ボクは彼の生き方を
完全には否定できなかった。

ボンクラだったボクにも血迷って
“宿題やりたくねーから学校へ行きたくない”
“まいにち早起きするのが辛いからサボって休みたい”
と思ったことが「数分間」くらいはあった。

目覚ましが鳴り響き、
うおーダリぃカッたりぃぃぃぃ、
と思った瞬間は、間違いなくそう考えていた。

だが、母ちゃんから
「バカ言っていないで宿題をやりなさい!」「さっさと起きなさい!」
と一喝され、
そのたびに我にかえって
学校をやめようなんぞ、サボろうなんぞ、
なんて未熟な考えだった、と気付き、
実行するなんてできやしなかった。

もし、そういう“普通”の親がいなければ、
ボクだって学校へ行かずに、
好きな人と、スキなことをして過ごすユーチューブの世界へと
足を踏み入れていたかもしれない。

そうならなかったのは、
ボクにも、その他99.9999%の家庭にも

ごく普通な親がいた。
ただそれだけのことである。

いつだって道なき道をゆく勇者は、圧倒的な成果をだして周りを黙らせるしかないのだ。

ネットニュースを見ると、
今後の人生で一切かかわることもない
勇者君と、その親に対して、
みなが本気で熱くなってバッシングしている。

「学校へは行っといた方がいい」
「将来、ユーチューブなんて稼げなくなる。そのときどうすんだ」
「働かずに子どもの収入を柱にするなんて、なんてヒドい親なんだ。」

そんなヤフコメをみるたびに
この世はまだまだ捨てたものではないな、
と感じる。
みんなとても優しいじゃないか、って。
わが子でもない彼の将来を思い、
真剣にさとしてあげるなんて。

だが、実態はどうだ笑

人間は、自分に出来ない人生を歩んでいる人に対して二つの感情を持つ。
ひとつは「羨ましい」であり、
残りは「何かしらんけどムカつく」である。

両者がごちゃまぜになって、
色濃いほうに支配されるのだ。

白状しよう。

ボクもそんな感情を持つ一人である。
ボクみたいな低俗ていぞくボンクラにとっては、

彼がうらやましい。
めちゃくちゃ羨ましいのだ。

学校に行かなくても、自由に生きて、稼ぎがあるという生き方である。
未だにできないが、
ボクだってやれるものなら、そうなってみたかった。

一度だけ、勇者一家の収入源となる
動画を拝見させていただいたが、残念ながら品性の欠片かけらもないオッサンのボクには
まったくもって響かない動画で、
その後にルンバの動きを見ることで何とか正常な精神を取り戻して救われたのだが、

でも、きっとこの世のどこかでは、
これだって需要があるのだろう。

なんてうらやましいこっちゃ。


もう1つの感情。
なにかしらんけどムカつくのだ。

宿題拒否というふざけた理由で
ボクが非モテで、学もないために苦労して生きてきた人生を歩まないなんて、
オレの生きざまを否定してんのかーっ、となってムカつくのだ。

だから、
善意という大義名分を引っ提げて、
人生で関わることのない赤の他人であっても、ついつい先輩ヅラしてさとしたくなっちゃう。

それを実行に移してしまうヤフコメ住人の気持ち、それもよくわかる。

誹謗中傷はダメ、ぜったい。

でもこれだけは言える。

彼は常識を打ち破る先駆者なんだから、
勇者なんだから、
“批判”からは避けて通れない。

99.9999%の常識としてまかり通っていることを問題定義して、
その常識を変えようとするとき。

それはいつだって圧倒的多数の反対票や批判票が立ちはだかる。

法律だって、
政治だって、
会社だって、
校則だって、、、

だから、
改革を掲げる先駆者は、
圧倒的な実績と結果をだして
周りを黙らせるしか方法はないのだ。そして批判していた奴らを嘲笑あざわらっちゃえばいいんじゃね。

ほらみたことか、と。

それが義務教育から飛び出て、
君が生きぬく社会のリアルだから。
再生数みる限り、ユーチューブではいまのところかなり厳しく大多数の思っていたとおりのようだが、

是非、0.1秒で答えがでたボクらのイメージを超える人生を見せてほしい。

次女よ。99.9999%の常識を踏襲とうしゅうして、素敵な義務教育を満喫してね。

義務教育を受ける本質は、
勉強だけではない、
ボクはそう思っている。
勉強して大人になってどれだけ役だっているか、といえば“それなりに”としか言えない。

だから、これを義務教育を受ける
“是非”の焦点にしてしまうと
「星座を覚えたって、役立ってないよね」
となって、話がかみ合わなくなる。

ボクら大人が、義務教育を通じて
今でも如実にょじつに役に立っていることはなにか。

それは「友達100人できるかな?」と期待して入学してはみたものの、
それはまったくもって不可能だったと気づいたことなのだ。

学校は小さな世界の、
小さな社会の縮図である。

人間なんだから、
気が合わない人がいるのも当然で、

なんとなく
“みんな仲良しにならなくてはいけない”と思うかもしれないけど、
別に仲良くならなくたっていい。

自分が嫌われていると感じたら、
スッと消える。
仲が悪い人や、良くも悪くもない人と戦争しないで上手くやっていく“処世術”を
ボクらは義務教育を通じて実は自然と身につけてきたのだ。

そう。
それが大人になってからも役だつのだ。

非モテで、学がないために、
苦労したボクのような人生や社会を歩まないなんて羨ましいぞ、
とは確かに思うけれど、

人生長い目で見ればやっぱりそれは違う。

そんな荒波の人生で揉まれてきたボクは、
神経だけは図太くなった。そしてその中でホンモノの友人を手に入れた。

だから、

娘には
友達100人できなくたっていいよ、
と言いたい。

そして、

たくさんの人と戦争せずに、
素敵な義務教育を満喫してね、
決して朝っぱらからチンボジの報告をしようとする学のない大人にはならないでね、

と、はなむけの言葉を送ってやりたいと
思ってる。

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