高校サッカーが教えてくれたこと

第100回目の高校サッカー選手権大会が幕を閉じました。
青森山田高校の優勝、そして3冠という偉業は私が思っているよりもとんでもないことなんだなと思います。

コロナ感染による関東第一の準決勝辞退や、名将小嶺忠敏監督の死去というニュースがあり、穏やかではない中で戦った選手の皆さんに心からお疲れ様と言いたいです。

自分自身、第86回大会に参加し地区予選敗退という結果で、しかも出場は出来なかったので活き活きとプレーする選手を見ると嬉しくも思うし、羨ましくも思います。

ニュースの記事を読んでいて、青森山田の黒田監督や大津の山城監督、平岡総監督の言葉を拝見し、非常に共感する部分が多々ありました。

勝ち上がってくるチームの指導者の方々、名将といわれた小嶺監督はサッカーのことよりもまず、「人間性」が大切と言われています。
サッカー選手である前に一人の人間であるということ。

現役時代にも、監督からそういった人間性の部分を事細かに教えていただきました。
当時の私はそういった意味をよく理解していませんでしたが、社会人10年目となった今はよくわかります。

私のチームも実力者が揃っていて、4年ぶりの全国大会出場にあと一歩まで迫りました。
しかし、結果は0-3で敗退し、地区予選準優勝でした。
ベンチを温めていた私は、試合に出場する可能性がほぼ無いという状況でした。
実力的にもレギュラーより劣っていることは理解して、そこで止まっていました。
勝ち上がっていくにつれて周囲の期待は高まりますが、私自身はどこか乗り切れないような感覚だったことを覚えています。

高校入学時は全国大会へ出場する!という想いでしたが、最終的には予選すら3年間で1分もピッチに立てないまま、試合終了のホイッスルを聞くことになりました。
悔しさよりもどこか他人事のように結果を受け止めた自分がいました。

今、高校サッカーを見ていて、自分には何か役割があったんじゃないか?自分はチームのために何をした?どうせ出られないからと不貞腐れていたんじゃないか?ということを考えます。
そういう姿勢があの時の自分にはカケラも無く、監督やコーチもそういうところを見ていたんだろうなと思います。
真面目に取り組んでたつもりでしたが、何のために?どうするのか?そういう犠牲心や役割を考えることをせずに傍観していたんだなと振り返ります。

人間性あってのサッカーだと指導者の方々は口を揃えて言いますが、その意味を10年以上経ってやっと理解しました。
どれだけ本気になれたか?目標に向かってどれだけ真剣に取り組めたか?高校生で理解出来る人は少ないでしょう。
しかし、それをしていたから青森山田高校は3冠という偉業を達成出来たんだなと感じます。
ただ、上手いだけの選手は星の数ほどいます(私はそこにも引っかからないのですが)。

上手い選手が本気で取り組んで、チーム全体に伝播し、チームとして目標に向かって取り組んでいけるチームが勝つんだなと理解しました。

仕事でも同じで、同じ方向を向いて、同じ目標に向かって各々が考え、真剣に取り組んだ先に、何かあるんだと思います。
それが目標を達成出来なくても、そうやって取り組んできたことや姿勢、考えたことは必ず自分自身の糧となり次の目標にプラスに働くんです。

あの時、私がレギュラー選手よりもがむしゃらになっていたら?チームが勝つために何をすればいいか考えることができていたら?責任と自覚を持っていたら?
試合に出ていない私が変わればチームを変えられたのかな?と思います。

決勝戦に臨むチームの雰囲気はどこか軽くて、程よい緊張感というものが無かったのかな?とも思います。
私は、コミュニケーションも下手でレギュラー陣に対して線引きをしていたのでそれも違うかったなと。
本当に強いチームはそういったら垣根は無いものですが、それは全員がチームの勝利という目標に向かっていることが前提となります。
やはり、敗れた原因はチームとしての成熟度だったんだと思います。

県内でも実力者が集い、能力的には勝てる要素がありました。
それなのに勝てなかったのは、人間性の部分が大きかったんだろうなと感じます。

毎年、この時期になるともったいないことをしたと今になって後悔し、振り返ります。

素晴らしい指導者の方々が口を揃えて言う、
「サッカーよりもまずは人間性が大切」
「礼に始まり、礼に終わる」
という言葉が身に染みてきます。

ただ、人生はまだまだ続きます。
私自身この悔しさを忘れずに、人間性を磨いていきます。
そして、社会というピッチの上で最高のパフォーマンスを発揮できることを目指し続けていきます!

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